学校教育を考える

混迷する教育現場で,
日々奮闘していらっしゃる
真面目な先生方への
応援の意味を込めて書いています。

国立大学法人附属校の意味

2010-03-14 | 教育
国立大学法人附属の学校というのがいくつかある。

これらは,
いわゆる大学の教育学部附属の実験校である。

その実験は,
先進的な学校教育の在り方を模索するための実験であろう。

しかし,その実験の成果を生かす場が,
果たして本当にあるのだろうか。

一部の実験目的が特殊化した学校を除いては,
これらの学校に通う児童生徒のレベルは,
極めて高い。
なぜ,そのようなレベルの高い児童生徒を集めるのか,
理解に苦しむ。
レベルの高い児童生徒が集まったのでは,
エリート教育の実験をするのでなければ,
実験は全く無意味なものとなる。

にもかかわらず,
全国の学校に,
それらの学校で実験した成果を
普及させようとでも思っているのであれば,
事実,そうでなければ,
これらの学校の存在意義はないのであるが,
これらの学校での実験結果をふつうの学校に適用するのは,
はなはだ無謀である。

これらの学校でうまくいったからといって,
ふつうの学校ではうまくいかないのである。

それらの学校で成功した新しいやり方が
学習指導要領などに盛り込まれた例がいくつかあるが,
それらが,
ふつうの学校にとって如何に負担であり,不合理であったか,
冷静に考えてみれば,
その功罪は明らかである。
このような実験は,
一般の学校でやるほうが
よっぽど意味がある。

もし,それでも国立大学法人附属の学校で
全国の学校に普及させるための実験を
行いたいのであれば,
ただちに,
入学試験を撤廃し,
一般の公立学校と同じように,
その学校付近の子どもたちを
無差別に受け入れるべきである。

それができないのであれば,
国立大学法人附属の学校やその教員を
少なくとも
学習指導要領や教科書の編纂に
関わらせるべきではない。
教育感覚が一般とはずれているからである。

国立大学法人附属の学校は
何のために存在しているのか,
果たして,いまのかたちで
税金を投入してまで維持する必要があるのか,
もう一度考え直すべきであろう。