学校教育を考える

混迷する教育現場で,
日々奮闘していらっしゃる
真面目な先生方への
応援の意味を込めて書いています。

「わかる授業」と言うなかれ

2012-08-21 | 教育
「わかる授業」という言葉をよく聞くが,これは恐ろしい言葉である。

私は,「わかる授業」など有り得ないと考えている。百歩譲って,もし有り得るとしても,相当に特殊な恵まれた環境のなかで,ごくまれに有り得るかもしれないという程度のものである。

そのことは,真剣に「わかる授業」を目指したことのある者なら理解できるはずである。

「わかる授業」に理屈はいらない。どんな単元でもよい。その単元の内容を,教室の全員が完全に「わかった」状態にすることにチャレンジしてみればよい。どれだけの情熱とどれだけの時間とどれだけの工夫を費やしてみても,おそらくそれは完全には可能ではない。

プロの教師ならば,「わかる授業」などという言葉は怖くて使えないはずである。「わかる授業」などという言葉を平気で言ったり書いたりする人間は,教育実践に関してはずぶの素人である。

もっと誠実に,正直にこういうべきであろう。

「わかる授業」とは,「わからない人にはわからないけれど,わかる人にはわかるかもしれない授業」であると。