土田御前誕生地碑 誕生地碑
御前碑 信長・土田御前像
系図 土田御前の経歴
(土田御前の経歴) 説明板!
*土田御前誕生地・碑!
住所=可児市土田4823-1
土田御前は、当地土田城主「土田政久」の息女とされ、縁あって尾張の「織田信秀」
の正室となり「信長・信行・秀孝・信包・市(お市の方)・犬(お犬の方)の生母と
して戦国の世の定めに従いました。
土田御前は、「うつけ」と呼ばれていた「信長」よりも、その弟である「信行」を可
愛がりったと言われます、
信行の死後は信長と共に暮らした時期もあり、信長やお市の子ども達(信忠・信雄
(のぶかつ)・信孝・茶々・初・江(ごう)の面倒を見たと言われています。
信長は天下布武の過程で、家臣であった「木村村重」に謀反の噂が立った際には、
村重に「母(土田御前)を人質として差し出すので出仕せよ」と言い、噂の真相を確
かめた逸話は有名です。晩年は孫の「信雄(のぶかつ)」子の信包のもとで暮らし、
文禄三年(1594)1月7日に安濃津(現在の三重県津市)で、
亡くなっています。逝去した年齢は不詳ですが、当時としては大変長寿であったよ
うです。墓所は三重県津市栄町の四天王寺にあります。
2017年4月 記 (可児市説明板より)。
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