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東京での「世界ウイグル会議」開催に対し、中国政府は反発しました。4月23日自民党本部で日本ウイグル国会議員連盟と日本ウイグル地方議員連盟が急遽設立され、世界ウイグル会議メンバーは靖国神社を参拝したため「中国の分裂分子と日本の右翼勢力が結託して、日中関係の政治的本質を破壊するものだ」と、中国側に主張されました。まるで、反中国の政治的思惑からウイグル問題支援が日本の保守勢力からされたようで、問題が矮小化されてしまったのは、ウイグル族にとって残念なことです。言論、集会の自由が形式的には保障されている「民主主義国家」日本の常識など、今日の中国に通用しない論理であることはよく知られていることで、中国政府の主張に違和感はなく、むしろ世界ウイグル会議メンバーが靖国神社を参拝する必要性に疑問が生じました。
中国から各国に亡命したウイグル人で組織された「世界ウイグル会議」のカーディル議長は米国への亡命者です。(中国側に言わせれば実の息子2人が獄中にあり、カーディル議長もかつて獄中にあった犯罪者だったそうですが。)決してテロ容疑者ではありません。しかし、今回の世界ウイグル会議に出席を希望した中国出身のウイグル族男性2人の査証(ビザ)申請については、日本政府さえ拒否していました。(2人はキューバの米海軍基地にテロ容疑者として一時期収容されていました。米国では一応無罪と判断されたためパラオに移送されていました。)昨年7月にウルムチ市では、住民に無差別襲撃事件が相次いで発生しています。今年も新疆ウイグル自治区カシュガル地区葉城県で2月に暴徒集団が住民10数人を殺傷する事件が起きています。新疆ウイグル自治区は最近テロ行為が多発しているのです。中国政府はかなり神経を高ぶらせてきました。
(2001年9月11日の米国でのイスラム過激派による同時多発テロ事件以降、中国政府は米国の「対テロ戦争」への支持を表明すると同時にそれをウイグル民族運動と新疆におけるテロをイスラム原理主義のテロとも結びつけて、亡命中のウイグル族によるテロの脅威を強調しています。
一方「世界ウイグル会議」とは別組織のウイグル独立運動各派は2004年9月に東トルキスタン亡命政府を米国で樹立しました。また、新疆ウイグル自治区では政治的理由での死刑判決が行われ、東トルキスタンの民主化活動家に対して行われた拷問では、虐待死が起こったとも言われています。)
13年程前の2009年7月5日、新疆ウイグル自治区ウルムチ市において大暴動がありました。ウイグル人住民が、漢民族および警察と衝突し、中国当局の発表では、死者197名、負傷者1,721名に上る犠牲者が出ています。米国タイムズ紙や英国デイリー・テレグラフ紙は、犠牲者の大半は漢民族であったと報じました。中国当局は、ウイグル族の犠牲者が46名、回族の犠牲者が1名で、他の犠牲者は漢民族で大量殺害されたと発表しました。261台の車輌、203件の店舗、14件の家屋が破壊されたとも報じられています。(世界ウイグル会議は漢民族側の攻撃で犠牲になったウイグル人も最大3,000人だったと発表しています。)
民族間の対立は、どの国でも、いつの歴史でも深刻です。かつて、東トルキスタン共和国が一時期成立した歴史を持つ新疆ウイグル自治区のウイグル族はイスラム教徒が多いのですが、イスラム教の信仰の自由自体がそもそも中国当局の統治においては尊重されておらず、これまで、漢民族の急速な進出に対するウイグル族の根本的な不満が背景にはあります。また、民族も宗教も言語も習慣も全く違う民族に、少数民族自治権を与えた一方で、大量の漢民族の移住と中国文化への同化政策を進めた矛盾があります。2003年までは、高等教育でウイグル族のペルシャ系言語の使用が公認されてきましたが、同化政策を進める中国当局は漢語の使用を義務付けるようにもなりました。
2009年6月末に広東省韶関市の玩具工場で失業対策工のウイグル族労働者と漢民族の労働者が乱闘になり、ウイグル族の労働者2人が死亡しました。7月5日には、公正な解決を求めるウイグル族が抗議のデモを始め、約3,000名の民衆デモと当局治安部隊との間で衝突が発生し、ウイグル族の大暴動に発展しました。(当時外遊中で不在だった胡錦濤主席に代わって、それを鎮圧した責任者は、当時副主席である習近平氏だったと言われています。また事件後のウイグル族対策チームの主軸も習近平でした。
新疆ウイグル自治区は中国国土の6分の1を占め、豊富な地下資源があります。中国の石油35%、石炭40%の埋蔵量を占め、レアメタルも豊富です。1950年代以降に漢民族が入植し、急速に人口を増やしました。新疆ウイグル自治区は、本来はウイグル族中心の国でしたが、2000年統計では、ウイグル族約830万人に対し漢民族が約740万人にまで迫り、ウイグル民族自治区の本来的な権利さえ形骸化されようとしている今日の実態があります(他の自治区も同様の傾向があり、例えば、延辺朝鮮族自治州では、全人口のうち漢民族がもう59%を占め、朝鮮族の割合は39%と逆転しています。)
ウイグル族が先祖から受け継いだ土地の資源の富を、移住して来た漢民族が独占する一方で、ウイグル族は貧しくなり失業者であふれてしまいました。
2009年に発生したウイグル族の暴動はその後、漢民族住民の反発と暴徒化を促し、棍棒でウイグル族を襲撃するという事態が相次ぎました。民族間の憎しみと仕返しの連鎖が続きました。中国政府は大量の警察部隊を投入して、かろうじて治安は維持されていますが、その後も小規模なテロが何度か発生しています。
かつてペルシア語で「トルキスタン」(テュルク人の地・トルコ系言語を話すひとびとの土地)と呼ばれた、この地の歴史は深く、2000年以上前から交易・商業文化を中心として栄えていました。新疆ウイグル自治区にはウイグル族と同じくトルコ系言語を使用するカザフ人や、ウズベク人、キルギス人、タタール人、タジク人なども少数ですが住んでいます。新疆ウイグル自治区(東トルキスタン)の西側は、西トルキスタンとも呼ばれ、カザフスタン、キルギス、タジキスタン、トルクメニスタン、ウズベキスタンの5国(中央アジア5か国)で、いずれも 旧ソ連に属した共産国でしたが、ソ連崩壊後の現在は民族自治による独立国になっています。
日本とのかかわりでは、シルクロード(中央アジア)の存在が有名です。奈良の正倉院には、古代にシルクロードを通じて日本にもたらされた、中国製やペルシア製の宝物が多数保存されています。また、天平時代には遣唐使に随行したペルシア人がシルクロードで日本に渡来した記録もあります。日本の住吉津(大阪市住吉区)は「シルクロードの日本の玄関」で、日本の飛鳥京や平城京は「シルクロードの東の終着点」とも呼ばれました。
1978年より日本で放送された人気テレビドラマ『西遊記』ではシルクロードの現地ロケが実施されました。また、NHKと中国中央電視台の共同制作による『日中共同制作シルクロード 絲綢之路』も1980年代、日本の人気番組のひとつでした。
シルクロードの景色に魅せられた日本人も多くいます。「仏教伝来」を始めとする仏伝やシルクロード連作を盛んに描いた日本画家の平山郁夫もその一人です。そのシルクロード愛好の縁で日中友好協会の会長さえも務めたとも言われます。平山郁夫は広島市で15歳のとき被爆した体験がその後の絵画創作や平和運動・日中友好運動に関わる契機になったと言われています。(その文化財保護活動や日中友好活動に対して2001年にアジアのノーベル賞と言われるマグサイサイ賞が贈られました。)
平山郁夫がかつて愛した、美しきシルクロードの静寂は、かつて核実験(ウイグル自治区ロプノルにおいて1964年から1996年)によってウイグル族も漢民族も共に(19万人)犠牲となった鎮魂の地における平和な静寂でした。