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阿武松部屋に関する記事が今朝の朝刊に載っていました。地元の思いがひしひしと感じられる記事なので転写してみます。
阿武松が泣いている
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大相撲が野球賭博問題で揺れている。所属する力士や床山が関与を認め、「震源地」となっている。阿武松(おうのまつ)部屋は、現在の能登町で生まれ育った第6代横綱『阿武松緑之助』に由来する。江戸時代後期に無類の強さを誇った伝説の大横綱は、今も地元の誇りである。出身地の同町七見を訪ねると、阿武松の名を汚されたことを嘆き悲しむ人たちがいた。(中川弘孝)
【能登の大横綱★賭博問題で「汚名」】
【21年負け越しなし!】能都町七見の海岸沿い。1937年(昭和12年)に建立された「横綱阿武松碑」は、日本海越しに立山連峰を望む。住民総出で海中から引き揚げたという石は、高さ5㍍15㌢、幅は2㍍36㌢で、力士の碑としては日本一の大きさだと言われる。石碑前の案内板に成績が書いてある。21年間の現役生活で負け越しはなく。通算成績は230勝48敗。勝率8割2分7厘は史上最多の優勝32回を誇る横綱大鵬と全く同じで、その強さがうかがえる。地元では毎年夏、大横綱を偲ぶ碑前祭が営まれており、阿武松親(元押尾川部屋・関脇益荒雄)や部屋の力士も何度も精進を誓った。住民によるとかっては胸毛と眉毛で有名な横綱朝潮や、七尾出身の横綱輪島も、現役時代に訪れて手を合わせていったいう。石碑のすぐ横に住む東ミサヲさん(86)は「時々見学に来る観光バスもおるよ」と嬉しそうに話す。東さんが教えてくれた阿武松の生家とされるお宅を訪ねると、大横綱と血縁関係にあるという佐々木静枝さん(79)が出迎えてくれた。
部屋を立て直して!
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「若い頃は、そりゃあ大飯食らいやったそうな」「引っ込めた腹を突き出して相手を倒したんやと」。
祖母から聞いたという阿武松の逸話を話す佐々木さんは誇らしげだ。
横綱になった阿武松が帰郷した際、家に残していったという綱に飾る
「シデ」と懐杯は家宝である。
しかし、野球賭博問題に話が及ぶと、佐々木さんは急に伏し目がちなり、
「悲しい話や。横綱はきっとないてとる」。そして、こう付け加えた。
「これ以上、阿武松の名を汚してほしない。親方には部屋を立て直して欲しい」。
温厚で長者の風格が漂い、義理堅く情に厚かったという横綱阿武松。
今の相撲界をどんな思いで天国から見守っているのだろうか。 以上
大変興味深い事柄なので! 北国新聞6月26日(土)の朝刊の記事より抜粋した。