ただのサッカーブログ

世間知らずの人間が書くサッカーを中心とした個人ブログ。2020年からはサッカー以外の事も少しずつ。

2024 奈良県社会人サッカーリーグ1部 ベスト11

2024-11-30 | Weblog
奈良県社会人サッカー連盟公式サイト参照

2024年度、奈良県社会人サッカー1部リーグ

ベストイレブン
名前、チーム、受賞数

池田丈輝、ポルベニルカシハラNEXT、初
椿本真也、法隆寺FC、6
上田貴裕、奈良クラブソシオス、6
塚田圭祐、ポルベニルカシハラNEXT、初
原田敦生、BANDITO生駒、初
河原実輝、ポルベニルカシハラNEXT、3
林拓郎、奈良クラブソシオス、初
内潟輝、法隆寺FC、4
長澤隆太、大和クラブ、10
岩城宏典、BANDITO生駒、初
池田智基、ポルベニルカシハラNEXT、初

得点王、岩城宏典10点、BANDITO生駒

フェアプレー賞、広陵クラブ



11月29日 閲覧数978PV、訪問者数542人

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2024 関西福祉天理

2024-11-29 | Weblog



関西学生サッカー連盟公式サイト参照
関西学生サッカーリーグ2部後期4節
24/9/29(日)12:00@関西福祉大学(人工芝G)
関西福祉大学 3-0 天理大学

得点
前23分、2吉弘
後16分、8杉本
後23分、8杉本

関西福祉大学
GK12杉野 伸太朗 
DF19古江 秀大
2𠮷弘 航太
63吉本 篤史
3小西 祐汰
МF8杉本 蓮
18茂木 碧生
14竹中 元汰
7山下 正之介 
FW11流羽 汰綺
32城 洸佑

天理大学
GK1柳本 升吾
DF2逢阪 良麻
3松元 航志
9川田 創
МF10木下 礼生 
7豊田 魁人
22吉村 凌太朗
14津田 和貴
27新保 晴嗣
FW11山田 颯太
26眞下 寛司


今年のリーグ戦で関西福祉大学を観た最後の試合。
結果、内容ともに、関西福祉大学の圧勝。
結果、準優勝し、1部に復帰。

逆に、天理大学は、12チーム中11位だったが
最終的には9位でフィニッシュし残留。
前半シュート0。後半シュート2本。
良かったという、記憶が全くない。

両チームの4年生は、卒業後、どうなるだろうか。




11月28日(木)閲覧数:1106PV 訪問者数:567人

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2024 関西学生サッカーリーグ1部 最終順位

2024-11-28 | Weblog


関西学生サッカー連盟公式サイト参照

2024年 第102回 関西学生サッカーリーグ1部、最終順位全22試合
順位、チーム 勝点 得 失
1阪南大学 42 60 32
2関西大学 40 30 26
3京都産業大学 39 38 26
4大阪体育大学 38 32 31
5大阪学院大学 37 39 28
6関西学院大学 34 37 27
7同志社大学 32 32 39
8大阪経済大学 30 46 33
9甲南大学 30 29 30
10京都橘大学 23 26 43
11立命館大学 17 27 45
12びわこ成蹊スポーツ大学 8 16 52

得点王 金本毅騎・阪南大学、18得点
アシスト王 佐野竜眞・大阪体育大学、14アシスト


1位から6位チームが、12月から始まるインカレに出場。
11位、12位が、関西2部に降格。
(例年なら、9位と10位が関西2部と入れ替え戦だが、もうなくなったのか?)



結果は、阪南大学が優勝。前期は、数多くの試合を
観てきたが、後期は、最終節しか観られずだったので
前期と後期の順位で、かなり入れ替わりがあった。

関大、関学が、前期までは上位だったが、後期は
取りこぼしが多かったようで、得点力を武器に
安定的に勝ち点を獲得していた阪南がトップ。

順位もそうだったが、最終節で観た大学と
前期で観た大学とで、かなりメンバーが入れ替わっている
大学があることもわかった。

前期にスタートダッシュに成功し、個人的に注目していた
大阪経済大学は、残留にこそ成功したものの
インカレ出場には届かず。
立命、びわこという、関西学生の名のある大学が
2部に降格というのも意外。

(画像は、先日の最終節の三木防災陸上)




11月27日(水)
981PV |557人

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2024 地域CL3戦目

2024-11-27 | Weblog

今回の地域CL3戦目などを忘れないようメモ書き

決勝ラウンドも3試合を通して見ないといけなかった。2日目だけ見ていたら福井が1番だと思っていた。


丸山がいないボンズは応援したくなかったが、
ボンズの5点目から、シュートを打てば点が入るのではと感じるような、空気。ここぞという選手層はすごかった。


ジェイリース、サミュエルというFWが機能していなかった。全社3日目はもっと速さがあり脅威が感じられたのだが


現場はある意味、マニアの巣窟、おそらく知った人も観戦に来ていたのだろうが、会うことはなかった


点を取る人が点を取る、FWが点を取る、飛鳥の清川が典型。チェントクオーレに足りなかったのはそこ。カップ戦でぶっとばして送り出してほしいと思っているが果たして。。


福井ボンズ戦の観客が約1100人、05年の地決ではあり得ない人数。05年は後藤健生氏が現場にいただけで、おーっとなっていてが、今回は特に何も感じなかった。




11月26日(火)
789PV |495人

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2024  福井対ボンズ

2024-11-26 | Weblog



福井対ボンズ。開始から福井は、おかしかった。
勝てば昇格という勢いにのる感じはなく、勝たなければ
ならないという心地の悪さが見て取れた。案の定、
開始数分に福井は失点。しかし、ボンズも
3点差をひっくり返そうという勢いをもって
開始から試合に挑んでいるようには見えなかった。

最後くらい勝って終わろうよ、くらいのモチベーション
にしか見えなかったが、後半に、2点差リードになったあたりから
風向きが変わり、ボンズが、4点目、5点目を取った
あたりから、いよいよ押せ押せムード。それに
福井は、のまれた。
一番やってはいけなかった点取り合戦の試合に
持ち込まざるを得ない展開に。

福井は勝ちにいく展開を目指すのと同時に、
どんなに悪くても2点差負けで抑えないといけない
(3点差をつけられることはあってはならない)
という難しい舵取りを強いられた事はあっただろう。
途中から5バック、2トップにして、攻守の安定を
計ろうと試みるも、ボンズの勢いに、のまれてしまった。

これが、最終戦同時キックオフではない大会の難しさか。




11月25日(月)
1065PV |605人

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24/11/24

2024-11-25 | Weblog


昨日も、西京極に行ってきた。地決は地獄の大会
と聞いた事があったが、それを目撃。1位の福井が
4位のボンズに3点差負けし、入れ替え戦の2位すら
守れず、敗退。これが地獄というやつなのかと
当事者でもないのに、ほんの少しではあるが
感じ取れた。試合後の福井サポーターの声援が
これまた、ツラかった。。

逆に、ノーマークだった飛鳥FCが優勝し、JFL昇格。
これは悔しいの言葉しかない。

現場には、岩切ケン氏や坂本慎治氏といった
元バンディ戦士の姿も。


この2ヶ月で、兵庫から滋賀大津2往復。京都西京極2往復。
島根県松江、大阪長居にも足を運び、とにかくキツかった。




11月24日(日)
1198PV |650人

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阪神鳴尾浜球場

2024-11-24 | Weblog


阪神タイガースが2軍の拠点としている鳴尾浜は
何処にあるのだろうと撮影したのが上記の画像。

甲子園から南に数キロ行ったところにあったと記憶している。

野球チームのような潤沢な資金のあるチームは
立派な練習場もあるのだなと思っていたのが
当時現場に行った感想だが

1994年完成から老朽化が原因で2024年をもって
尼崎に移転。鳴尾浜球場は、解体し、物流センターが
出来るらしい。画像に残しておいてよかった1枚。




11月23日(土)
830PV |471人

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24年11月22日

2024-11-23 | Weblog

昨日、金曜日は、ここに。

平日にサッカーを観る事の幸せ感じていたし
平日にサッカーをする事の幸せを感じていた
選手はいたのだろうか。まあ、人生が
かかっているから、それどころではないか。。

現場の試合の結果は
福井3-0飛鳥、市原0-0ジェイリース

どのチームにも、昇格の可能性を残して最終節へ。




11月22日(金)閲覧数:753PV 訪問者数:461人

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コベルコスポーツパークに行ってきた

2024-11-22 | Weblog


先日、コベルコスポーツパークに行ってきた。
国道43号線の東御影の信号から南へ数百m。
地元の人には、灘浜スポーツゾーンと言ったほうがわかりやすいか。
手前が、天然芝で、コベルコ神戸の専用グラウンド。

奥が、先日新しくした人工芝グラウンド。
ナイター照明とサッカーゴールがあるから
ちょっとしたサッカーの練習や大会はできるが
センターサークルなどのサッカーのラインはなく
公式戦には使えなさそう。



これがコベルコ神戸の専用グラウンド。
観客席、クラブハウス、倉庫、など
まさにプロ仕様。芝も管理が行き届いていて
いることを感じさせるグラウンド。

ちなみに画像の反対側には、テニスコートがある。





11月21日(木)
709PV |473人

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伊藤龍生/元Jリーガーがクラブ設立 中学生対象「丹波FC」 「選手個人の夢達成を」

2024-11-21 | Weblog
https://news.yahoo.co.jp/articles/af936471ec50556d9a5bffd28c6560d4df6f9944


元Jリーガーがクラブ設立 中学生対象「丹波FC」 「選手個人の夢達成を」/兵庫・丹波市
24/6/30(日) 10:10配信

丹波新聞
平日夜の練習拠点となる新井小学校グラウンドで、無料体験会の参加を呼びかける中学サッカークラブチーム「丹波FC」の伊藤代表(右)と渡邊副代表=兵庫県丹波市柏原町大新屋で


 兵庫県丹波市出身の元Jリーガー、伊藤龍生さん(25)が、同県丹波地域を拠点にする中学生対象のサッカークラブチーム「丹波FC」を立ち上げ、1回目の無料体験会を7月13日午後5時半―7時、丹波篠山総合スポーツセンター(同県丹波篠山市郡家)で開く。チーム代表を務める伊藤さんは「将来的にはJリーガー輩出を狙うが、サッカーだけでなく、人間的にも成長し、選手個人個人の目標や夢を達成できる指導をしていきたい」と話している。


 7、9、10月の3回、無料体験会を開き、8月に入部説明会を行う。来年1月にチームを始動し、現在の小学6年生と中学1年生で練習や練習試合を始める。当初は部員15人を見込む。2025年度も練習や練習試合を重ねてチームを成長させ、26年度からの公式戦参加を計画している。


 現在、丹波地域では、小学生のクラブチームが充実している一方、中学生は部活動の人数が減少。特に強豪高校を目指す選手たちは他地域のクラブチームに通う傾向にあり、伊藤さんは「中学でも地元の丹波地域で続けられる環境を整えたい」と考えた。


 スタッフ陣は伊藤代表のほか、小学生を対象に丹波市の北小学校や丹波年輪の里でフットサルスクールを運営している、元三菱自動車京都サッカー部の渡邊祐輝副代表(27、丹波市出身)、同サッカー部出身の木村春翔さん(22)、元立命館大サッカー部の足立泰さん(25)。センアーノ神戸の現役ゴールキーパー(GK)、中村裕介さん(33)がGKコーチを務める。また、成長期の選手をサポートする理学療法士も配置する。


 来年1月からの活動は、火、木曜の午後7―9時、丹波市の新井小学校グラウンドで行い、土、日曜は対外試合を行うか、丹波篠山総合スポーツセンターか西紀運動公園芝グラウンド(丹波篠山市西谷)で練習する。入会金1万円、月謝1万円。女子も受け入れる。


 無料体験会は、7月13日は小学5年生―中学3年生が対象。9月21日、10月19日は午後2―4時、小学4―6年生を対象に西紀運動公園芝グラウンドで行う。


 申し込みは、公式LINEから友だち追加し、「体験希望」とメッセージを送る。


 【伊藤龍生(いとう・りゅうせい)】 新井小4年生から柏原キッズFCでサッカーを始め、柏原中時代にヴィッセル神戸U―15に所属。強豪の鳥取・米子北高校では、3年時に全国総体8強、選手権で大会優秀選手に選ばれた。また、日本高校選抜としてJリーグ選抜と対戦し1ゴールを挙げた。鹿児島・鹿屋体育大3年時、「天皇杯」の名古屋グランパス(J1)戦で先制点を挙げて勝利に貢献。2021年J3のアスルクラロ沼津、22年JFLのFCティアモ枚方でプレーした。フォワード。180センチ超の身長と体格を生かした敵を背負うポストプレーや正確なシュートが持ち味。



11月20日(水)
791PV |521人

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2024 ヨドコウ桜スタジアム

2024-11-20 | Weblog

今年桜スタジアムに来たのは今回が初めて。2023年は3度、キンチョウと呼ばれていた時分にも
何度も訪れたスタジアム。メインは屋根で
覆われている点が良いが、満員では席が手狭に感じられる。メインの1階席は観やすいのは観やすいが、地方のサッカー専用スタジアムと観やすさは、さほど変わらない。俯瞰で
試合を観たい方には2階席での観戦をすすめる。

臨場感は長居スタジアムに勝るが、20000人弱の収容は最新スタジアムにしては寂しさがある。

あと、長居公園内、もっと言うと、桜スタジアムの

バックスタンドとアウェーのゴール裏のあたりに

自転車、バイク駐輪場が、設置された事は断固支持する!




11月19日(火)
640PV |431人

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24/11/17

2024-11-19 | Weblog


先日の日曜日は、長居公園へ。
関西学生サッカーリーグが最終節だったのと
Jユースカップが決勝戦との事だったので
それぞれ観戦。

学生リーグは、京都産業大対阪南大というカード。
阪南が勝てば優勝。引き分けでも得失点差の関係で事実上優勝
というラストマッチで、逆転されながら何とか追い付き
2-2の引き分け。結局、阪南大学がリーグ優勝。
京都産業大は3位フィニッシュで、両チームとも
2週間後のインカレへ。

場所を移して、ヨドコウでのJユースカップ決勝はヴェルディとサンフレのカード。

レギュレーションが変わったのか、1軍らしき
選手はほとんど出場せずだったが
後半途中までに、2点先取したヴェルディが退場者を出し、そこから必死に
耐えるという見応えのある試合で、私は私で
隣のサンフレサポーターの独り言に必死に耐えた。

この独り言さえなければ、馴染みのあるサンフレを
応援していただろうが、とにかく横の人間を
黙らせろうと、必死にヴェルディを応援!

結果は、2-1で、ヴェルディの逃げ切り。普段は
どちらかに肩入れして見ないのだが
今回だけは物凄くよかったし、90分で試合が終わったことも
個人的には、良かった!





11月18日(月)
933PV |574人

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安定を捨て挑戦を選んだ元「東大卒Jリーガー」 添田隆司・おこしやす京都

2024-11-18 | Weblog
https://www.sankei.com/article/20240628-CJF6OUFFL5LR3DW5W5JZGEM3OQ/

安定を捨て挑戦を選んだ元「東大卒Jリーガー」 添田隆司・おこしやす京都AC社長の冒険
一聞百見
2024/6/28 14:00

東大卒の元Jリーガーでおこしやす京都ACの添田隆司社長=京都市右京区

京都市をホームタウンとし、関西サッカーリーグ2部(J6相当)からJリーグ入りを目指す「おこしやす京都AC」。令和3年の天皇杯2回戦でサンフレッチェ広島(J1)に5-1と大勝し、サッカーファンを驚かせたこのチームを社長として率いるのは史上2人目の東京大卒Jリーガー、添田隆司さん(31)だ。大手商社への就職という「エリート街道」を自ら蹴り、「安定ではなく、挑戦する生き方をしたかった」と選んだいばらの道。スポーツの価値をさらに広げようと社長という〝ピッチ〟で汗を流し続ける。

「東大に進学したからこそJリーグの世界を経験できたんだと思います」。平成27年、当時J3だった藤枝MYFC(静岡県藤枝市、現J2)への入団の経緯を聞くと、意外な答えが返ってきた。

日本初のプロサッカーリーグ誕生に国内が沸いた「Jリーグ元年」(平成5年)に生まれ、小学校入学前からサッカー教室に通った。進んだ中高一貫の進学校では学外のクラブチームに所属。全国大会に出場するレベルの高い環境にもまれ、サッカー漬けの日々を送った。

京都大との定期戦でプレーする東京大サッカー部時代の添田隆司氏

東大を目指したのは「受験勉強でどうせつらい思いをするなら最難関の大学を」との思いから。入学後はサッカー部に入部し、4年時には主将として活動するなど充実した4年間を過ごした。園児から始めたサッカー人生、充実のままに締めくくるはずだった。

転機が訪れたのは4年生の冬。既に大手商社へ入社が決まり、商社マンとしての新たな生活に胸を躍らせる中、藤枝MYFCから練習参加の誘いを受けた。当時の藤枝の社長が「東大生がレベルの高いサッカー環境だとどれだけ成長するか見てみたい」と、東大サッカー部の主将獲得を希望していたことが大きな理由だ。

複数の偶然が重なり参加が決まった練習で感じたのは想像以上のプロのレベルの高さ。「自分は最下位だな」と思い知らされたが、練習後、クラブ代表から選手兼職員として入団の打診を受けた。理由は「下手だけど下手過ぎなかったから」。決断までに与えられた期限は2週間、最終日まで葛藤した。

大手商社に内定し、明るい未来へのレールは敷かれていたはずだった。藤枝への入団は先が見えない世界へ飛び込むこととなる。重大な決断を前に約20年間の人生を振り返った。よぎったのは進学時のある悩みだった。高校では全国大会出場の実績がある強豪校に、大学でもプロを多く輩出する私立大にそれぞれ進む選択肢があった。

「サッカーがうまい人だけの中でやることへの恐怖感があった」

サッカーの実力だけでチャレンジすることを避けてきた。これまで通り安定した心地いい環境で生きるのか、それとも挑戦するのか。「前に向かって挑戦できるような人でありたい」との思いが突き動かした。


藤枝に入団を伝えるメールを最終回答期限の約5分前に送った。「人生最大の決断だった。私の人生の方向性はそこで決まった」。東大に進学していなければ開けなかったかもしれないサッカー選手への道。いよいよJリーガーとしての道が開けた。

「東大卒」に葛藤 見いだした光
おこしやす京都ACの添田隆司社長。就任時は25歳だった

平成27年、当時J3の藤枝MYFCに入団した添田さんだが、選手生活は順風満帆とはいえなかった。

「サッカーの世界で一番下手な状態で入ることが、どれだけつらいか身にしみて分かっていました」。入団前の練習参加から分かっていたレベルの差。入団後も「一番ヘボだった」と笑うが、独り歩きする東大卒の肩書と自らの実力の差に葛藤があった。

「東大卒Jリーガー」は周囲の注目を集め、地元のテレビ局が密着し、入団からデビューまでを追いかけた特集番組も作られた。しかし、ピッチで結果を出しているわけではない。「今思うとプロの考え方ではないですが、『できる限り放っておいてほしい』と思っていました」

史上2人目の東大卒Jリーガーとして藤枝MYFCでプレーした添田氏

選手兼クラブ職員として午前は練習、午後は9時まで仕事をする生活を送り、週末は試合準備のため看板運びをすることも。シーズン1年目は8試合に出場したが、翌年の出場試合はゼロ。3年目の途中でチームを去り、アミティエSC京都(現・おこしやす京都AC)に移籍する。

そんな生活の中でも、未来を切り開く手がかりがあった。地域貢献活動の一環で放課後の学童保育を訪れると、子供たちは笑顔で迎えてくれた。一緒におやつを食べたり、サッカーをしたり。どうやったらうまくなるか質問攻めにもあった。大活躍していたわけではないが、即席のサイン会を開くと長蛇の列ができた。「僕みたいな選手でも喜んでくれる」。Jリーガーという立場だからこそできた経験。自らが「ローカルヒーロー」になれた瞬間だった。

「スーパースターの存在も必要だが、身近で関わることができるローカルヒーローのような存在も地域には求められている」。名は知られていなくても近い距離で接することで子供たちに目標や喜びを与えられる存在になれる。子供たちの笑顔に「地域スポーツの役割」を確信した。

こうした選手時代の経験は若手選手と向き合う立場となった今、実感をもって伝えることができるという。

大手商社への内定を辞退し、自らの意志で挑戦したJリーガーへの道。選手として目立った結果は出せなかったが、下した決断に悔いはない。「あの挑戦があったからこそ、今もさまざまなことに挑戦できている。いい決断をした」

平成29年、サッカー選手としての生活に区切りをつけ引退。翌平成30年、名前を変えたおこしやす京都ACの社長に就任した。「チームを上げていく(昇格させる)ことにJリーグでの経験を使いたい」。当時25歳の若さで新たなステージに挑む決断をした。

「サッカー経済圏」で恩返し
「サッカー経済圏」をチームのビジョンに据えるおこしやす京都ACの添田隆司社長

新たに歩み始めたおこしやす京都ACの社長としての道。添田さんは「イメージが全くない中でのスタートでした」と手探りでの始動を振り返る。

忘れられない試合がある。平成29年、おこしやす京都ACの前身チームに移籍し、選手としてプレーした最後のシーズン。あと1勝でJFL昇格を逃し、「これまでの経験を今度はチームの昇格に使いたい」と誓った。選手を続ける道もあったが、裏方としてチームを支えることが最大の貢献だと考えた。

選手がチームの社長となる例は少なくない。「ミスターセレッソ」と称され、日本代表として活躍し、セレッソ大阪(J1)を社長として率いる森島寛晃氏らが著名だ。そうした存在と比べ、アマチュア契約だった添田氏。「選手としての経歴は圧倒的に違うが、サッカーという事業の可能性を選手目線でも体感できた」との手応えは大きかったという。

おこしやす京都ACの社長として、支援者らとの交流会であいさつする添田氏

おこしやす京都ACはチームのビジョンに「サッカー経済圏」を据える。サッカーの場を飛び越え、地域社会で人の交流の中心となることを目指している。クラブの活動から生まれるスポンサーや地域の人とのつながりをクラブを媒介して、さらに広げ、日常生活で接点のない人々との出会いを生む。

こうして地域社会の新たなコミュニティーを創出することが、クラブの目指す地域社会への役割であり、スポーツが生む新たな価値だと信じているからだ。

きっかけは原点ともいえる藤枝MYFC時代にある。スポンサー訪問や試合の集客のため、数多くの地元企業や児童施設などに足を運んだ。特に、多くの中小企業の経営者の自由な発想や行動力に感銘を受けたことを覚えている。

「すごい価値観を持った人が地域にもいる。こんな人たちが集まればすごいことになる」

地域社会が持つ可能性に期待が膨らんだ。学童保育で出会った子供たちの笑顔やチームを応援する高齢者など、サッカークラブという存在が生む人のつながりの幅の大きさにも気づかされた。そうした経験から生まれた「サッカー経済圏」という概念。これこそが地域スポーツの持つ価値であり、その価値を広く浸透させるべくいそしむ。

天皇杯でJ1サンフレッチェ広島に5-1で勝利した試合をスタンドから見守っていたという添田氏

社長としてクラブ運営に携わり6年。結果の出ない時期もあり、苦しんだこともあったが、「最高の恩返しができた」と振り返る経験もできた。令和3年の天皇杯、当時5部相当だったチームは、J1サンフレッチェ広島を5-1で下し、史上最大ともいわれる「ジャイアントキリング(大番狂わせ)」を起こした。喜んでくれたスポンサー企業や地域の人々。クラブの地域への浸透を身をもって感じる瞬間に「これまでやってきたことが間違いではなかった」と胸をなでおろした。

東大を経て、たどりついた経営者の道。「スポーツが単なる娯楽ではなく、人の暮らしが豊かになる『心のインフラ』として不可欠なものにしたい」。身をもって体験したスポーツが持つ可能性を信じ、その価値をさらに高めていく。


そえだ・たかし 平成5年、東京都生まれ。東京大経済学部卒。東大では4年時にサッカー部主将としてチームを率いた。在学中、大手商社に内定するも平成27年、練習参加を機に藤枝MYFCへ入団。3季所属し、J通算計10試合出場した。平成29年、おこしやす京都ACの前身、アミティエSC京都に移籍し同年、現役引退。翌平成30年、おこしやす京都ACの社長に就任した。




11月17日(日)
836PV |508人

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2024 ファジアーノ岡山 対 神村学園

2024-11-17 | Weblog


高円宮杯 JFA U-18サッカープレミアリーグ 2024
第15節 2024年09月22日 10:00 KickOff
@政田サッカー場(人工芝)

ファジアーノ岡山U-18 0-3 神村学園高等部
0 前半 2
0 後半 1

得点
13分 名和田 我空
16分 名和田 我空
68分 大成 健人

警告
6 川上 航生
31 千田 遼
9 ミキ・ヴィトル

ファジアーノ岡山U-18
GK 1 脇谷 静香
DF 2 脇本 祐希
DF 4 瓶井 常葉
DF 6 川上 航生
DF 31 千田 遼
MF 5 南 稜大
MF 7 藤田 成充 (Cap.)
MF 10 磯本 蒼羽
MF 23 白神 端基
MF 25 堤 涼太朗
FW 11 石井 秀幸 

選手交代
4 瓶井 常葉▼59分 OUT 14 田原 悠帆▲59分 IN
25 堤 涼太朗▼59分 OUT 27 坂本 蓮太▲59分 IN
23 白神 端基▼69分 OUT 9 ミキ・ヴィトル▲69分 IN
5 南 稜大▼75分 OUT 26 加納 尚則▲75分 IN
11 石井 秀幸▼75分 OUT 37    安西 来起▲75分 IN

控え選手
GK 12 来海 良宣
DF 14 田原 悠帆
DF 24 田邊 健太
MF 9 ミキ・ヴィトル
MF 26 加納 尚則
MF 27 坂本 蓮太
FW 37 安西 来起 



神村学園高等部
GK 40 清水 怜
DF 3 黒木 涼我
DF 4 鈴木 悠仁
DF 5 新垣 陽盛
DF 20 中野 陽斗
MF 9 大成 健人
MF 10 福島 和毅
MF 14 名和田 我空 (Cap.)
MF 15 松下 永遠
MF 26 岡本 優翔
FW 13 金城 蓮央

選手交代
9 大成 健人▼70分 OUT 8 吉田 唯竜▲70分 IN
10 福島 和毅▼70分 OUT 12 徳村 楓大▲70分 IN
26 岡本 優翔▼85分 OUT 31 西村 朋倭▲85分 IN
13 金城 蓮央▼85分 OUT 27 伏原 俐空▲85分 IN

控え選手
GK 17 江田 優大
DF 2 友利 楓樹
DF 8 吉田 唯竜
MF 7 漆島 幹大
MF 12 徳村 楓大
MF 27 伏原 俐空
FW 31 西村 朋倭


9/22ファジアーノ岡山
11、5
10、25、7C、23
2、4左、6、31
1
神村学園
26
14C、10
9、4、15、13
3、5、20
40

神村学園、ホットスタッフが胸スポンサー。
12分、神村14のミドルシュートで先制
16分、神PK、ファジが倒す0-2
名和田は、さすがモノが違う


岡31、後半途中から左CB
後23分、神村3点目。

サッカーにこそなっているが、全然勝てる気がしないファジ。
ゴール前に迫って、シュートも放つが、得点のにおいは、まるでない。

神村、長岡、静岡、どこもファジより強く、その中で
神村が一番強い印象。

神村、サガンと九州のレベルの高さも感じる。




11月16日(土)
757PV |489人

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神鋼所有のスポーツ施設名「コベルコスポーツパーク」に

2024-11-16 | Weblog
https://www.kobe-np.co.jp/news/economy/202410/0018231490.shtml

神鋼所有のスポーツ施設名「コベルコスポーツパーク」に 一般開放のグラウンド、人工芝を新調しふかふかに
2024/10/15 15:44

 神戸製鋼所(神戸市中央区)は11日、神戸市東灘区に
所有するスポーツ施設内のグラウンドの人工芝を張り替え、
関係者にお披露目した。施設名を「灘浜スポーツゾーン」から
「KOBELCO(コベルコ)スポーツパーク」に変更。
地元の小学生向けにラグビー教室も開かれた。

 施設には、ラグビー・リーグワン1部のコベルコ神戸スティーラーズ専用の
天然芝グラウンドやクラブハウスがあり、
一般に人工グラウンドやテニスコートを開放している。
人工芝グラウンドは2005年、
同社の創業100周年記念事業の一環で整備された。

 張り替えた人工芝は住友ゴム工業(神戸市中央区)製のスポーツ用で、
しなやかで柔らかく、耐久性も高いという。
お披露目の式典では中森慶太郎執行役員が「地域住民のみなさんに
気持ち良く利用してもらいたい」とあいさつした。

 ラグビー教室には、同市立なぎさ小(同市中央区)と
灘の浜小(同市灘区)の児童約150人が招待され、
ふかふかの芝生を駆け回った。(石川 翠)


引用以上


灘浜スポーツゾーンと呼ばれていた施設を上記に
改名し人工芝と看板を一新したとのこと。
コベルコの専用グラウンドなので、ラグビー専用かと思いきや
ラグビー・サッカー・アメリカンフットボール・
グラウンドゴルフに使用が可能。行ってみたいグラウンドだが
まだ行けていない。。



11月15日(金)
644PV |437人

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