3月23日に死去したシンガポールの建国の父であり、アジア、東南アジア諸国連合(ASEAN)の礎を築いた、シンガポール初代首相のリー・クアンユー(李光耀)元首相の国葬には、日本の安倍首相や韓国の朴槿恵大統領だけでなく、オーストラリアのアボット首相、インドのモディ首相ら20数か国の元首・首脳のほか、米国のクリントン元大統領、キッシンジャー元国務長官らが出席しました。
中国からは国家副主席李源潮が参加しました。リー・クアンユー氏と中国との関係も親密でした。シンガポールは、華人(中国系)が76.7%、マレー系14%、インド系が7.9%。で、リー・クアンユー氏の曽祖父のリー・ボクブン(李沐文)も清の時代に広東省から移住した中国系移民でした。
リー・クアンユー氏は1990年代初めから、地方幹部に過ぎなかった習近平氏の将来性に目を付けて、シンガポールにきた際に頻繁に会談を行い、リー・クアンユー氏自身も中国に30回以上も訪中したと言われています。
(かつてリー・クアンユー氏は日本の戦争責任を厳しく指摘していたと報道されていますが・・???)
太平洋戦争中、当初は快進撃を遂げた日本軍はシンガポールを占領しました。山下奉文大将が活躍し、占領後、日本軍はシンガポールを昭南島と改名しました。今日、安倍首相らの歴史修正主義者によって隠蔽もされ偽りの名誉回復さえさせようと巧まれていますが、大東亜戦争としてアジアの開放を大儀とした戦争の実態は、列強支配にも負けず残虐でした。
シンガポールでも、中国や朝鮮半島で日本軍が振舞った態度は、同様であり、戦後平和を構築しようと努力していた、かつての日本は、シンガポールでの日本軍の虐殺行為については、いち早く認め謝罪しました。南京のように日本は虐殺を歪曲して否定もすることもありませんでした。
それは、シンガポール初代首相のリー・クアンユー氏が、日本の戦争責任を厳しく追及したというよりも、リー・クアンユー氏自身がかつて日本軍による虐殺の対象者で、生き証人の一人でもあったからだと言われています。日本政府は言い逃れも誤魔化しもできず、謝罪以外になす、すべもなかったようです。
誇り高き日本の皇軍は、満州や南京だけでなく占領下のシンガポールでも大虐殺事件 (Sook Ching・華人虐殺) を引き起こしていました。日本政府の公式見解では記録がないからと言い逃れ、約5千人程度の殺害推定と言い逃れていますが、実際のところ、日本人新聞記者の証言として「当初は5万人を殺害計画していたが、半分に達した所で止めた」ともシンガポール国立図書館には記載されています。事実として約2万5千人以上の虐殺があったといわれます。今日、安倍首相らは、先の戦争が侵略かどうかは不明であるとまで言って戦争責任を誤魔化していますが、日本より長く英国の植民地として占領され続けた歴史を持つシンガポールですが、当時の日本軍のふるまいについては、「シンガポールの近代史で最も暗黒の年」であったと明確に位置づけられてもいます。それは住民虐殺さえも行った侵略戦争そのものでした。
リー・クアンユー氏自身、日本軍の占領後、すべての中華系住民は検査のために集まるように日本軍から命令を受けた一人でした。出口を憲兵隊が封鎖し、何万人もの中国系のシンガポール住民が一箇所に集められ、なにかおかしいと感じたため「家に所持品を取りに帰っていいか」と機転を利かせて憲兵隊の許可を得て、逃げ出し虐殺を逃れた生き証人の一人でした。(逃亡後、リー・クアンユー氏とともに集められた中国人系の一般市民達は、虐殺されたことを、彼は知ります。・・・)日本軍は、長く続いた日中戦争の影響もあり、中国系住民とは、どこでも中国軍の支持者であると妄想判断もして、シンガポールの占領政策にあたり、中国系住民の存在自体が、日本軍の不安材料であったからとも言われます。
それは、戦闘行為でもなく、明らかに人種さえも選別して強行した一般市民へのホロコーストでした。(戦争責任には厳しかった一方で親日派であったと言われた、リー・クアンユー氏ですが、機会ある毎に日本人の勤勉さを称える発言の一方で、日本人の本当の恐ろしさ等・・を時折漏らしていたのは、その虐殺体験からなのでしょうか? リー・クアンユー氏は語ります。「戦争中、日本人は信じられないほど残虐だった。でも戦争が終わり、捕虜になると良心的に働き、シンガポールの街を綺麗に清掃していった。」と・・・・。(軍に従順な一方で上官に反抗もし、敵に臆病でも捕虜虐待には大胆、残虐行為の傍らで情けや優しさも示す、いつも矛盾した心を日本兵が持っていたのが、当時の日本軍の軍事教育がもたらした本当の恐さと言うことなのでしょうか??。中国戦では細菌兵器や毒ガスの使用さえあり住民虐殺はいたるところでありました。インドネシア進軍でも一般住民虐殺は発生しています。)
戦後、虐殺された大量の市民の遺骨が発掘されたことがきっかけで、シンガポール国内で、1962年には反日感情が高まる中で、日本占領時期死難人民記念碑 (Civilian War Memorial) が慰霊のため作られました。その除幕式でリー・クアンユー氏は述べました。
「過去がどんなに痛ましいものであったとしても、過去の経験にとらわれることなく、今に生き未来に備えなければならない。」「日本のシンガポール占領時代に亡くなったすべての民族と宗教の人を覚えていることは、過去を乗り越える過程の一部だ。我々は忘れることはできない。完全には許すこともできない。しかし、最初に魂に安らぎを与え、次に日本人が誠実に謝罪をあらわしている中では、多くの人の心にある苦しみを救うことができる。今日の式典で私が責務を果たすにあたって、この希望の中にいる。」
"However painful the past, we have to live and plan for the future, without being hobbled by past experiences". He added, "dedicating the ground to the memory of all races and religion who died in Japanese-occupied Singapore, was part of the process of making the past less unbearable. We cannot forget, nor completely forgive, but we can salve the feelings that rankle in so many hearts, first in symbolically putting these souls at rest, and next in having the Japanese express their sincere regret for what took place. It is in this hope that I officiate at today's ceremony."
日本の謝罪後、シンガポールは2002年には日本にとって初めての自由貿易協定締結相手国を受け入れた友好国にもなりました。今日では、友情が戦争の負の記憶を乗り越えたかのような評価もされています。しかし、それはドイツのように過去を真摯に反省し謝罪も繰り返した結果の友情の産物であり、日本の政治家がよく言う過去に触れない未来志向とは全く違います。(むしろ、負の歴史を知ることは、本当の勇気と英知と努力の結果です。日本の欠点をあげつらっているわけでもなく、日本人であることを卑下している訳でもなく、平和の構築を誇りに思い、本当の友情や未来を切り拓くために日本と共存するアジアの明日のために必要な努力ではないでしょうか。)
シンガポールは、2011年の世界経済フォーラムの研究報告書においては、国民一人あたりでは、もう世界第2位の経済大国と評価されており、富裕層の割合は世界で最も高くなりました。およそ6世帯に1世帯が金融資産100万ドル以上の資産を保有しているとされています。
2013年の勤労者世帯の平均世帯月収は(約85万円)にも達し、韓国はもちろん、東京の勤労者世帯の平均さえ大きく上回りました。購買力平価で一人あたりのGDPは日本3.6万米ドル、シンガポール7.8万米ドルと日本の倍以上(2013年IMF)もの差が付きました。(Jさん世代の標準的な共稼ぎの中間層の若夫婦でも、シンガポールでは、子供を外国人のメイドに預け毎週金曜日の夜は外食と映画を楽しむ欧米の上流並みの生活がごく普通になりました。2013年にシンガポールを訪問した安倍首相は「(日本はこれから)シンガポールに追いつき、できれば追い越したい」との発言さえしました。
そして、国民の9割が政府が建設した公共住宅(HDB)の分譲による持ち家に暮らしていると言う住宅政策の大成功がありました。ある種の社会主義のような国家政策の裏には、自由選挙制度はあるものの、事実上、一環してシンガポールの政権を担ってきた人民行動党は、実は社会主義インターナショナルに所属していた(言論自由問題を理由に1976年除名)社会主義政党であったという背景もありました。
シンガポールは日本では、人気の観光地です。(セントーサ島のユニバーサルスタジオはお勧めです。P)日本では、公共トイレの流し忘れやゴミのポイ捨てに対しても罰金がある等、公共美化に厳しいことでも有名ですが、(かつてマレーシアから民族暴動を機に独立した歴史もあり)ゴミ捨てだけでなく、日本で最近深刻な話題となっている民族対立を煽るヘイトスピーチ等も、法によって厳しく規制されています。
日本の岸田文雄外相は3月21日、韓国の尹炳世(ユン・ビョンセ)外相の仲介で、中国の王毅外相とも個別に会談しました。しかし、岸田氏は、尹氏に対し産経新聞ソウル支局の加藤達也前支局長の出国禁止措置に深刻な懸念を伝え、早期の解除を韓国に要請し、王氏との会談では尖閣諸島(沖縄県石垣市)周辺への中国公船の領海侵入について「日中関係改善の機運を高めないといけないが、東シナ海ではそれに反する動きがみられる」と中国を批判しました。慰安婦問題についても尹氏が「公式の謝罪など被害者が納得できる措置」を要求したのに、岸田氏は「解決済みだ」と反論し、平行線をたどったと言われます・・・・。中国海南省で開催中の博鰲アジアフォーラムに出席するため訪中した親中・親韓派の二階議員の仲介で5月には、日本の観光業界関係者ら約3千人らが訪中する計画ですが、まだ「民間交流」に留まるようです。
日中の友好に繋がる報道としては、5つの国で起こる5つの恋愛ストーリーを撮るオムニバス映画「在世界的中心呼喚愛(仮)」が、日本を舞台にしたチャン・イーバイ(張一白)監督の作品が、日本でクランクインしたそうです。ヒロインを演じるのは、日本でも大人気のチャン・ツィイー(章子怡)です。映画にはタン・ウェイ(湯唯)も出演するそうです。P
日本映画「世界の中心で、愛をさけぶ」のオムニバスで、この日本映画は、中華圏でも大人気だったようです。
莫文蔚(Karen Mok)は香港の歌手・女優で、台湾でも「廣島之戀」等で有名な人気のタレントです。
東日本震災追悼でアップされている「忽然之間」は、1999 年 9 月 21 日の台湾地震の追悼歌です。
忽然之间
天昏地暗
世界可以忽然什麽都没有
我想起了你
再想到自己
我为什麽总在非常脆弱的时候
怀念你
我明白
太放不开你的爱
太熟悉你的关怀
分不开
想你算是安慰还是悲哀
而现在
就算时针都停摆
就算生命像尘埃
分不开
我们也许反而更相信爱
如果这天地
最终会消失
不想一路走来珍惜的回忆
没有你
我明白
太放不开你的爱
太熟悉你的关怀
分不开
想你算是安慰还是悲哀
而现在
就算时针都停摆
就算生命像尘埃
分不开
我们也许反而更相信爱
我明白
太放不开你的爱
太熟悉你的关怀
分不开
想你算是安慰还是悲哀
而现在
就算时针都停摆
就算生命像尘埃
分不开
我们也许反而更相信爱
否定できなかったといえば、安倍首相がオリンピック招致のため否定したはずの福島のリスクは依然として深刻です。
キノコ類での数値が目だってきたのと、従来は数値の出ていなかった長野での数値が出ていたのが気になります。
2015年3月(アエラ掲載)