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2018년 동계 올림픽 유치 축하합니다
来月8月末には、世界陸上競技選手権が韓国の大邱で開催されます。
2018年の冬季五輪と冬季パラリンピックは、韓国の平昌への誘致が決定しました。
アジアでの冬季五輪開催は札幌、長野に次いで、3番目となります。J
北朝鮮制裁の最中にアジア・オリンピック評議会総会に出席する北朝鮮代表団の入国を「特例措置」としたことに、日本の拉致被害者家族らから懸念の声が上がっています。
また、7月15日の東亜日報は、北朝鮮が韓国交渉窓口の担当者約30人を、粛清したと報じています。平和の祭典を前に不穏な影があることが気がかりです。
昨年は中央軍事委員会副委員長に選出された金正恩による継続体制が進展する一方で、核開発問題解決のための6カ国協議が行きづまり、延坪島砲撃事件を起こすなど北朝鮮の状況は緊張が収まっていません。
かつて2002年日韓ワールドカップ時には、北朝鮮は延坪海戦で挑発を行なって韓国海軍の6人の殺害・数十人の負傷者を発生させる事件を起こしました。
世界が一番懸念しているのは、やはりソウル五輪を前にした一連の事件の当時の歴史の誤りです。金正恩体制発足の今日の状況は当時の金正日体制発足の時代と少し似ています。
誤った歴史は消し去る必要も、忘れさる必要も、偽る必要も、自虐謝罪もいりません!「過ちは繰り返えしません。」未来志向において最低限必要なのは、この認識なのです。しかし、そのためには、事実を認める勇気とごまかさない努力が必要です。
1981年9月、オリンピックの開催地ソウルが決定された時期のことです。1980年10月中央軍事委員会書記に就任した金正日は公式に金日成の後継者として活動を開始し、1982年2月には最高人民会議代議員に選出されました。
北朝鮮側はソウルオリンピックに共催を要求しました。韓国側は3種目までなら同意するとし、北朝鮮側は全選手の1/3に当たる競技数を要求し、結局交渉は破綻し韓国側は単独開催とします。
北朝鮮は、ソウルオリンピックに地区予選から不参加とし、国民にはソウルオリンピックの存在そのものを一切知らせず、1989年開催の世界青年学生祭典の準備に悪化する国力を費やしていくことになります。世界青年学生祭典に間に合わせるべく、1987年に起工され、「世界一の高さ(当時)」のホテルとして建設された柳京ホテルは完成に至らず、1992年には建設が中断され15年後2008年から建設が再開し起工から25年たった来年に完成予定です。2012年4月15日の金日成の生誕100周年には正式に開業すると言われています。
そして、もう一方で北朝鮮が取った道は、テロにより国際社会に韓国オリンピック開催の不安を煽る行為でした。その狙いは、ソウルオリンピック阻止または、各国のオリンピック参加ボイコットであったのだろうと推定されています。
1983年ミャンマーを訪問した全斗煥大統領を狙ったテロでは韓国の17人の官僚が殺害されました。事態が北朝鮮による謀略行為であると明らかになると、ミャンマーは北朝鮮政権との国交を断交しました。
1986年ソウルでのアジア競技大会直前の金浦空港で爆発テロが発生し5人が殺害されました。中東のイスラム系テロリストが北朝鮮からの依頼でやったのだと随分後になって報道されました。
1987年6月韓国では100万人の民衆デモが闘われ、6.29民主化宣言で、軍事政権が打倒されるのを目の当たりにした金正日のあせりでしょうか、大規模テロを計画します。1987年11月に金賢姫らによる大韓航空機の空中爆破テロを実行し115人を殺害します。想定外だった金賢姫の逮捕により、「ソウルオリンピック阻止のための金正日指示によるテロである」との自白で世界中にその陰謀が明らかになりました。
(ちなみに、金正日は、日本人以上に、日本文化や日本料理が大好きで、その理解しがたい戦略は戦時中の日本の全体主義国家体制をお手本にしている?と言う人さえいます。J 恥の論理と国民への情報統制、スパイ謀略、などは、全て天皇的絶対主義政治の統治手法から学んだのかもしれません。)確かに戦前の日本の天皇制に似た点は多々あります。
また、金賢姫の教育係「李恩恵」は埼玉県警察本部警備部の調べで拉致された田口八重子と同一人物であることが分かり、拉致事件解明の契機となります。(その後2002年9月17日の日朝平壌宣言時に、北朝鮮が従来一切否定してきた、大韓航空機の空中爆破テロ計画等の準備行為の一部でもある日本人拉致行為について、金正日は拉致事実を認めてしまいます。これは、論理的には大韓航空機の空中爆破テロ計画準備等を認めたことにもなるのですが、詳細な関連事実は発表されず、拉致被害者5人の日本への一時帰国が認められました。日本はその一部の拉致被害者を北朝鮮には返さず説得し、日朝平壌宣言は、その後有名無実化してしまいます。)
ソ連のタス通信等は当時、爆破テロ事件は事実であるが実行犯の自白のみが証拠であり、これは、韓国や西側の捏造の可能性もあると報道しました。そのためでしょうか、「日本社会党」を初めとする、日本の知識人の多くが北朝鮮を擁護するという過ちを犯しました。
しかし、ハンガリーに金賢姫らが北朝鮮パスポートで入国し、日本の偽造パスポートを利用して出国した物的証拠が残っていました。謀略行為の経緯をハンガリー当局がソ連当局に通報して、東側諸国の多くの認識は、その後一変しました。
また、1972年に南北調節委員会の韓国側代表団に北から花束を渡した金賢姫ら一向を写した、当時の日本の共産党の報道写真等がきっかけで、幼い時期の金賢姫の北朝鮮の実在性が明らかにされていきました。(しかし、日本の共産党の当初発表した報道写真は別人のものが紹介され、北朝鮮側に猛反発と反論や混乱を引き起こしました。結局、後に再公表された、別角度からの読売新聞の南北調節委員会の報道写真が医学鑑定され、金賢姫本人と認定されました。)
西でも東でも、神を信じても信じていなくても、資本主義でも共産主義でも真実は一つであり、テロ行為非難には、国際社会の共通認識があり、冷戦に疲れた東西社会には平和指向がありました。
ロサンゼルスオリンピックでは東側諸国が、モスクワオリンピックでは西側諸国がボイコットしたので、ソウルでも当然ボイコットが懸念されましたが、北朝鮮政権の猛烈な抗議にもかかわらず、12年ぶりに東西陣営は米ソ中を先頭にソウル・オリンピックに協同参加しました。北朝鮮のボイコットへの同調国はわずかでした。
そして、北朝鮮政権の猛烈な抗議を背にソ連は1990年に、中国は1992年に、韓国との国交を樹立します。