自由人?

自分なりの自由な生き方を模索できているだろうか?

未経験者?

2013年04月23日 | Weblog
人間の経験など微々たるものだ。

本人にしてみれば多くの経験を積むと
世の中を知りえたような錯覚に陥る。
端から見ても自信に満ち、風格すら漂ってくるから不思議だ。

しかし天地宇宙の世界空間からすれば、何のことはない、
見分けもつかない些細なことがらである。

しかもどんな人間にも死は等しく忍び寄ってくる。

アルツハイマーかボケが始まったのか定かではないが、
最近頓に直前の所作を忘れてしまう。
周りの人たちに聞くと皆似たり寄ったりらしい。
少し安心する。

話は飛ぶが、一昨日46年とか48年ぶりとかの寒さに見舞われた。

らしい。

らしい、と言うのは実のところ小生は余り寒さを感じなかったからだ。

この寒さだが、年数からすれば青年期真っ盛りの頃に起きた勘定になる。
だがその記憶もまったくない。

本人にしてみれば、まったくの初体験、未経験の出来事に等しい。

年を重ねるにつけ、幼年期に返るというがそうかも知れぬ。
すでに経験した事柄でもそのいくつかは、
新しい体験として再認知されるのかも知れない。

話が戻るが今日になって何だか寒くてたまらぬ。
気温は一昨日より大幅に上がっているというのに。

そういえばここ数年、筋肉痛や疲れだけでなく、暑さや寒さの感覚が
何日か遅れてやってくるようになった。
どうやら体の認知速度が大きくずれてきたらしい。

生活環境においては、音感センサー等の普及により温度調節も意のままに
快適な空間が保てる条件が整っている。
バイメタルや形状記憶合金に始まり、サーモスタット、熱伝対等を経て
いまや音感センサーに至り、わずかな変化にも即座に反応できる。

だが人間はそうはいかぬ。
とくに小生などの世代はなおさらだ。
せいぜい良くてバイメタル。
少し遅れて反応する。
も少し進むと、もはや手遅れだ。
時々ちょっとしたことで暑さや、寒さに対処できずに
死に至る老人が出てくるのもさもありなんだ。

少したとえが違うがゆで蛙現象に近いだろう。

同類相憐れんでも仕方がない。

諸兄のみなさん、長生きしたければ日々体を動かし、
偏り無く好きなものを食し、素直な感情で物事を眺め、諸事に対処すべし
と言いたい。

ああ、がらにもなく説教じみてしまった。

反省。       
            気まま人より







最新の画像もっと見る

コメントを投稿