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インドのキャンドルデモ
インド政府は、レイプ犯に死刑適用をするそうです。昨年の女性学生レイプ殺害事件以来、抗議デモが激化していたインドでは、刑法を改正し、レイプ犯罪の最高刑を死刑にするなど厳罰を科す政令を、2月1日に閣議決定して、2月3日に署名により発効したそうです。P
レイプ犯罪の最低刑期もこれまでの7年から20年に引き上げられましたが、死刑は殺害や、意識不明の危篤状態にしたケースに限定されているそうです。また、ストーカー罪を新設のほか、交際を拒否する女性に男が犯罪に走るケースにも罰則を強化したそうです。
アメリカ・ウォールストリート・ジャーナルでは、2011年にインド国内では2万4,206件ものレイプ事件が警察に親告されたという当局の統計も報道し「女性運動家の推計によれば、インド全体では4万~10万件の未解決のレイプ事件がある」と紹介しています。性的暴行を含む女性に対する犯罪は2011年で22万9000件でした。レイプで親告される事件は氷山の一角とも言われますが、それでも、一日に66人もレイプ被害の親告罪があり、一日に627件(3分に1回)もの女性への暴力被害事件がある今日のインドです。
立ち上がったインド女性
一方、死刑大国の汚名を持つ中国では、インドなどより、従来からもっと厳しく死刑をもってレイプは罰されてきました。(中国は、今日の全世界で執行される死刑の90%以上を執行する死刑大国との国際非難が従来からありますが、北朝鮮は昔からですが、中国も近年、死刑執行件数を公表しなくなり、今日はその実態さえ分からないのが実態です。)
しかし、中国では、殺害にいたらないケースでも、14歳未満の少女への淫行で悪質なケースや、複数のレイプ犯罪や、公共の場所においてのレイプや、二人以上の輪姦や、レイプにより重傷を負わせたり重大な後遺症を与えた者は、殺害事件でなくても、犯人は死刑にも処せられるといわれます。(中国刑法第236条)
中国と同様に日本でもまだ死刑制度がありますが、日本では殺人事件でなければ、レイプ犯が死刑となるケースもなく、しかも親告罪です。
最近の人口統計でも女性に比して男性の比率が中国(106.8)もインド(107.5)もパキスタン(106.0)も韓国(106.4)も客観的に多いと言われます。これらの国は、男の性をめぐる欲望が原因で、略奪や暴力、衝突や民族間の争いさえも起こる「男性過剰社会」のリスクが客観的にあると言われます。
(人口統計予測では、中国では、2020年までに3千5百万人の生涯独身男性候補が発生する予想です。これは、現在のカナダの人口3千4百万人よりも多い人数です。厳しく、犯罪が罰せられなけばならないのは、犯罪が客観的に多いというリスクが背景にはあるようです。韓国でも2014年に38万人も結婚できない男性が発生すると言われています。死刑が事実上凍結されている韓国では、最近多発する強姦への対応策として、強姦未遂で禁錮10年の判決を受けて服役中の受刑者に対し、昨年、初めて、薬物去勢を行うよう司法命令を出す事例がありました。
日本では、戦前までは、地方ではレイプ婚的な風習があり、「夜這い」等とも呼ばれ正当化されていました。戦後も1959年に鹿児島で起きたレイプ事件では懲役3年の実刑が出ましたが、裁判過程では、多数の地元住民が情状酌量を求める嘆願書を提出「お上は地場の風習に手を突っ込むのか」「子供の頃に『おっとい嫁じょ』で提灯を持ったことがある。何が悪いのか」などと多くの住民が開き直り、弁護人は「地元で(レイプ婚)『おっとい嫁じょ』は適法視されており、行為者に違法性の認識はなかった」とまで主張しました。)
中華人民共和国刑法は、故意殺人のような生命を侵害する犯罪に限らず、国家機密漏洩などスパイ行為、政治的犯罪、故意傷害や放火、電力設備等破壊などの悪質な暴力行為、麻薬密輸・販売等の薬物犯罪、賄賂授受や業務上横領等の汚職行為、金融詐欺や通貨偽造等の経済犯罪、人身売買、売春や性犯罪、文化財密輸、武器弾薬や毒性物質等危険物の窃盗など多義に渡って広く経済犯など外国では罰金刑ですむ行為でも死刑になります。
また死刑宣告も三権分立していない司法機関における二審制で、高等裁判所段階で次々に死刑判決がでます。近代刑事訴訟手続が要求するデュープロセスも整備されていません。執行猶予がついた死刑判決の場合は、無期懲役に減刑されるケースも最近は増えてきているそうですが、人民最高法院は、死刑判決について執行前に審査はしますが次々に死刑執行の許可を与えます。新疆ウイグル自治区では政治的理由での死刑判決も行われており、チベットや東トルキスタンの民主化活動家や法輪功信者や農民運動活動家に対して行われた拷問では死刑に至らずとも、虐待死さえ起こっている疑惑があります。
(東トルキスタン・新疆ウイグルではイスラムテロ犯罪が多いためで、法輪功信者はカルト集団で被害は信憑性が乏しいとも言われています。J)
中国紙は2月1日、チベット族に焼身自殺するよう扇動したとして、四川省アバ・チベット族チャン族自治州の裁判所がチベット僧(40)に対し、殺人の罪で執行猶予付きとは言え死刑判決を言い渡したと伝えています。
外国に自殺抗議の情報を流しただけとも思えるのですが、自殺を扇動した罪があるとの理由で死刑判決を下したのです。昨今、自殺を図ろうとするチベット僧を拘束することで話題となっている中国ですが、自殺する自由さえ死刑をもって奪うのでしょうか?
戦前は、第二次大戦中のナチス政権が死刑大国と言われました。ナチス刑法は46以上の種類の行為で4万人も死刑にしたと言われます。また、占領先においては、リンチ・絞首して木に吊るすなどの私刑の死刑写真も残っていますが、即決の軍事裁判で死刑とされ「妻子と祖国への義務を怠ったため、私はここに吊るされている」などと書かれたプラカードを首から提げて、街灯に吊るされるナチスによるみせしめ死刑の光景もいたるところで見られたと言われます。
(また、2006年11月に中国の衛生部副部長の黄潔夫氏は広州市での全国会議で「我が国での臓器移植は主に死刑囚提供に頼っている」と初めて語ったそうです。2009年8月末の英国「チャイナ・デイリー」は同副部長の発表として中国の「65%強の移植用臓器は脳死者からの提供で、そのうち9割以上は死刑囚のものだ」と衝撃の発言をしています。また、国連の拷問問題特別報告者マンフレッド・ノーワック氏は2009年に中国の「死刑囚の公表人数と臓器移植の数が噛み合わない」との見解を論じました。2012年の米議会公聴会でも、中国で毎年2000人~8000人が死刑処刑されているとされていますが、一方で約1万件の臓器移植の実績があるのです。生体臓器売買や労働教育での疑惑を指摘する人もいます。P)
中国も実はつい最近まで、ナチスとおなじような、見せしめの公開処刑を行っていました。まとめて数人の被告人の公開裁判を行い、公開処刑するケースが昔は多かったのです。そのため、中国の処刑画像が世界の各種報道やインターネット上で公開され、中国の死刑大国のイメージは世界中に普及しました。2005年3月15日の「デイリーチャイナ紙」の報道によると、1995年当時のクリスマスの一週間前に、深曙V市では13人の犯罪者が2万人の市民たちの前で公開処刑され、その1ヶ月後の1996年1月20日にも14人が同じ場所で公開処刑され、同年2月13日にも16人が公開処刑されたといいます。また、同じ頃に北京でも8人犯罪者が公開処刑されたとも報道されていました。中国本土では閲覧が規制されているYouTube等のサイトには、銃殺による10人の女性の同時公開処刑の画像など、多くの残虐行為がまだ掲載されています。P
(しかし、北京オリンピックを控えた2007年以降は、中国は公開処刑を、行ってはいません。また銃殺から薬殺に処刑方法も変更されたそうです。昨年3月の中国刑法改正では、死刑判決となる被告人に人民最高法院(最高裁)での最終陳述機会を与えることを明記し、拷問など違法な取り調べで得た証言は裁判の証拠から除外するとして人権にも一定の配慮がされるように改善されました。香港とマカオでは、中国への復帰後も既に廃止された死刑制度は復活しませんでした。社会が民意の向上と犯罪の減少に繋がっていけば、死刑大国の汚名はいずれ返上されることでしょう。J)
平和を実現したローマ帝国は1786年に、死刑を廃止したそうです。今日の欧州諸国では死刑廃止国が主流です。イタリアは1889年に刑法改正で死刑を廃止しました。ポルトガルでも、1867年には死刑を廃止しています。やはりカトリックの国は、国家であっても殺人を実施することへの罪の意識が強く背景にあるようです。ナチズムへの反省からドイツも戦後1949年(西)に死刑を廃止しています。
いまや世界の3分の2を超える国が、法律上、または事実上、死刑を廃止しています。
2012年のアムネスティインターナショナルの統計では、あらゆる犯罪に対して死刑を廃止している国が97カ国で、通常の犯罪に対してのみ死刑を廃止している国が8カ国、事実上の死刑廃止国は35カ国です。世界では法律上、事実上の死刑廃止国の合計は140カ国にも達しており、もう圧倒的な多数派となりました。
韓国では1998年以後死刑が凍結されています。
しかし、かつては、死刑大国の一員でした。2009年の韓国法務省の資料によれば、韓国政府は1949年7月14日から1997年までに合わせて920名に死刑を執行したとされています。
1997年12月30日に23名の死刑を執行して以来、死刑囚はまだ、現在もいますが、死刑が執行された例は近年ありません。アムネスティ・インターナショナルは、もう実質的に死刑廃止国として韓国を認定し、韓国国内ではカトリック教会や聖公会等のキリスト教団体が正式な死刑制度の廃止を訴えていいます。2010年2月25日、韓国の憲法裁判所は、死刑を合憲とする判決を行ってはいますが評決は5対4で、1996年の判決の7対2よりも僅差となりました。もう死刑廃止は時間の問題とも言われています。
韓国の死刑判決といえば、1997年に韓国大統領となった金大中の死刑判決が有名です。
1970年9月に新民党の大統領候補に指名された金大中は翌1971年の大統領選では現職の朴正煕に97万票差にまで迫りました(朴正煕634万票、金大中537万票)大統領選の直後、交通事故を装った暗殺工作にも遭い、股関節の障害を負っています。
そして、1973年8月8日、東京に滞在中、ホテルグランドパレスで、謀殺を意図した韓国中央情報部 (KCIA) に誘拐され、逮捕され公民権を剥奪されますが、1980年公民権を回復、政治活動を再開し5月18日に再び逮捕されます。
そして、光州で起きた民主化要求のデモを軍部が鎮圧し、流血の惨事となった1980年光州事件の首謀者とされ、死刑判決を受けました。
しかし、死刑判決に対する国際的な批判が強まり、1982年に閣議決定により無期懲役に減刑され米国への出国を条件に死刑が執行停止されました。
1980年の光州事件以前にも、朴正煕政権による民主化運動弾圧で多くの死刑判決が下されています。
1974年の「民青学連事件」で死刑判決を受けた詩人、金芝河氏が日本では有名です。
金芝河氏については、日本の評論家の鶴見俊輔氏や作家の大江健三郎氏らがハンストで、当時の朴政権に抗議するなど、支援運動や署名活動が日本では、活発化しました。
金芝河氏は約7年間投獄され、1970年にも国会議員ら権力層を批判した風刺詩「五賊」を発表して投獄されています。
死刑判決がでた後、投獄から重病ともなったため一時病院に移された時期に、鶴見氏が当時、韓国を訪れ、日本などでの支援署名を渡した時の状況が、書籍で紹介されているそうです。
「ここに、あなたを死刑にするなという趣旨で、世界中から集めた署名があります」。
と励ました日本人からの声に、当時、死刑判決と病の二重苦に絶望していた、金芝河死刑囚は、片言の英語で「あなたたちの運動は、私を助けることはできないだろう。」と冷静で悲観的な言葉で受けました。「しかし、あなたたちの運動を助けるために、私は署名する」と付け加えることを忘れませんでした。逆に支援者の運動を支援すると励ましたのでした。
「どんなに絶望的な状況でも、冷静に、こびずへつらわず、礼儀と相手を思いやる心を忘れななかった。この死刑囚こそ、韓国民主化運動を象徴する抵抗詩人・金芝河であった」と鶴見氏は称えて紹介していたことが報道されています。
金芝河氏が死刑判決を受けた事件は日本人も含む200人以上が摘発され、死刑判決も続出した大弾圧事件でした。内外の抗議運動の高まりで、実際の死刑執行者は出ませんでしたが、翌年に、事件の逮捕者らを背後で操ったとした8人については、残念なことに死刑執行がされてしまった「人民革命党事件」が起きています。
人民革命党事件は、朴正煕政権下の韓国中央情報部(KCIA)が、社会主義思想の人間というだけで告訴し、思想を理由に死刑にしたような事件で、被告は、1965年の第一次事件では反共法で、1975年の第二次事件では国家保安法によって告訴されました。1975年4月9日に韓国大法院は被告8人に死刑を宣告し、抗議の声が届けられる時間さえなく、死刑判決から18時間後に即決で死刑が執行されました。結局、後日には、全員無罪ともなりましたが、結果として8名の命は戻りませんでした。
当時、死刑判決と病で絶望したかとも思えた、金芝河氏でしたが、支援者の運動を支援するとの約束通り、その後も抵抗詩人として、絶望と死を拒否して生き抜きました。
今回の大統領選では、女性こそが、韓国の次期大統領になるべきだとの主張から、金芝河氏はあえて、自分の立場とは反する保守系の朴氏の支持を表明しました。かつて自分に死刑判決を下し、仲間を死刑執行した独裁者の朴正煕のファーストレディも務めた娘の朴槿恵でしたが、女性の時代に希望を託し支持したのです。韓国では「歴史的な和解」などと話題も集めました。
ソウル中央地裁は2013年1月4日、再審判決でようやく、金芝河氏に無罪を言い渡しました。それは、絶望の死刑判決からもう39年も経過した末の勝利でした。