高等学校時代,
『平家物語』や『方丈記』や『徒然草』を
ずいぶん読まされたせいか,
どこかに無常観がこびりついている。
人生に対する一種の諦念のようなものを
この時期に植えつけられたのだ。
漢文では,『論語』も読んだが,
『老子』や『荘子』や『列子』により強く引かれた。
そのせいか,友人からは「無為自然」と呼ばれる始末であった。
人生の始まりのときに
すでに人生の終着駅を見据えたような価値観を
教えてくれたのが古文や漢文であった。
時に,このことが私の人生に
大きな安らぎを与えてくれていると感じることがある。
「夢」や「希望」や「自己実現」というような浅薄な価値を
声高に唱えるよりも
よほど深い人生の真実を,古文や漢文は教えてくれる。
古文や漢文といった古典が軽視される世の中は
おそらく過去に対して謙虚でないという意味で傲慢であり,
そのためにいつか破綻するであろう。
どうか古文や漢文を復権させ,
人生のはじまりのときに
古人の深い人生への洞察を垣間見せてやってほしいものである。
『平家物語』や『方丈記』や『徒然草』を
ずいぶん読まされたせいか,
どこかに無常観がこびりついている。
人生に対する一種の諦念のようなものを
この時期に植えつけられたのだ。
漢文では,『論語』も読んだが,
『老子』や『荘子』や『列子』により強く引かれた。
そのせいか,友人からは「無為自然」と呼ばれる始末であった。
人生の始まりのときに
すでに人生の終着駅を見据えたような価値観を
教えてくれたのが古文や漢文であった。
時に,このことが私の人生に
大きな安らぎを与えてくれていると感じることがある。
「夢」や「希望」や「自己実現」というような浅薄な価値を
声高に唱えるよりも
よほど深い人生の真実を,古文や漢文は教えてくれる。
古文や漢文といった古典が軽視される世の中は
おそらく過去に対して謙虚でないという意味で傲慢であり,
そのためにいつか破綻するであろう。
どうか古文や漢文を復権させ,
人生のはじまりのときに
古人の深い人生への洞察を垣間見せてやってほしいものである。