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生命的河2012年姚貝娜
(従来は、アメリカの意向にも関らず、ロシア外交は北方領土問題もあり重視していた安倍首相でしたが、訪米した4月28日に菅義官房長官が記者会見で、ロシアから招待されていたにも係わらず5月9日の対独戦勝70周年記念の式典に、安倍首相は欠席すると発表しました。(かつて小泉首相は、2005年のモスクワの戦勝記念式典に招待され列席したことがあります。)報道ではギリギリ直前まで参加の対応を検討していた日本政府でしたが、ウクライナ・クリミア問題でアメリカがロシアと対立している状況を鑑みて、アメリカを刺激するのは得策ではないと最終判断をしたと言われています。やはり、アメリカの許可を得なければ何もできないのが日本外交の基本なのでしょうか?。拉致問題解決も、北朝鮮の最大のステークホルダーである中国とロシアの協力なしには、不可能だとも思えるのですが・・・。同盟国にあげつらう外交や経済ばらまきや商談外交や形式的な友好外交なら観光感覚でできますが、本当の外交は対立する国々を相手に、しかも平和裏に解決するために火中の栗を拾うような対応や粘り強い対話がつきものとも言われます。
安倍首相は5月9日は自宅でくつろいでいたそうです。アメリカ議会演説で期待された慰安婦謝罪のチャンスを放棄した時も中東の商談外交もそうでしたが、外交は自身のプライドや私益や商談外交を傲慢に実施するのではなく、問題解決のために、自身のプライドも捨てて柔軟に実施し国益のためにも民意を反映して和平に繫げるような本当の外交をして欲しいものです。P)
一方、ロシアのウシャコフ大統領補佐官は4月22日、北朝鮮の金正恩第1書記がモスクワで5月9日に予定される対ドイツ戦勝70周年の式典に出席する意向を確認したと述べていました。これに合わせ、プーチン大統領との首脳会談も準備していると言われていました。実現すれば、モスクワで安倍首相と金正恩が対談できた可能性があったのですが・・・。ロシアのペスコフ大統領報道官は4月30日に突然、金正恩第1書記が念の軍事パレードに参加できないことになった(金永南氏が代わって参加)と明らかにした。金正恩氏の初の「外交デビュー」には、各方面で関心も集まっていたのですが。一部の報道では中国に配慮したのではないかとも言われています。
結局、国連の潘基文事務総長やユネスコのボコバ事務局長を初め、中国、インド、モンゴル、ベトナム、北朝鮮、ベラルーシ、アルメニア、アゼルバイジャン、カザフスタン、キルギス、タジキスタン、セルビア、南アフリカ、キューバ等、ロシアの友好国や周辺国からの参加はあったものの、アメリカを先頭に西側諸国は参加を見送り、まるで、本当の東西冷戦を復活させたかの様な構図となってきました。
(プーチン大統領は演説で「ナチズムと日本の軍国主義に苦しめられ、戦った国々に感謝する」とパレードに出席した習近平主席を意識して、抗日勝利70周年に関連づけたようにもとれる発言をしました。(しかし、ソ連は、独ソ戦争の一方で、日本と不可侵条約を結び日本は連合国側へ和解交渉をソ連を通じて行おうと模索していたのですが、終戦間際にアメリカの原爆投下にあせり、日本参戦を行ないました。ソ連はナチス・ドイツとは戦いましたが、本当のところ終戦間際までは、日本とは闘わなかったのですから、感謝するとは少し意味不明な発言でした。安倍首相が参加していれば、プーチン大統領の表現は変わっていたはずなのですが・・・。)
5月9日のロシアの赤の広場のパレードは、ロシアの現代史上最大規模160万人の参加で盛り上がり、ロシア軍のパレードには、招待された中国人民解放軍112人が異例の初参加をしました。プーチン大統領の右隣に习近平主席と妻の彭丽媛が座ったのも異例な光景でした。
第二次世界大戦では、ナチスドイツの戦争でソ連は2660万人と世界最大の犠牲者を出したと言われていますが、次いで中国での犠牲者が大量に発生しました。日本軍との戦争により、約2380万人の犠牲者が出たと言われています。(日本も戦争では、軍が232万人(台湾・朝鮮からの日本軍への参加者を含む)とアメリカの無差別空爆で25万人、広島・長崎で11万人の民間人の犠牲がありました。朝鮮半島でも48万人の民間人(日本への強制労働等)の犠牲があったといわれています。中国では軍が380万人民間2000万人の犠牲があり、死傷者総数3500万といわれています。)
(1月に乳がん再発で、33歳の若さで一路走好(他界)した姚貝娜の歌うBeautiful Lightは、オシャレです。日本のトヨタ車「YARiS L 致」の2013年のコマーシャルソングです。トヨタ車は、日本以外の海外では「YARIS」の名称で販売されています。かつては、中国では「ECHO」の名称で売られていましたが、、欧米と同様に中国販売もYARISに統一されました。日本では「ヤリス」という言葉の持つ響きが普及せず「Vitz」という名称となっています。「YARiS L 致」は、80后(ポーリンホウ)90后 (ジョウリンホウ)年代の若者のために開発製造された新車種のコンパクト車です。)
80后の金志文(김지문)(朝鲜族・吉林)の歌うBeautiful Lightは、カジュアルなイメージです。住宅インフレで家も持てず結婚もできない青年が増える中国ですが、車を持つことが、新たなステータスというイメージにも繋がるようです。
80后の代表のような陈楚生が歌うBeautiful Lightは、やさしいイメージです。エリート青年のステータスのイメージにも繋がるようです。
一方、90后の畢夏の歌うBeautiful Lightは、パワフルですね。
2014年の中国新車販売(乗用車・トラック・バス)は前年比6.9%増の2,349万台と販売台数で世界一位で、世界第二位のアメリカの販売市場(1,652万台)を大きく上回り、もう6年連続で世界トップの市場を保持しています。(乗用車だけのベースでも、2013年からアメリカを抜き1600万台を越えており、世界でトップの本当の車社会になりました。)
一方、自動車の生産でも中国の生産台数は依然、世界一で前年比7.3%増の2,372万台となり世界第二位のアメリカの生産台数1,660万台を大きく引き離しました。2009年には、自動車生産台数が世界一であった日本の生産台数は、2014年は977万台で中国の生産台数の半分以下で、世界三位の水準にまで落ち込みました。ドイツ590万台に次いで韓国は世界第五位の452万台の生産数でした。(なお乗用車だけのベースでは2014年の中国の通年販売は前年9.9%増の1,970万台、生産は前年10.2%増の1,991万台でした。)
中国は、景気減速の影響で予測値は下回りましたが相変わらず自動車市場は拡大の傾向にあります。2009年には中国国内の自動車の登録車数ベースでは6200万台でしたが、2020年までに2億台を超えると予測がされています。
生産台数では、中国では輸入車に高い関税が課せられるため、中国で販売を伸ばすには現地生産が最も有効であることと、政府の方針により、中国内メーカーとの間で出資比率50:50の合弁企業を設立することが義務付けとなっているため、市場の拡大が生産の拡大にも繋がるようです。
2010 年末で減税が終了し、2011 年は中国自主ブランド車のシェアが低下する中、ドイツ系が 2.12 ポイントも高まり日本系の販売数に迫っていましたが、日本車の中国市場の販売数は尖閣を巡る政治の悪化を受け2012年には、日本車の販売数は、大激減し中国市場で外国車販売一位の地位を、ドイツに譲り、失いましたが、その後、回復してシェアを取り戻しつつあります。背景にはトヨタのように、新型モデルや価格調整や、イメージ戦略の対策を取った本当の努力がありました。(リーマン・ショック後は拡大路線を見直して海外の新工場凍結方針を採っていたトヨタでしたが、今年4月にはこれを解除して中国とメキシコに新工場を建設する計画も決めました。)
しかし、日系メーカーが発表した2014年の中国新車販売台数は、景気減速による業界全体の伸び悩みや市場競争の激化を背景に各社とも目標には未達の結果となりました。高級志向の富裕層の若者の中国消費者の日本乗用車離れが進む状況下で、日本の自動車メーカーは、2015年もまだ苦戦している状況にあると言われています。日系のシェア落ち込みの一方でドイツ系が市場シェアを伸ばす傾向が未だに続いています。やはり政治が及ぼすイメージの影響の大きさが痛感されます。P
2011年1月山歌好比春江水(姚贝娜)
姚貝娜と言えば、ヒット時代劇「宮廷の諍い女」の主題歌「红颜劫」で広く知られ、馮小剛監督の2012年映画「Back to 1942」の主題歌「生命的河」でもその美声が知られていました。(日中戦争中に河南省で300万人が死亡・離散したとされる大飢饉を題材にした映画は、3600万人の餓死者を出した毛沢東時代の大躍進政策「3年自然災害」の本当の歴史の悲劇の記憶を呼び起こし酷評されたとも言われます。)
姚貝娜は本当の「自分の好きな歌を歌いたい」という夢から、2009年に人民解放軍の専属歌手の地位を捨て、一般歌手としてミュージカルや舞台やテレビでも歌い、ドラマや映画の歌でも知られていました。しかし、2013年7月に素人が歌手デビューするテレビ番組「中国好声音」に一からやり直すつもりで出場しました。そして、2011年に乳ガン手術をしたことも告白し「ピンクリボン運動」のイメージキャラクターも勤め左胸の傷跡もさらして「独特な勲章」だと言いはなった彼女は、様々のジャンルの歌を生き急ぐように歌いまくっていきました。
2013年姚貝娜
(日本車のコマーシャルソングも歌っただけでなく、日本の襟裳岬を歌い日本の剣道にも励んだようです。アナと雪の女王の中国版《冰雪奇縁主題曲(随它吧)》も人気でした。)
その頃から生き方だけでなく(髪は抗がん剤で一時抜けたとも言われていますが・・)かつてのやわらかな笑顔は消え、まなざしが段々きつくなっていったのも、治療薬の影響でしょうか?・再発で泣き晴らした悔しさからでしょうか?・・)
しかし変わらなかったのは圧倒的な歌唱力でした。2014年11月に生前最後の登場となった舞台で「魚」を歌った際は実はもうガン再発が相当に進んで、治療の通院も繰り返していた最中だったそうです。
舞台は無名の新人作曲者の歌を歌手が歌って競う番組でしたが、休憩時に何度か咳き込む場面もあり、歌を聴く作曲者女性達の目から盛んに感動の涙がこぼれていたのもなにか暗示的でした。翌月12月の番組はもう入院を余儀なくされ、番組を遂に欠席してしまいます。
最後の舞台余命約2ヶ月「私の歌声は琥珀のように永遠のもの この夢さえあれば、死んでも心残りはない 歌がきっと、私がこの世界にいたことを証明してくれるから」)と予感したかのように、かつて「心火」で歌った姚貝娜でしたが、単に言葉や演技でなく、再発しても懸命に歌い続けた仕事への姿勢も立派なものでしたが・・2014年12月26日入院時にはもう大脳と肺への転移も確認されたと言います。最後の崖っぷちまで本当に魂をこめ、花のように可憐に歌って1月には散って行った彼女を多くのファンが惜しみました。4月4日の小惑星回報では、香港の天文愛好家が2000年に発見していた小惑星「41981号」の正式名に(Yaobeina)姚貝娜が命名されたといいます。