土田城碑 説明板
土田城碑 説明板碑
説明板碑 麓五輪塔
本丸東御嶽山 本丸東
山頂本丸跡 本丸跡
本丸跡 本丸跡
*(土田城址・説明板)!
*美濃可児・土田城!
住所=岐阜県可児市土田4778-1
土田城跡は文明年間(1469~1487)頃に、土田氏によって築かれたと伝え
られています。弘治二年(1556)土田源太夫が「明智城」において討死したのち
は、丹羽郡小折城(愛知県江南市)の生駒氏に養子となっていた「親重・親正」が
城主となり、親正は「織田信長」に仕え、天正二年(1574)には土田城を去っ
たとされています。後には「豊臣秀吉」に仕え各地を転戦し、天正十五年(158
7)には、「讃岐・丸亀城主となりました。
城は、約十メートル四方の小規模な曲輪が南北にそれぞれ二面配されています。
土田氏や生駒氏は、山麓の居館に居住し、合戦の際には、土田城に立て籠つてた、
と考えられます。 又、「織田信長」の生母である「土田御前」が生まれたとも言わ
れています。
*江戸時代の記録に見る「土田城」!
尾張藩士の松平君山(秀雲)が宝暦六年(1756)にまとめた「濃陽志略」に、
「生駒甚助(親正)が、天正年間に居城したと記されている。
又同じく「尾張藩士」の「岡田敬」が天保期以降まとめた、「新撰美濃志」には、
「生駒氏城址」を天正期に「生駒道寿(親重)」同「甚助」が住み、
俗に「土田の城山」と呼ばれ、地元の人は「生駒三吉の城山」と言っていたと、
記されています。
可児市・説明板より。
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