*長束正家(関ケ原合戦)陣跡!
*住所=岐阜県不破郡垂井町栗原79
長束正家陣跡全景 正家陣跡祠
陣跡より濃尾平野 濃尾平野
*長束正家陣跡!
*陣跡説明板!
*長束正家は、石田三成らとともに五奉の一員として、
豊臣政権下で活躍した。行政手腕に優れ、特に算術に秀でていたという。
関ケ原の戦い当時は、近江国水口(滋賀県甲賀市)で12万石を領した。
関ケ原の戦いでは西軍に属し、三成らと毛利輝元を西軍に引き込む等の
活躍を見せる。決戦当日は南宮山のふもとに布陣し、
東軍の池田輝政隊と銃撃戦を展開したが、東軍への内通した吉川広家の、
妨害により攻撃に出られなかった。
敗戦後は水口城へ帰城したが、城を攻めた池田輝政の弟・長吉に欺かれ、
切腹させられた。
*説明板より!
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