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東京は桜が満開です。
桜といえば、アメリカのワシントンでは、1949年以降毎年恒例行事として「桜まつり」が開催され日本文化紹介事業やパレードなどが盛大に行われています。
ワシントンの桜は、韓国の王桜が起源だとか、戦前のワシントンの「日本桜通り」は「東洋桜通り」に代わったとか韓国ブログのニュースは本当でしょうか。
100年前の1912年の3月に東京市からポーツマス条約仲介等の日米友好親善のシンボルとしてアメリカに日本の桜が寄贈されました。寄贈された半数の3000本程の桜はワシントンのポトマック河畔に植樹され、それが今では桜並木としてすばらしい名所になっています。
The National Cherry Blossom Festival is an annual commemoration of the gift in 1912 of 3,000 cherry trees by Mayor Yukio Ozaki of Tokyo to Washington as a memorial of national friendship between the United States and Japan and a celebration of the continued close relationship between the people of the two countries.
日本から送られた桜は、東京の荒川堤で採集したソメイヨシノ品種をはじめとする五色桜を穂木として、伊丹市の東野地区で作られた台木に接木され出荷されましたが、ソメイヨシノが一番多かったのです。
ソメイヨシノは江戸時代末期に品種改良して作出された園芸品種の桜です。しかし、京都大の小泉源一氏が1939年に大韓民国の済州島の王桜を研究し、済州島がソメイヨシノの発生地であり韓国の野生の王桜を起源とする説を唱えたため、韓国では、日本のソメイヨシノはそもそも韓国起源で、ソメイヨシノが多いワシントン桜も、韓国起源ではないかとの誤解が生じたようです。今日、ソメイヨシノが済州島の王桜を起源とする説は否定されています。
アメリカでは1941年12月11日のパールハーバー攻撃に対する日本文化への報復と思われますが、ワシントンの桜が切り倒される事件がありました。その後日本桜通りからオリエンタル(東洋)桜通りに呼び方も変わったと言われています。また、1943年に米国に亡命中だった李元大統領がワシントンの国際関係大学の建物のそばに植樹して、今も残っているものは、実は日本の桜ではなく韓国の王桜であったと確認され、「ワシントンの桜は王桜だった」と言われたため、ポトマック河畔の東京市寄贈の桜並木と混同され、韓国では誤解や混乱が生じているようです。
日本の国花は菊ではないかという人も多いですが、海外では桜の国=日本が有名です。(韓国はムクゲ、台湾は梅、英国はバラ、スイスはエーデルワイスというように、国には、たいがい国花というものが制定されているのですが、日本も中国も歴史上の制約により正式な国花が制定されませんでした。そして今日まで、両国とも、何故か国花の定めが未だにありません。)
中国では、古代から牡丹を"花の王"といって国花扱いにしていましたが、梅も "百花の王"といって国花扱いとされてきました。清代末期では梅を正式に国花と指定しました。しかし、台湾が梅を国花としてしまいましたので中国民衆が梅を国花としたくとも、中国政府としては梅を国花とはしがたい状況になっているのです。
日本では、古くから民衆が桜を愛しましたが、明治政府は(鎌倉時代に、後鳥羽上皇が菊を好んだこともあり)正式に皇室の紋章として菊を採用してしまいましたので、「桜の国日本」は、日本民衆が桜を国花としたくとも、日本政府としては桜を国花とはしがたい状況になっているのです。
桜も梅も元々は、現在のトルコからイランにかけての地域が原産で、中国・韓国を経由して日本に伝わったと言われますが、奈良時代、日本では万葉集等の和歌で「花」と言えば梅でしたが、平安時代には桜の人気が高まり和歌で「花」と言えば桜を指すように代わったとも言われています。
秀吉の安土桃山時代に豪華絢爛な桜の花見の宴が行われるようになり、江戸時代には庶民に花見文化が広まりました。
江戸の染井村(東京都豊島区駒込)で育成され桜の名所の大和の吉野山の名をとったソメイヨシノは江戸時代から明治時代に日本中に広まりました。
桜は、ぱっと咲き、さっと散る姿が、諸行無常の運命や、はかない人生を投影しており、江戸時代に国学者の本居宣長は「大和心を人に問はば朝日に匂ふ山桜花」といい、桜が「もののあはれ」を基調とする日本人の精神であるとみなしました。
桜の潔よさは、江戸時代に武士道シンボルとして、戦時中に自己犠牲の軍事的シンボルとして、そして戦後は卒業式の別れのシンボルとして、日本文化に定着してきました。
在世界各地都有栽培,以日本樱花最为著名,共有200多个品种。因此,日本被誉称“樱花之国”。同时,樱花也成为日本国家与民族的象征。樱花的生命很短暂。在日本有一民谚说:“樱花7日”,就是一朵樱花从开放到凋谢大约为7天,整薯ョ樱花树从开花到全谢大约16天左右,形成樱花边开边落的特点。也正是这一特点才使樱花有这么大的魅力。被尊为国花,不仅是因为它的妩媚娇艳,更重要的是它经历短暂的灿烂后随即凋谢的“壮烈”,死在最美的一刻。
遼寧省の大連市の旅順の「龙王塘樱花暑」の桜も有名です。日本統治時代に作られたダムの堤堰の下流に植えられた「旅順の桜」が起源で、今ではすばらしい桜の名所になっています。旅順に行けば、日本文化の影響もあり多くの桜が見られます。日露戦争の舞台で有名な203高地に作られた「203樱花暑�屈」など、旅順の各地の公園には、日本より1ヶ月程開花の遅いソメイヨシノの他、早桜、八重桜、山桜、中国産桜も数多く植えられており、その桜の木の総数は2万本を超えています。
龍王塘桜花園(旅順)