ハンドメイドlu-x(るっくす)

手作りアクセサリーショップlu-x(るっくす)の店主ホイミのつぶやきブログ
  ~他ブログよりお引っ越ししてきました~

長崎平和記念日

2011年08月09日 | つぶやき
こんにちわ~^0^

今日は長崎平和記念日です。
長崎の原爆投下の日ですね。

ぷち旅の記録は現在 広島での旅を掲載中ですが、
一旦過去の長崎への旅を振り返ってみます。

2009年5月5日、長崎の平和公園へ立ち寄りました。

真っ青な空と長崎の鐘


幼い頃に見た平和の像は青銅色だったと思ったけれど、
塗り替えられたのか真新しく見える像。(平和祈念像)


何度読み返しても涙が出てくる少女の手記(平和の泉)


爆心地から近く、被曝したマリア像がぽつんと立っていたと言われる浦上天主堂と内部。




広島に落とされたのは、ウラン型リトルボーイ。
長崎に落とされたのは、プルトニウム型ファットマン。

ちっちゃな少年と太ったおっさんに、多くの老若男女が見境無く命を奪われた。

それから66年。 戦争を知らない私だが、小学校の修学旅行で立ち寄った長崎の原爆資料館だったかと思うが、焼けただれ溶けたガラスなどの展示品や被爆者の遺品等を見た時の衝撃は未だに目に焼き付いています。

戦争の無い国に日本は成りました。多くの犠牲者に教えられ今がある。
けれど、世界では、戦争が起きたし、原子爆弾の開発は続けられている。
実験もされていて、止まることはない。領土問題は未だに火種が絶えてはいない。

戦争は勝っても負けても結果的に良い気はしないんだ。

勝った方は、殺戮を当然の如く正当化し、負けた方は恨みもつのる。

けれども、日本人はアメリカに刃を向ける事も恨むこともしなかった。

 日本気質とでも言うのか。。潔いとでも言うのか。

お陰で、私は戦争を知らずに暮らして来られた。
そして、後ろに続く世代へ、先人が築いた平和を丸ごとバトンタッチするために、守って行かないとな。。。って思いました。

先人に敬意を込めて、祈ります。( ̄人 ̄)

ずっと平和が守られますように。
第三のリトルボーイやファットマンが来ませんように。

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さて、プルトニウムもウランも、広島・長崎にばらまかれたのにも
かかわらず、広島・長崎は今では見事に復興している。


プルトニウムもウランも半減期は気の遠くなる程かかる。普通に考えたら、立ち入り禁止区域になりそうなもんだが、広島・長崎では人々は普通に暮らし、野菜も流通している。

 もしかしたら、プルトニウムやウランはキケンじゃなかったのか?
 だったら、福島原発の事故も、チェルノブイリの原発事故も本当は
大した事無かったのかも??

 な~んて疑問を持つ人も居るかと思って、書いてみる。

広島や長崎で使用されたプルトニウムやウランはほんの8キロ程度の量なんだ。
広範囲に被害を拡大させるべく上空600m程の位置で爆発させた。

これにより、熱線・突風が生じて、殆どのものが焼き尽くされ、建物が吹き飛んだ。突風が生じたせいで、巨大な上昇気流が生じ、黒いキノコ雲を作った。
キノコ雲となった放射性物質を含んだ雲は広く広がり、時には雨に混ざって地表に黒い雨となって落ちた。
その雨に触れると、爆弾の影響を受けなかった者までをも二次被曝させた。

この事から、福島原発事故と比べると、原爆は量はほんのちょっとで、一瞬で爆発し、広範囲に拡散し雨で流されたので、殆ど暮らしには問題ないぐらいまで薄まったので、人々も暮らせて、野菜も食べられるわけだそうです。

それでも、若干、数値が出ている箇所もあるので、この黒い雨が地表に落ちた場所を特定し、今頃だが、7月に調査が開始されている。

福島の原発事故は、未だに だだ漏れだからタチが悪い。
早く止まれば良いのだが・・・・

日本は2つも原爆を落とされた唯一の国でありますが、
終戦直後の復興から世界の経済大国と成長した日本を
世界は”東洋の奇跡”と称えたそうです。
(今は、ピンチだけどね^^;)
東北の大震災での被災地の復興も近い将来必ず成し遂げられると
私は信じています。