梶田隆章氏はあのスーパーカミオカンデでニュートリノに質量があることを証明したことだ。
以前の同賞受賞者の、あの小柴昌俊氏に師事していたそうだ。
小柴氏といえば、学校の講師をしていたときにテストの設問に「世の中に摩擦力がなくなったら、どうなるか?」を出題したそうだ。
その正答は白紙解答。そう「摩擦力がなければ、鉛筆で解答用紙に答えが書けないので、白紙解答が正解」という斜め上を行く問題を作った人だ。
その方に師事していたのだから、梶田氏もおそらくは大変な努力家のうえにユニークな発想をお持ちなのだろう。
日本における基礎科学の大切にする風土がこの受賞につながったのだということを忘れてはならない。
そうそう、忘れてはならないことの1つに、民主党政権時代の事業仕分けを思い出していただきたい。
ちょうど6年くらい前だろうか?
「2位じゃダメなんですか?」と基礎科学をバカにした発言で有名になったあの悪名高き事業仕分け。
事業仕分けでは、スーパーカミオカンデをはじめとする研究費が仕分けされるところだったのだ。
それを聞いたノーベル賞受賞者たちがすぐに立ち上がって、当時の政権に「基礎科学をバカにするな、日本のお家芸だ」と事業仕分けを批判したのだ。
今回、大村氏が「人のまねばかりしていてはダメ。たくさんの失敗を経験して欲しい」と発言していた。
日本という国は、そういった失敗を認めてくれて発展してきた研究風土なのだろう。
第二次世界大戦後、私の祖父は満州のソ連国境近くに従軍していたので1ヶ月ほど逃げたモノの結局2年間のシベリヤ抑留を経験した。
抑留先にはドイツ兵捕虜もいたそうだ。
捕虜は火気厳禁だったので、お腹を空かしてジャガイモを盗んできても日本兵捕虜は火気を使わないと食べることができず、結果としていつもソ連兵に見つかって怒られていたらしい。
けれどドイツ兵捕虜は怒られない。
理由はドイツ兵は針金を拾い集めてコイルを作って、電力でジャガイモを加熱して食べていたという。
生前の祖父は「ドイツは科学の国だから一介の兵隊でもそういうことができる。こっち(日本兵)は、みんな小学校しか出てないからそんなこと知らない」と言っていた。
祖父はドイツ製品に絶大なる信頼を寄せていたので、補聴器はいつもシーメンスだった。
そのドイツの受賞者数にはまだまだ及ばないけれど、日本の科学技術が世界で評価されているのかと思うと、日本って素晴らしい教育風土があるのだなぁ…としみじみ思う。
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