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*村ちゃんの歴史ぶらり旅!     *今川義元塚供養塔! 正覚寺(清須市)

2021-02-16 | Weblog

*今川義元塚供養塔・碑!   

*住所=清須市須ケ口332(正覚寺境内・碑)!

*正覚寺・碑!

 

  

正覚寺参道!    今川塚供養塔(境内)!

 

*今川塚供養碑!

 

*今川塚説明板!

*今川塚供養碑!

永禄3年(1560)の桶狭間の戦いで織田信長は、

今川義元を討ち取りました。「信長公記」によると、

清須城外の須ケ口に義元塚(今川塚)を築いて丁寧に弔ったとされています。

その後,寛文元年(1661)に正覚寺六代三誉上人と、

念仏講同行14名の名前が刻まれた生前供養のための、石碑を建立しました。

これが、今川塚供養碑と言い伝えられています。

美濃路沿いの須ケ口2334-3の山内伊之彦氏所有地内に、

建てられていたものを、平成19年(2007)現在の(正覚寺境内)に、移設しました。

「南無阿弥陀仏為 念仏講同行14人 正覚寺六代

 三誉上人 逆修(十四名記名) 設敬」

「当寛文元暦 辛丑八月十五日 春日井郡 清須外町」

*清須市教育委員会! 説明版より!

 

*大雄山正覚寺(浄土宗)!

関ケ原の戦いの功で清洲城主となった松平忠吉(徳川家康四男)が、

亡母西郷局(後に宝台院という)の菩提寺として、

前任地の忍(埼玉県行田市)にあった大雄山正覚寺を慶長8年(1603)に、

ここ清須外町に移したのが当寺の始まり。満誉上人を開山とした。

忠吉は寺野村で百石の寺領を寄進するなど、保護に努めたが、

慶長12年(1607)27才の若さで跡継ぎもなく江戸にて逝去した。

家康の命により葬儀は増上寺で営まれた、位牌は当寺に安置された。

翌年の一周忌法要は、家康制礼のもと、21日間という長行が当寺行われた。

慶長15年(1610)に始まる清洲越で、当寺は忠吉の法名から、

大雄山性高院と改名して名古屋に移され、忠吉の菩提寺となった。

一方、その後すぐ清須の旧地にも、旧名のままで再建されたのが、

当寺で、宝台院の菩提、性高院の霊牌、忠吉に殉じた4名の家臣の、

位牌を護る由緒ある寺院としてこの地に続いてきた。

美濃路に面したこの寺では、忠吉ゆかりの宝物のほか、

忠吉母子の供養塔である宝篋印塔、佛足石桶狭間の戦いで、

倒れた今川義元に関わる「今川塚供養碑」平成19年(2007)移設、

須ケ口一里塚にあった道標など、多くの歴史に出会うことができる。

*美濃路まちづくり推進協議会!  

*説明板より!