プロ野球の開幕戦は特別のものだ。たかが1試合されど1試合。重みが違う。負ければただの1試合だと思うんだけどね。
そんな中、元号が昭和から平成に変わった1989年の開幕戦はある種、特別なものだった。スタメンは
1番サード 中畑 清(現DeNA監督)
2番ショート 勝呂博憲(現巨人内野守備コーチ)
3番セカンド 篠塚利夫
4番レフト 原 辰徳(現巨人監督)
5番センター クロマティ
6番ファースト 岡崎 郁(現巨人2軍監督)
7番ライト 駒田徳広
8番キャッチャー中尾孝義(現阪神スカウト)
9番ピッチャー 桑田真澄
この年から就任した藤田監督は大胆なコンバートを行う。それがレフト・原、ファースト・中畑だった。
慢性的なアキレス腱痛に悩んでいた原を藤田監督がレフトへのコンバートを通告。「もう3塁へ戻ることはないんですね」という原の問いかけに「それはない。ダメならもう塀の外しかない」と追い込んだ。原にとって藤田監督はドラフトで自らを引き当ててくれた恩人。悩んだ末、受け入れた。
開幕前夜、原はなかなか寝付けなかったという。
そんな中、迎えた初回の開幕第1打席。ヤクルト先発・尾花(現巨人2軍投手コーチ)のカーブを捕らえると、打球は左中間スタンドに消えた。これがプロ入り通算250号。スタッフが花束を持って出迎えたが、それには目もくれず藤田監督やナインとハイタッチをしていたのが印象的だった。3回には2打席連続でホームランを放った。
先発は桑田。ドーム元年の88年も先発したがKOされたが、この日はこの年に中日から移籍した中尾孝義の強気なリードもあり、プロ入り最少の99球で完投。エースと4番ががっちりかみ合い「今年の巨人は違う」という印象を強烈に植え付けた。
このゲーム以降、斎藤が11試合連続完投勝利、クロマティが96試合まで打率4割を維持するほど打ちまくるなど、チームは快調。2年ぶりにリーグ優勝をはたし、アンチ巨人でニュースキャスターの久米宏は、頭を坊主にした。
そんな中、元号が昭和から平成に変わった1989年の開幕戦はある種、特別なものだった。スタメンは
1番サード 中畑 清(現DeNA監督)
2番ショート 勝呂博憲(現巨人内野守備コーチ)
3番セカンド 篠塚利夫
4番レフト 原 辰徳(現巨人監督)
5番センター クロマティ
6番ファースト 岡崎 郁(現巨人2軍監督)
7番ライト 駒田徳広
8番キャッチャー中尾孝義(現阪神スカウト)
9番ピッチャー 桑田真澄
この年から就任した藤田監督は大胆なコンバートを行う。それがレフト・原、ファースト・中畑だった。
慢性的なアキレス腱痛に悩んでいた原を藤田監督がレフトへのコンバートを通告。「もう3塁へ戻ることはないんですね」という原の問いかけに「それはない。ダメならもう塀の外しかない」と追い込んだ。原にとって藤田監督はドラフトで自らを引き当ててくれた恩人。悩んだ末、受け入れた。
開幕前夜、原はなかなか寝付けなかったという。
そんな中、迎えた初回の開幕第1打席。ヤクルト先発・尾花(現巨人2軍投手コーチ)のカーブを捕らえると、打球は左中間スタンドに消えた。これがプロ入り通算250号。スタッフが花束を持って出迎えたが、それには目もくれず藤田監督やナインとハイタッチをしていたのが印象的だった。3回には2打席連続でホームランを放った。
先発は桑田。ドーム元年の88年も先発したがKOされたが、この日はこの年に中日から移籍した中尾孝義の強気なリードもあり、プロ入り最少の99球で完投。エースと4番ががっちりかみ合い「今年の巨人は違う」という印象を強烈に植え付けた。
このゲーム以降、斎藤が11試合連続完投勝利、クロマティが96試合まで打率4割を維持するほど打ちまくるなど、チームは快調。2年ぶりにリーグ優勝をはたし、アンチ巨人でニュースキャスターの久米宏は、頭を坊主にした。
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