この「碑(いしぶみ)」は、広島テレビのドキュメンタリで
広島に投下された原爆で全滅した、中学一年生たちが
必死で生きようとし、そして最後の一人の死までの記録です。
(今もそのドキュメンタリを書籍化した本を購入できます。いしぶみ―広島二中一年生全滅の記録 (ポプラポケット文庫) アマゾンでも買えます)
爆発の瞬間から最後の生徒が息絶えるまで、を当時の日記や数百人におよぶインタビューをもとに
作られたもので、私の実家にも、このドキュメンタリーを本にした「いしぶみ―広島二中一年生全滅の記録 」
がありまして、こどものころから読んでいました。
淡々と時系列で進んでいき、大げさに書いているところはありませんが、それゆえに
涙がこぼれます。
「夢で親に会うからいいよ」と静かにひとり、息を引き取った子、
仲良しの二人が、はげましあいながら逃げ、道端で息絶えるまで、
わが子を必死で探すお母さん・・・・
私の父親が原爆投下時、14歳で、このとき亡くなった子供たちと1学年違いでした。
同級生が大勢亡くなり、父はいまだに当時のことをいっさい語りません。
語れないのだと思います。趣味が多く、明るい性格の父ですが・・・
思えば、私の息子が、当時の父と同じ年、14歳です。。。
当時を記録したドキュメンタリーは、我が家に多くあり、
父が語られないことは、
それらを通して、深い痛みを感じることが出来ました。
なので、我が家では、
成績を言われなかったわけではないけれども、
一番大切なのは、健康で、生きていることが
良かった、と喜んでもらえてる、という実感がなんとなくありました。
命のありがたさを知っていたのだと思います。
そのかわり、しつけはきびしかったですが。
(なので、けっこうどんな職場でも耐えることが出来ました)
私も、勉強がどうしたこうしたより、
「今日も生きてる」のほうが大切だと思っています。
広島では、8月6日の投下時に毎年、黙祷のためのサイレンが鳴り響きます。
私の住んでる町にもサイレンが聞こえ、黙祷をします。
川べりには、この、広島二中のみではなく、当時亡くなった人やこどもたちをしのぶ
碑が数多くあります。緑豊かな季節、川べりに面してある碑。あの日の記憶が薄れることは
決してないのだと思います。
広島に投下された原爆で全滅した、中学一年生たちが
必死で生きようとし、そして最後の一人の死までの記録です。
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爆発の瞬間から最後の生徒が息絶えるまで、を当時の日記や数百人におよぶインタビューをもとに
作られたもので、私の実家にも、このドキュメンタリーを本にした「いしぶみ―広島二中一年生全滅の記録 」
がありまして、こどものころから読んでいました。
淡々と時系列で進んでいき、大げさに書いているところはありませんが、それゆえに
涙がこぼれます。
「夢で親に会うからいいよ」と静かにひとり、息を引き取った子、
仲良しの二人が、はげましあいながら逃げ、道端で息絶えるまで、
わが子を必死で探すお母さん・・・・
私の父親が原爆投下時、14歳で、このとき亡くなった子供たちと1学年違いでした。
同級生が大勢亡くなり、父はいまだに当時のことをいっさい語りません。
語れないのだと思います。趣味が多く、明るい性格の父ですが・・・
思えば、私の息子が、当時の父と同じ年、14歳です。。。
当時を記録したドキュメンタリーは、我が家に多くあり、
父が語られないことは、
それらを通して、深い痛みを感じることが出来ました。
なので、我が家では、
成績を言われなかったわけではないけれども、
一番大切なのは、健康で、生きていることが
良かった、と喜んでもらえてる、という実感がなんとなくありました。
命のありがたさを知っていたのだと思います。
そのかわり、しつけはきびしかったですが。
(なので、けっこうどんな職場でも耐えることが出来ました)
私も、勉強がどうしたこうしたより、
「今日も生きてる」のほうが大切だと思っています。
広島では、8月6日の投下時に毎年、黙祷のためのサイレンが鳴り響きます。
私の住んでる町にもサイレンが聞こえ、黙祷をします。
川べりには、この、広島二中のみではなく、当時亡くなった人やこどもたちをしのぶ
碑が数多くあります。緑豊かな季節、川べりに面してある碑。あの日の記憶が薄れることは
決してないのだと思います。