ダーリン三浦の愛の花園

音楽や映画など徒然なるままに書いてゆきます。

明日のためにその419-不滅の女

2019年12月14日 | ヨーロッパ映画
摩訶不思議。

私たちは夢を見る。
正確に言うと誰でも夢を見るのだが、朝目覚めたら、それを忘れてしまうのだ。
だが、時に夢の続きを見るような不思議な感覚に陥ることがある。
なんとも、嫌な感覚である。
今回紹介する映画は「不滅の女」。
ヌーベルロマンを代表する監督、ロブ=グリエの作品である。
ストーリーを紹介しておこう。

休暇を利用してトルコのイスタンブールへ遊びに来ていた男性教師。
彼はそこで、道を尋ねた女性に道案内をしてもらうため、彼女の車に乗る。
やがて男は、彼女の不思議な魅力に惹かれ、彼女と何度も会うこととなった。
しかし、彼女は名前、住所さえ教えてくれない。
ある日、突然彼女は彼の前から姿を消した。
彼は夢遊病者のように、イスタンブール中、彼女の手がかりを探すことになるのだが.......

果たして彼は、彼女を見つけ出す。
しかし、彼女は相変わらず、自分を秘密の扉の向こうへ置いたまま、何も話そうとしない。
そんな折、彼女の運転で、夜の山道を走っている時、運転を誤って車は樹にぶつかり、彼女は死んでしまう。
彼は、かすり傷程度で済み、警察でも疑われることなく、釈放される。
しかし、何日か後、彼の前に死んだはずの彼女が現れる。
ここまで来ると、観客は、一つの事に気づかされるだろう。今自分たちが観ているのは、映画の実際のストーリーなのか、それとも映画の中で作られた彼の夢を観させられているのか?
奇妙な浮遊感に、気持ちはグラグラと揺れるだろう。
これが「ヌーベルロマン」の映画の作りなのか?私はヌーベルロマンの映画は、初めて観るのだが、このような見方でよいのか、正直判断を付けかねている。
脚本は、即興で書かれたとおぼしい「シーン」や「シークエンス」もあり、ここは今の感覚で観ると、若干作りの古さは否定出来ないだろう。
この様な前衛的(抽象的ともいえるが)作品は、作品全体が前衛的であっても、ところどころに具象的感覚が受け手に伝わらないと拙い。
受け手は、その具象的な部分から作品にリンクし、作品全体の意味を理解するのである。
私には今作品には、それが感じられなかった。そこが残念なところである。

いずれにしても、奇妙な、浮遊感覚を憶えられる貴重な作品であることは間違いない。
皆様も観られる機会があれば、是非観ていただきたい。

1963年、フランス製作、モノクロ、101分、監督:アラン・ロブ=グリエ

明日のためにその395-鞄を持った女

2019年10月19日 | ヨーロッパ映画
年上の女性との実らぬ恋。

多感なる思春期。もしそのような時期に、男性が年上の女性に恋をするとどうなるだろか。
まっすぐ、盲目的に走ってしまい、大体が恋愛成就とはいかない。
しかし、思春期の男性にとって、年上の女性は、たまらなく魅力的なのである。
今回紹介する映画は「鞄を持った女」思春期の青年のほろ苦い体験を描いた作品である。
ストーリーを紹介しておこう。

田舎道を走り抜けるオープンカー。運転するのはマルッチェロと言う裕福な家庭の男性。助手席に座るのは売れない女性歌手アイーダ。
マルッチェロはもともと遊びでアイーダと付き合い、挙句は彼女を帰宅途上のカフェに置き去りにして逃げてしまう。
自分が遊びの対象だと思っていないアイーダは、マルッチェロの家まで訪ねてくる。
しかしマルッチェロは、弟のロレンツォをたぶらかし、自分はここの家にはいないと言い訳をし、アイーダを帰そうとする。
兄の言われるままロレンツィオは彼女を帰そうとするが、彼はアイーダに一目ぼれをしてしまい、その後アイーダを様々な状況から救おうとする。
自分の気持ちを、押し殺したままアイーダと付き合うロレンツィオだったが.......

若干16歳の設定のロレンツィオの、押し黙ったままの恋心が痛いほど伝わってくる。
印象的なシーンは、或るホテルの中庭で、アイーダと初老の男性がチークダンスを踊るところだ。
ロレンツィオの心に、メラメラと嫉妬が湧き出ているのが観るものに伝わってくる。
自身のその年代の頃を思い出すと、ロレンツィオの態度等思わず首を縦に振ってしまう。
少し残念だったのは、物語の後半以降、マクガフィンであろうと思った、アイーダの大きな「鞄」を見かけなくなったところであろう。
「鞄を持った女」の肝心の「鞄」の設定がなくなった事で、若干ストーリー全体がちぐはぐしてしまった。
ポスター等に見る重い鞄を持ったアイーダは、そこで何かを訴えてくるのかと思ったが、それが肩透かしで終わってしまった。
しかし物語として、青年の年上女性に対する淡い恋心、決して成就しない恋への抵抗感はよく描けた作品と言える。
アイーダを演じた「クラウディア・カルディナーレ」ロレンツィオを演じた「ジャック・ペリン」の、素直な演技にはとても共感が持てる。
まだ観ていない方には、是非観ることをお勧めする。

1961年、イタリア製作、モノクロ、121分、監督:ヴァレリオ・ズルリーニ

明日のためにその375-天使の入り江

2019年08月26日 | ヨーロッパ映画
ギャンブル依存症の怖さ。

日本でも昨今議論されている「カジノ法案」
果たしてもし日本に、カジノが作られたのなら、ギャンブル依存症の人間は増えるのであろうか。
また、庶民的なギャンブルと違い、カジノは賭ける金額の桁が違う。
一度その魅力を知ってしまうと、必ずや身を亡ぼすであろう。
ギャンブルで勝ち続けることは不可能、その大多数は負けているのだから。
今回紹介する映画は「天使の入り江」
ギャンブル依存症の怖さを綴った映画である。
ストーリーを紹介しておこう。

銀行に勤める男性ジャンは、同僚からある日カジノの魅力について語られる。
最初は全く興味のなかった彼も、近場のカジノにふと足を踏み入れる。
そこで彼は、ビギナーズラックもあったのか、賭けに勝ってしまう。
彼はその魅力に引きずられ、南仏のニースまで足を延ばし、大きな賭けに出てしまう。
そこで彼はジャッキーと言う、ギャンブル依存症の女性と知り合う。
そして彼らは親しい間柄となり、様々なカジノで賭けを始めるのだが.......

彼らは「勝ち」「負け」を繰り返し、堂々巡りの生活を余儀なくされる。
勝ったお金は、散財して、欲しい物を買い、贅沢な料理をたべる。
残ったお金でまたギャンブルをする。
そしてついには、帰りの電車賃さえ無くなってしまう。
そんな生活に嫌気のさしたジャンは、ジャッキーにギャンブルをやめ、自分と一緒になって欲しいと懇願する。
しかし、ジャッキーは全く耳を貸そうとはしない。
このあたりが「ギャンブル依存症」の怖いところだろう、本当は愛している人の言葉も耳に入ってこないのだ。
このシークエンスをドゥミは、冷静なカメラワークで追い続ける。
そしてこの映画も、以前紹介した、同監督の「ローラー」と同じく音楽が多用されている。
しかし、音楽監督は「ミシェルルグラン」素晴らしい音楽で映画を盛り立てているところはさすがだ。
若干違和感を持ったのは、ラストシーンのひとつ前のシーンで音楽を鳴らしたこと、これは私自身ちょっとタイミングが違うのではないかと思った。

そしてラスト、ジャッキーの元を離れる決心をしたジャンは彼女に別れを告げる。
彼女を背にして、離れて行くジャン。そのときジャッキーの心の中で、あるものが「ふっつ」と切れた。
果たして彼女のとった行動とは。それは皆様の目で確かめていただきたい。

映画全体としては、ヘビーに「ギャンブル依存症」を語っているわけでもないが、観る者には間違いなく問題定義をしている。
内容も音楽も申し分の無い傑作である。
是非観ていない方は観ることをお勧めする。

1963年、フランス製作、モノクロ、89分、監督:ジャック・ドゥミ

明日のためにその369-鏡の中にあるが如く

2019年08月12日 | ヨーロッパ映画
神の沈黙を訴える。

以前にこのブログにも書いた、ベルイマンの「沈黙」
彼の沈黙三部作の一作「鏡の中にあるが如く」を観る機会にめぐまれた。
今回はこの作品を紹介していこう。

ストーリーを紹介しておこう。
別荘で過ごしているダビット一家。
父親のダビットと娘のカリン、息子のミーナス、そして娘の夫で医師のマーチン。
マーチンはカリンが精神病で、今後治る見込みがないことをダビットに話す。
そしてカリンはそのことを父親の日記を盗み見ることで知ってまう。
その日記の内容を見た彼女は、また精神病の発作に襲われる。
そして翌日、街に買い物にでた、ダビットとマーチンの留守の中、弟と二人になったカリンは、弟の衝動の中、関係を持ってしまう。
そのことにより、更に精神発作が悪くなったカリン、そして父親のダビットもそのことを知ることになるのだが.......

カリンは二階の部屋にあがり「あの方がもうすぐやってくる」と言う意味不明な言葉を発する。
そう「あの方」とは「神」のことである。
そして自分は解放され、幸せになれると彼女は信じている。
この映画は、以前紹介した「沈黙」と違い、セリフは通常の映画程度でてくる。
抽象化された表現も少なく、理解するにはさほど難しくはない。
そして、やはりカットの構図の素晴らしさは健在で、どのカットでもその構図の完璧さは驚嘆に値する。
神の救いを仰ぐカリンの悲しさは、観る者の心を痛めるであろう。
また、娘と息子の関係を知ってしまった父親は、最初こそ激高するが、最後には息子を許してしまう。
このあたりの描き方は、父親のやさしさと言うよりも、完全に崩壊してしまった「家族」への諦めとも受け止められる。
そう、この家族の行く末は、どうなるのか想像に難くない。
一家族の崩壊を描きつつ、神不在を問うたこの作品、是非観ていない方には観ることをお勧めする。

1960年、スエーデン製作、カラー、89分、監督:イングマール・ベルイマン

明日のためにその367-ローラ

2019年08月07日 | ヨーロッパ映画
女性の初恋とは。

「初恋」
誰でも経験する、人生の中でも甘美な時期。
しかし、初恋が成就するのは稀である。
普通の人は、初恋は記憶の中に留められた、自身の道程である。
今回紹介する映画は「ローラ」
切ない男女のラブストーリーである。
ストーリーを紹介しておこう。

ローラはキャバレーの踊り子。
彼女には、初恋の人、水兵のミシェルとの間にもうけた息子がいる。
彼女はシングルマザーとして気丈に働いているのだ。
一方、遅刻が原因で会社を解雇された男ローラン。
彼はローラと幼馴染で、彼女に恋心を抱いていた。
ある日、ローラとローランは街中で偶然に出会う。
ローランは、昔年の思いをローラに告げ、つい会いたいと告白する。
しかし、ローラはそれを断り、必ず自分を迎えにくるミシェルを待つと言うのだが.......

ローランは、ローラのためにもと次の働き先を探す。
やっと見つけた働き先は、ダイヤモンドの密輸の手伝いと言う裏社会の仕事。
それも、仕事をする前に、ボスが逮捕され、また職を失う。
全ての物を失ってしまったローラン、悲しみの中に埋もれてしまう。
その頃ローラは、信じて待っていたミシェルが果たして現れて、家族三人の生活を新たに始めようとする。
この二人の現実の差に、観る者は心を痛めるだろう。
それとこの映画を観て気が付いたのだが、この映画は音楽(BGM)を使う場面が多い。
普通ヨーロッパ映画と言えば、音楽はあまり使わない、静かな印象があったのだが。
しかし、そこは音楽監督を務めているのが「ミシェル・ルグラン」である。実に見事で綺麗なメロディーが一層映画を盛り立てている。
さすが、フランスが世界に誇る作曲家、その音作りは見事のひと言である。
そしてラスト、この胸かきむしる程に切ないラストを、かって私は知らない。
残酷であるも、この美しいラストシーンは数ある映画の中でも白眉と言って良いだろう。
ジャク・ドゥミ監督の長編処女作である「ローラ」
観ていない方には是非観ることをお勧めする。

1961年、フランス・イタリア合作、モノクロ、88分、監督:ジャク・ドゥミ

明日のためにその366-沈黙

2019年08月05日 | ヨーロッパ映画
神の不在を訴える作品。

日本人は無宗教派派である。
海外のように、この神こそ我が師であると言う人は少ないだろう。
しかし、海外では神に対する冒涜はタブーとされている。
今回紹介する映画は、その「神」を不在であるとした作品「沈黙」である。

ストーリーを紹介しておこう。
エステルとその妹アナ、その息子ヨハンは、旅の途中、エステルの持病が悪くなり、途中下車する。
その街は、言葉も通じぬ場所。
エステルはベットで寝たきりになり、奔放なアナは毎日のように息子を残して出かける。
ベットに伏せたままのエステルは、その行動に嫉妬し、毎日悔しい思いをしている。
日にちがたち、そろそろこの街を離れようとするアナだったが.......

この映画は、極端にセリフが少ない。
最初は登場する、この三人の関係すらわからない。
映画時代が「沈黙」しているような内容で、物語が進行する。
そして始まる神への冒涜の言葉の数々。
アナは行きずりの男と、協会の祭壇の裏で関係を持ったと言う。
そしてエステルは、何時までも自分を救ってくれる神を待っている。
しかし「神」は来る気配さえも見せない。
映画全体は、極めて抽象的な表現で、観客にイメージを沸かせようとする。
これは監督からの観客への挑戦なのだろうか。話す言葉すら、観客に理解させぬ抽象さ。この抽象表現こそこの映画の中心である。
しかし見事なのは、カットの構図の見事さであろう、どの場面も名シーンとして評価できる。

この映画は「鏡の中にあるが如く」「冬の光」に続く、ベルイマンの「沈黙三部作」の一つである。
映画自体が沈黙し、強大なエネルギーを吸う「ブラックホール」はただただ観るものに圧力をかけてくる。

1962年、スエーデン製作、モノクロ、96分、監督:イングマール・ベルイマン

明日のためにその287-私は、ダニエル・ブレイク

2017年12月13日 | ヨーロッパ映画
行政の矛盾を追求する強烈なメッセージ

どの国でも、富裕層と貧困層は存在する。
貧困層は、収入のために、仕事を探し、少しでも高給を貰える様に努力している。
本日紹介する映画は「私は、ダニエル・ブレイク」
イギリスの名匠、ケン・ローチの作品である。
ストーリーを紹介しておこう。

イギリスのニューカッスルで、長年大工として働いてきた男性、ダニエルブレイク。
彼は、既に妻に先立たれ、一人で暮らしている。
仕事に就きたいのだが、心臓の持病があり、医者に仕事を止められている。
しかし、イギリスの法制度で、身体的問題で働けない者は、国の審査を受け、審査に合格すれば、支援金が受取れる。
その支援金制度は更新が必要で、そのたびに審査を受けることになる。
ダニエルブレイクは、その再審査の結果、身体的に問題なく、就労が可能と判断され、支援金を打ち切られる。
その代わり、就職活動を行い、その回数、内容が国に認められると、別の支援金が支給される。
このような窮地の中、ダニエルブレイクは、ロンドンから来たケイテイと言う、二人の子供を持つシングルマザーと出会う。
ダニエルブレイクとケイテイは親しくなり、お互い助け合って生活してゆく。
求職のための支援金を獲得するため、仕事探しに奔走するダニエルブレイクだったが.......

イギリスと言う国は、働けない者でも、働ける者でも給付金が支給される国であることが、分かった。
しかし、国=お役所は簡単にいかない。なにかと細かいことで、給付金を支給することを嫌がる。
お役所はどこの国も一緒である。
私は何年か前に、役所を顧客としての仕事を経験した。
結果は、彼らの無責任さと、無情さを痛感し、二度と役所相手の仕事はするまいと、心に誓った。
この映画を観ていると、その「お役所仕事」の冷徹さが良く分かる。
しかし、ダニエルブレイクもケイテイも、それに戦いを挑み、何度も挫折する。
映画として観ていても、実に腹立たしい。
ラスト近く、物語は思わぬシークエンスを物語る。
そして、ラスト。ケイテイがダニエルブレイクの「宣誓文」を読み上げる。
そこには、心広く、心優しく、正義を貫くダニエルブレイクの言葉が綴られていた。
私はこのシークエンスで、涙を止めることができなかった。
非常に良く作られた、傑作であるので、まだ観ていない方は、是非観ることをお勧めする。

2016年フランス公開、製作イギリス、フランス、ベルギー合作、カラー、100分、監督:ケン・ローチ 第69回カンヌ映画祭パルムドール受賞。

明日のためにその271-草原の実験

2017年11月21日 | ヨーロッパ映画
カメラ=万年筆。以前このブログでも紹介した、アレクサンドル・アストリュックの映画理論である。
映像美が中心となる「映画」には、カメラの存在が実に大きい。
物語を語るのは「カメラ」なのである。
本日紹介する映画は、草原の実験。
まさに「カメラ=万年筆」を具象化した映画だ。
ストーリーを紹介しておこう。

草原に暮らす父と娘。荒涼としたそこには穏やかな時間が漂う。
そして、その娘に恋心を持つ幼馴染の少年。
毎日変わらぬ平和な世界がそのにはある。
しかし、ある日、少年の旅人が彼らの前に現れる。
徐々にその少年との距離を縮めていく少女。
幼馴染の少年の焦る気持ち。
それは、彼らの三角関係の始まりであった。
そして、平和な時間の中で彼らが見たものとは......

この映画はカラー作品であるが、台詞が一切ない。
正確に言えば「感嘆詞」を発するだけで、それいがいの人の声はしない。
カラー版サイレント映画と言っても良い。
こう言ってしまうと、見るのを拒む方もいらっしゃるだろうが、心配はない。
前述した「カメラ=万年筆」がしっかり構築されている。
人々や、背景を追うカメラ。実に重厚な映像がしっかり記録されている。
カメラの動くスピード、パンのスピード、静止画を捉える時間、全てが完璧と言える。
このカメラの圧倒的な描写力、筆圧、台詞が無くても観賞に十分耐えられる。
ラスト、この平和な世界に、信じられない光景が待っている。
その衝撃度は、ビートルズの楽曲「ア・ディ・イン・ザ・ライフ」のクライマックスにも例えることができよう。
作品時間は長くない、是非みてらっしゃらない方は観ることをお勧めする。

2014年、ロシア製作、2015年公開、カラー、97分、監督:アレクサンドル・コット。

明日のためにその268-ヘッドライト

2017年11月18日 | ヨーロッパ映画
薄幸の女性....よく映画では扱われる設定である。
男の勝手に翻弄され、やがて堕ちてゆく女性。見るたびに哀愁を感じてしまう。
本日紹介する映画は「ヘッドライト」幸薄い男女二人の悲恋映画である。
ストーリーを紹介しておこう。

ジャンはトラック運転手を生業としている。ある日ジャンは行きつけの酒場兼宿のウエイトレス、クロチルドを仕事のついでにトラックに乗せ、彼女の希望した行き先まで送り届けた。
それ以来、ジャンとクロチルドはお互い愛し合うようになった。
しかし、ジャンには女房と娘を筆頭に3人の子供がいた。二人の恋愛は許されるものではなかった。
ある日ジャンは、会社で騒ぎを起こし、会社を解雇される。
クロチルドはその頃、ジャンの子供をみごもっていた。
ジャンはあることから、クロチルドとの関係、妊娠を家族に知られる。
彼は「自分がでてゆくべきだ」と言い残し、家庭をあとにする。
ジャンはクロチルドと同棲を始める決心をし、クロチルドに会いに行くのだが......

なんとも全体的に暗い映画である。でも、それが独特で良い。
映画後半、瀕死のクロチルドが、乗せられたジャンのトラックの運転席を見回すシーンがある。車の揺れる鍵から、えたいの分からないような先住民の顔のようなアクセサリー。何度も何度も彼女はそれを規則的に身まわす。
ここに彼女の言いようの無い「不安感」「鬱屈さ」がとても上手く表現されている。
そしてラスト。クロチルドは不幸にも死んでしまう。
一方ジャンは捨て去った家庭に戻り、何事もなかったように毎日トラックの運転手として働いている。
クロチルドに死を運び、家庭には裏切りを運んだジャンは、これからクロチルドの思いを背負いながら生きて行くのだろうか。
前述のとおり、暗い映画ではあるが、観賞する価値は十分にある1本である。
是非観ることをお勧めする。

1956年、フランス製作、1956年日本公開、モノクロ、101分、監督:アンリ・ヴェルヌイユ

明日のためにその227-スロウ・ウエスト

2016年05月24日 | ヨーロッパ映画
なかなかの出来栄えの一作。

愛とは、お互いに認識して生まれるものである。
勝手な愛名成立などない。
もし、それがあれば、お互いに傷つくものになろう。
今回紹介する映画は「スロウ・ウエスト」悲劇的な愛を迎える作品だ。

ストーリーを紹介しておこう。

19世紀のアメリカ。スコットランドの男性ジェイは、何も言わずにアメリカへ旅立った思いを寄せる女性を探しに、単身アメリカへ渡る。
しかし、ジェイは貴族出身。青白くとても当時のアメリカで暮らせるような男ではない。
彼は、旅の途中、盗賊に会うが、その危機をサイラスという男が助ける。
サイラスは旅の途中まで、金銭の報酬をもらえれば、ジェイの用心棒となると言う。
ジェイは迷わず、サイラスに金を払い、用心棒になってもらうことにするが......

開拓時代のアメリカである。自分の身は自分で守らなければならない。
ジェイは旅の途中で、様々な出来事の中、それを思い知らされる。
しかし、貴族の彼は、そう易々と人間性が変われるわけではない。
彼は、ジェイの手助けが必用なのだ。
驚いたのは、劇中後半のシーン。彼らの立ち寄った雑貨店が、男女二人組みの強盗に襲われる。
しかし、銃を持つのも初心者のようで、まして男は老人の域に達している。
結局、男は店主と相打ちしまうが、残った女性は金欲しさに、その場にいたサイラスに金を要求する。
だが、幸いにも、ジェイは彼女の背後にいて、存在に気づかれていなかった。
それを良いことに、ジェイは背後から女性を銃で撃つ。
私はここに驚かされた、背後から、それも女性を銃で撃つ。貴族の彼は、卑劣な方法で難を脱したのだ。
二人は店から幾つかの物を失敬して、表に出る。
するとそこには、強盗の娘、息子たちが待っている。なんとも切ないシーンだ。
そしてラスト、ジェイの愛している女性ローズは、賞金をかけられるような、おたずね者になっていた。
やがて彼女の家は、賞金稼ぎに取り囲まれ、壮絶なサバイバル合戦となる。
ジェイはやっとの思いで見つけ出したローズに会おうと、銃弾飛び交う中、やっとの思いで彼女の家までたどりつき、彼女に会える時がやってきた。
しかしジェイを待っていたものは、悲しい結末だった。

この作品は「生きる」事に関する、痛切なメッセージが込められている。
ジェイの愛したローズは、生きるためならジェイをも犠牲にする。
彼女は本当にジェイを愛していたのだろうか。
ジェイは、冒頭にも書いた「勝手な愛」を創造していたのだろう。
全く悲しい物語である。
しかし、ラストシーンには疑問が残った。
サイラスとローズが一緒にハッピーエンドを迎える。
物語の成り行きからして、このエンディングは悲し過ぎる。附に落ちない演出である。
しかし、なかなか良くできた作品であるので、観ることをお勧めする。
ただし、まだ作品は媒体化されていない、私は「ワウワウ」でこの作品を観た。
再放送の予定は、今のところないが、もし再放送されるようなことがあれば(ワウワうへの加入が前提になってしまうが)、観ていただきたい。

2015年、イギリス・ニュージーランド合作、カラー、89分、監督:ジョン・マクリーン