こんにちわ~^0^
ぷち旅日記の続きです。
前回の石川県・能登半島の旅で 牛若丸(源義経)が兄・源頼朝に追われて船を隠したという細い入り江をご紹介したのですが、今回の旅は、なぜ実の兄に命を狙われるようになっちゃたのかのヒントが、伊豆にはありました。
今日は学校では教わらなかった歴史の裏事情を書いてみたいと思います。
1192年、イイ国作ろう鎌倉幕府と教わったのはまだ記憶に新しい。。(んなワケないが^^;)
鎌倉幕府の1つ前、平安時代のその末期。。日本は京都で天皇さんが政治をしていたよ。
当時は77代目の後白河天皇が平治の乱で勝利した平清盛(たいらのきよもり)を太政大臣にして国で起こる全ての争いごとを任せていたんだけど、だんだん力を蓄えてくる平家がうざくなっちゃったんだよね。
そこで、平治の乱で負けちゃって伊豆の国にぶっ飛ばしてた平家の宿敵・源家と手を組んで平家を滅ぼしてしまったさ。
平治の乱で負けちゃった源義朝の三男・頼朝(以下、トモ君)が征夷大将軍として抜擢。
トモ君に政治をさせたの。(民衆から物資を徴収させるわけ)
本来なら京都で幕府を開くわけだけど、トモ君にはちょっと考えがあったのね、だから、地元である鎌倉に幕府を設立したの。
それは、なぜかと言うと、それまで公地公民だった土地の所有権制度を廃止するため。
平たく言うと、それまでの土地はお公家さんとか寺なんかが地主さんになってて、実際にお米を作ったりしている人の持ち物じゃなかったのね。
お百姓さんが汗を流して作ったお米を、お公家さんは京都にいたままぶんどっていく。そしてその米を運ぶ者も少しずつ自分のフトコロに入れる。
そういう流れで物資が動き、吸い上げられるばかりの民衆の不満は溜まる一方。
そういう不満が溜まると一揆が起きますよね。
そこで、トモ君は、百姓達に、「この土地であんたが作って出来たモンはあんたのモンやさかい好きにしよし。土地の相続もあんたが死んだら、子供に権利があるっちゅう事にしとったるから、これからもがんばりや^0^」
。。と、こんな感じで変えて行ったんです。
こんな風に、お公家さんから取っちゃった土地を分け与える相談は京都では出来ないから鎌倉に幕府を置いたって事らしいです。
ま、たまたま育った土地(ぶっ飛ばされてた場所)が静岡だったし。って事で、鎌倉に決まったみたいね。
で、トモ君の異母弟である範頼(のりより)クン(以下、ノリ君)が、今回の日枝神社に深く関係しているんです。(ノリ君は、牛若丸で有名な源義経の異母兄にあたります)
トモ君に忠実な弟・ノリ君は、兄ちゃんの命じるままに戦争に出かけてしっかり結果を持って帰ってきてたのね。(ノリ君は九州担当で、義経クン(以下、ヨシ君)は四国担当なの)
ノリ君はめっちゃマメな性格で、細かい報告をセッセと兄ちゃんにお便りしてたんだけど、ヨシ君はちっとも連絡が付かない、兄ちゃんの命に従ってはいたけれど、自由奔放な戦略とその人柄の良さにどんどん勢力と信頼度をUPさせて人気上昇中のヨシ君が壇ノ浦の戦いで戦果を上げると、自分が決めてもいないのに、後白河上皇がヨシ君に検非違使(けびいし)の位を与えちゃったので、カチン!と来ちゃったトモ君。
ノリ君にヨシ君を討てと命じちゃったの。
(兄弟で一緒に戦ってきたのに、権力争い勃発なワケ。)
兄ちゃんダイスキだけど、ノリ君は弟を手にかけたくないょと初めてタジタジ。
ノリ君の信頼度がここからガタガタと崩れだしました。
日本三大仇討ちの一つ、曽我兄弟の仇討ち事件が起きた直後、しばらくの間鎌倉ではトモ君の消息を確認することができず、トモ君の安否を心配する妻の政子サンに対して鎌倉に残っていたノリ君が気遣って「この範頼が控えておりますので(ご安心ください)。」と見舞いの言葉を送ったんだけど、この言葉が、謀反の疑いアリと取られノリ君はこの日枝神社の一角に幽閉されちゃったわけ。
言葉って難しいよね、特に昔の人の言葉って、わかりにくいのにさ~誤解もアリだよね。
しかも、何度も泣いてゴメンナサイm(_ _)mってわびているノリ君を許さなかったトモ君。優秀な兄弟をことごとく消して行く徹底ぶり。
さほど優秀でない兄達はサッサと出家して仏門に入ったりしてるので、トモ君はプライドが高かったんだろうね。 幕府を開いた時は、なかなか見所ある政治をしてたんだけど、なんだか最後の方は、守りに入っちゃった?そんな感じね。
ノリ君は、何度も攻められ、後に自害したと伝えられています。
でも、ウワサでは、自害したのは別人で、逃げのびた説がありまして、実際、ノリ君の子孫を名乗っている人も居るんですって。
いろんな誤解が混ざり合って疑いが生じ、また権力が加わることで、
さらにドロドロになっていく。
人と人が解り合うためにはどれだけの時間が必要なのだろうね。
殺し合いにはならないけれど、現代社会も似た部分・・・あるよね。
きっとキッカケは、『ほんの少しの誤解とすれ違い。』
もし、私達に他人と何か問題が起きた時は、
『ほんの少しの誤解とすれ違い』を正してから
問題解決致しましょう!!
===============
ぷち旅日記の続きです。
前回の石川県・能登半島の旅で 牛若丸(源義経)が兄・源頼朝に追われて船を隠したという細い入り江をご紹介したのですが、今回の旅は、なぜ実の兄に命を狙われるようになっちゃたのかのヒントが、伊豆にはありました。
今日は学校では教わらなかった歴史の裏事情を書いてみたいと思います。
1192年、イイ国作ろう鎌倉幕府と教わったのはまだ記憶に新しい。。(んなワケないが^^;)
鎌倉幕府の1つ前、平安時代のその末期。。日本は京都で天皇さんが政治をしていたよ。
当時は77代目の後白河天皇が平治の乱で勝利した平清盛(たいらのきよもり)を太政大臣にして国で起こる全ての争いごとを任せていたんだけど、だんだん力を蓄えてくる平家がうざくなっちゃったんだよね。
そこで、平治の乱で負けちゃって伊豆の国にぶっ飛ばしてた平家の宿敵・源家と手を組んで平家を滅ぼしてしまったさ。
平治の乱で負けちゃった源義朝の三男・頼朝(以下、トモ君)が征夷大将軍として抜擢。
トモ君に政治をさせたの。(民衆から物資を徴収させるわけ)
本来なら京都で幕府を開くわけだけど、トモ君にはちょっと考えがあったのね、だから、地元である鎌倉に幕府を設立したの。
それは、なぜかと言うと、それまで公地公民だった土地の所有権制度を廃止するため。
平たく言うと、それまでの土地はお公家さんとか寺なんかが地主さんになってて、実際にお米を作ったりしている人の持ち物じゃなかったのね。
お百姓さんが汗を流して作ったお米を、お公家さんは京都にいたままぶんどっていく。そしてその米を運ぶ者も少しずつ自分のフトコロに入れる。
そういう流れで物資が動き、吸い上げられるばかりの民衆の不満は溜まる一方。
そういう不満が溜まると一揆が起きますよね。
そこで、トモ君は、百姓達に、「この土地であんたが作って出来たモンはあんたのモンやさかい好きにしよし。土地の相続もあんたが死んだら、子供に権利があるっちゅう事にしとったるから、これからもがんばりや^0^」
。。と、こんな感じで変えて行ったんです。
こんな風に、お公家さんから取っちゃった土地を分け与える相談は京都では出来ないから鎌倉に幕府を置いたって事らしいです。
ま、たまたま育った土地(ぶっ飛ばされてた場所)が静岡だったし。って事で、鎌倉に決まったみたいね。
で、トモ君の異母弟である範頼(のりより)クン(以下、ノリ君)が、今回の日枝神社に深く関係しているんです。(ノリ君は、牛若丸で有名な源義経の異母兄にあたります)
トモ君に忠実な弟・ノリ君は、兄ちゃんの命じるままに戦争に出かけてしっかり結果を持って帰ってきてたのね。(ノリ君は九州担当で、義経クン(以下、ヨシ君)は四国担当なの)
ノリ君はめっちゃマメな性格で、細かい報告をセッセと兄ちゃんにお便りしてたんだけど、ヨシ君はちっとも連絡が付かない、兄ちゃんの命に従ってはいたけれど、自由奔放な戦略とその人柄の良さにどんどん勢力と信頼度をUPさせて人気上昇中のヨシ君が壇ノ浦の戦いで戦果を上げると、自分が決めてもいないのに、後白河上皇がヨシ君に検非違使(けびいし)の位を与えちゃったので、カチン!と来ちゃったトモ君。
ノリ君にヨシ君を討てと命じちゃったの。
(兄弟で一緒に戦ってきたのに、権力争い勃発なワケ。)
兄ちゃんダイスキだけど、ノリ君は弟を手にかけたくないょと初めてタジタジ。
ノリ君の信頼度がここからガタガタと崩れだしました。
日本三大仇討ちの一つ、曽我兄弟の仇討ち事件が起きた直後、しばらくの間鎌倉ではトモ君の消息を確認することができず、トモ君の安否を心配する妻の政子サンに対して鎌倉に残っていたノリ君が気遣って「この範頼が控えておりますので(ご安心ください)。」と見舞いの言葉を送ったんだけど、この言葉が、謀反の疑いアリと取られノリ君はこの日枝神社の一角に幽閉されちゃったわけ。
言葉って難しいよね、特に昔の人の言葉って、わかりにくいのにさ~誤解もアリだよね。
しかも、何度も泣いてゴメンナサイm(_ _)mってわびているノリ君を許さなかったトモ君。優秀な兄弟をことごとく消して行く徹底ぶり。
さほど優秀でない兄達はサッサと出家して仏門に入ったりしてるので、トモ君はプライドが高かったんだろうね。 幕府を開いた時は、なかなか見所ある政治をしてたんだけど、なんだか最後の方は、守りに入っちゃった?そんな感じね。
ノリ君は、何度も攻められ、後に自害したと伝えられています。
でも、ウワサでは、自害したのは別人で、逃げのびた説がありまして、実際、ノリ君の子孫を名乗っている人も居るんですって。
いろんな誤解が混ざり合って疑いが生じ、また権力が加わることで、
さらにドロドロになっていく。
人と人が解り合うためにはどれだけの時間が必要なのだろうね。
殺し合いにはならないけれど、現代社会も似た部分・・・あるよね。
きっとキッカケは、『ほんの少しの誤解とすれ違い。』
もし、私達に他人と何か問題が起きた時は、
『ほんの少しの誤解とすれ違い』を正してから
問題解決致しましょう!!
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