「実はあの日、4月1日、オークランドでのメジャー初登板のブルペン、酷かったんですよ。誰に訊いてももっともないくらいの感じで、もともと自分はブルペンを信用できないタイプだって理解してますからいいんですけど、周りはけっこう心配したんじゃないかと思います。
アリゾナでスプリングトレーニングが始まった頃、スライダーについては
「曲がりすぎるのをコントロールできればいける」
と手ごたえを語っていたが、フォークに関しては
「抜く感覚と引っ掛ける感覚の両方を持っていなくちゃいけないのに、そのバランスが崩れている」と、ボールの違いによる難しさに直面していた。
実際、オープン戦でめった打ちを喰らったとき、大谷はフォークをほとんど投げていない。
ところが最後の実戦でフォークを解禁。
フォークで空振り三振を立て続けに奪った。
ストレートは初回から99マイルを叩き出し、ほぼ同じ軌道からフォークが鋭く落ちる。
「フォークは僕の絶対的な武器なので、これを捨てたら僕はワンランク下がってしまいます。
ただ、フォークに関しては最終段階というか、ある程度、ピッチングが出来上がってからでないとよくなってこないボールなので、スプリングトレーニングでは投げるのを最後に回していたんです。アリゾナは乾燥しているので、余計、難しいところはありました」
「ひとつ言うと、ノーステップではありません。ちゃんとステップしてます。
ステップをしていないわけじゃなくて、省いたんです。
これ、日本にいたときはできなかったんですけど、こっちでいい感覚があって、やってみたらたまたまハマりました。
バットの位置に関しても、速い球、動く球を捉えるためにはある程度、固定しないといけないなというのを感じて日本からやってきたんですけど、そうやってちょっとずつやってきたことが引き出しとなって、今回、ハマったんだと思います」
「僕の中ではアプローチの形も、ほぼ変わってないんです。
僕はトップの形まででバッティングは終わっていると思っていますが、それも変わりませんし、そこへいかに安定して入っていけるのかということしか考えていません。今までは足を上げるほうがトップの位置にうまく入っていけると思っていたんですけど、省いてみたらそっちのほうがうまく入っていけたので、今はそれを継続しようと思っています」
「いえいえ、だってまだ9割5分以上、わからないことのほうが多いと思っていますから。
僕が今、見ているのは隅っこのところですし、真ん中は全然、見えてない。」
吉井理人
「大谷は放っておいていい選手なんですよ。そういう選手はあまりいません」
吉井はコーチとして、選手の考えを尊重することを基本としている。
それは現役時代、コーチが自らの経験や感覚を押し付ける指導に激しい嫌悪を抱いたからだが、大谷は、そのさらに先を行っていたという。
「何でも自分で考えて、自分で解決したいタイプ。
だから聞いてくることはほとんどなかったです」
『重要な試合では力を出そうとしてダメになることがある。
だからベストでなくて、グッドでいいんだ』
福留孝介
「打者はボールを見るだけではタイミングは合わせられない。
だから初球を振れれば、次の打席以降にどんどん合わせていける材料になる」
「やっぱり、向こうの投手の球の重さ。
打った瞬間に手に残る感触、バットがぐっと押される感覚は日本よりきついんです。
とらえたと思ったボールが飛ばなかったりする。それで打った後のバットを見てみると、ボールの縫い目のあとが日本の時よりも深くバットに残っているんです」
「僕は投手としての大谷君とも対戦していますが、メジャーの最高レベルと同じような力のある球を投げる。それなら逆に打者としてもそれに負けないパワーはあるんじゃないですか。それに彼はまだ23歳ですし、もっともっと体も大きくなるでしょうから」
もう一人の「野球少年」マイク・トラウト
ミルビル高校から09年ドラフト一巡目でエンゼルス入団。
12年に30本塁打、49盗塁で盗塁王と新人王を獲得
14年に打点王と初のMVPに輝き、16年に2度目のMVP。
17年に史上最年少で150本塁打、150盗塁に到達。
すでにリーグMVPに2度選出され、3シーズンのMVP投票で2位に入っている。
メジャーデビューを果たしたのは11年7月8日、翌日、初安打は投手前へのバントヒットだった。
デレク・ジーターに憧れて野球をやってきた。
ジーターが通算3,000安打を放った日にデビューし、ジーターが引退する年にはオールスターで1,2番コンビを組んで、トラウトは2塁打と3塁打を打ってMVPに輝いた。
翌年のオールスター。
トラウトは2年連続の先頭打者ホームランを打ち、史上初の2年連続MVPを獲得した。
「誰もがトラウトのズバ抜けた身体能力に注目するが、大変賢い選手でもある。
少し打てなくなると、どこが悪い短い期間で認識でき、指導しなくても修正できる。
だから、スランプが短く、安定感のある打撃ができる」
言葉も二刀流
童心と哲学の野球語録
「何かが閃いたら障子をあけて、窓に映る自分を見ながら、フォームをチェックするんです」
「厳しいところに身を置いて自分を磨きたい」
まだ高卒メジャー挑戦志望だった当時の発言
Number820 2013年1月10日号
「常にきっかけを求めて練習している」
「先入観は可能を不可能にする」
花巻東時代に挙げた好きな言葉
Number820 2013年1月10日号
「満足はしていませんけど、納得はしています」
「今は周りに何を言われても、何も感じないですね」
Number870 2015年1月22日号
高校時代と比べて30kg増量。
首脳陣は打者として必要な筋肉が投手の動きを邪魔しないかとケアするも、本人は
「邪魔になる筋肉なら使わなければいい」と余裕。
「あっても困らないでしょ」
「もともと自分の中ではピッチャーとバッターを競わせていませんし、切磋琢磨もしていません」Number899 2016年3月31日号
「別に僕、ヘンなところに行かないので」
有名になって街行く人に気付かれることについて「イヤですか?」との質問に対して
Number特別増刊 2016年12月31日号
「緊張しないとおもしろくない」
「課題を消化するのが野球のおもしろさ」
「期待は応えるものじゃなくて超えるものだ」
「60、70%しか出ないのに抑えられている」
プロ3年目、6月を終えた時点で9勝1敗、防御率1.47、奪三振99と絶好調の要因を冷静に分析。
Number881 2015年7月2日号
「僕は他人がポイって捨てた運を拾っているんです」
運=ゴミ。稲葉篤紀がベンチ前のゴミを拾う姿を見て、「カッコよくて感動しました」
以来、真似するようになった。
Number891 2015年12月3日号
「伸びしろしかないと思っています」
自分のポテンシャルについて
Number937 2017年10月12日号
「ワールドシリーズで勝てれば、そこがてっぺんなんじゃないですか」
以前は「限界はわからないですし、てっぺんも見えていない」と語っていたが、米挑戦が叶い、頂に一端が見えはじめた。
Number948 2018年3月15日号
「医学の進歩しも頼ります」
野球何歳になってもやりたいですからとした上で
Number937 2017年10月12日号
「まあまあ上手いです」
エンゼルスの仲間たちと興じるバスケの自分の腕前について
Number948 2015年3月15日号
「僕の感じるものがすごくスッキリしていたんです。爽やかだった」
移籍先決断の決め手は、エンゼルスに感じたフィーリングだった。
Number948 2018年3月15日号
「何かとんでもないようなものをみてみたい」
念願のメジャー移籍を実現し、さらに燃え上がる野球への情熱
Number948 2018年3月15日号
「走塁には一番、野球感が出る」
見事なベースランニングを披露した試合後に
Number906 2016年7月14日号
「結果を出すためにやり尽くしたと言える一日一日を、誰よりも大事に過ごしてきた自信を持っています」
「周りが思うよりも醒めている自分がそこにいる」
「自分のデータになかったから仕方ない、次は大丈夫」
ある打席で三振してベンチに戻った際
Number906 2016年7月14日号
ルースと大谷の大きな違いは奪三振数だ。
大谷がイニング数を上回る三振を奪っているのに対し、ルースは166回1/3でわずか40奪三振。
実は打たせて取るタイプだった。
当時のベーブ・ルースは、レッドソックスの大エースだった。
1917年にはリーグ最多の35完投。24勝13敗、防御率2.01。
バットでも123打数40安打2本塁打、打率.325を記録した。
MLBの年間本塁打数は1918年には235本だったが、1920年には630本、ルースが60本塁打を記録した1927年には922本と急伸している。
ルースは二刀流で衝撃を与えた選手というより、むしろホームランの価値観を変えるという、野球史上最大のパラダイムシフトをたった一人で起こした人間なのだ。
アメリカの大学野球では、二刀流で活躍した選手に贈る「ジョン・オルルド賞」を設けている。
オルルドはシアトル・マリナーズでイチローとチームメイトだった強打者の一塁手だが、ワシントン州立大時代は投打で傑出した存在だった。
大谷は、野球の神様というのは誰よりも野球が上手い存在だと言っていた。
つまり彼のライバルは野球の神様であり、てっぺんに立つにはそこを越えなければならない。
見ているところの次元が違うのだ。
アリゾナでスプリングトレーニングが始まった頃、スライダーについては
「曲がりすぎるのをコントロールできればいける」
と手ごたえを語っていたが、フォークに関しては
「抜く感覚と引っ掛ける感覚の両方を持っていなくちゃいけないのに、そのバランスが崩れている」と、ボールの違いによる難しさに直面していた。
実際、オープン戦でめった打ちを喰らったとき、大谷はフォークをほとんど投げていない。
ところが最後の実戦でフォークを解禁。
フォークで空振り三振を立て続けに奪った。
ストレートは初回から99マイルを叩き出し、ほぼ同じ軌道からフォークが鋭く落ちる。
「フォークは僕の絶対的な武器なので、これを捨てたら僕はワンランク下がってしまいます。
ただ、フォークに関しては最終段階というか、ある程度、ピッチングが出来上がってからでないとよくなってこないボールなので、スプリングトレーニングでは投げるのを最後に回していたんです。アリゾナは乾燥しているので、余計、難しいところはありました」
「ひとつ言うと、ノーステップではありません。ちゃんとステップしてます。
ステップをしていないわけじゃなくて、省いたんです。
これ、日本にいたときはできなかったんですけど、こっちでいい感覚があって、やってみたらたまたまハマりました。
バットの位置に関しても、速い球、動く球を捉えるためにはある程度、固定しないといけないなというのを感じて日本からやってきたんですけど、そうやってちょっとずつやってきたことが引き出しとなって、今回、ハマったんだと思います」
「僕の中ではアプローチの形も、ほぼ変わってないんです。
僕はトップの形まででバッティングは終わっていると思っていますが、それも変わりませんし、そこへいかに安定して入っていけるのかということしか考えていません。今までは足を上げるほうがトップの位置にうまく入っていけると思っていたんですけど、省いてみたらそっちのほうがうまく入っていけたので、今はそれを継続しようと思っています」
「いえいえ、だってまだ9割5分以上、わからないことのほうが多いと思っていますから。
僕が今、見ているのは隅っこのところですし、真ん中は全然、見えてない。」
吉井理人
「大谷は放っておいていい選手なんですよ。そういう選手はあまりいません」
吉井はコーチとして、選手の考えを尊重することを基本としている。
それは現役時代、コーチが自らの経験や感覚を押し付ける指導に激しい嫌悪を抱いたからだが、大谷は、そのさらに先を行っていたという。
「何でも自分で考えて、自分で解決したいタイプ。
だから聞いてくることはほとんどなかったです」
『重要な試合では力を出そうとしてダメになることがある。
だからベストでなくて、グッドでいいんだ』
福留孝介
「打者はボールを見るだけではタイミングは合わせられない。
だから初球を振れれば、次の打席以降にどんどん合わせていける材料になる」
「やっぱり、向こうの投手の球の重さ。
打った瞬間に手に残る感触、バットがぐっと押される感覚は日本よりきついんです。
とらえたと思ったボールが飛ばなかったりする。それで打った後のバットを見てみると、ボールの縫い目のあとが日本の時よりも深くバットに残っているんです」
「僕は投手としての大谷君とも対戦していますが、メジャーの最高レベルと同じような力のある球を投げる。それなら逆に打者としてもそれに負けないパワーはあるんじゃないですか。それに彼はまだ23歳ですし、もっともっと体も大きくなるでしょうから」
もう一人の「野球少年」マイク・トラウト
ミルビル高校から09年ドラフト一巡目でエンゼルス入団。
12年に30本塁打、49盗塁で盗塁王と新人王を獲得
14年に打点王と初のMVPに輝き、16年に2度目のMVP。
17年に史上最年少で150本塁打、150盗塁に到達。
すでにリーグMVPに2度選出され、3シーズンのMVP投票で2位に入っている。
メジャーデビューを果たしたのは11年7月8日、翌日、初安打は投手前へのバントヒットだった。
デレク・ジーターに憧れて野球をやってきた。
ジーターが通算3,000安打を放った日にデビューし、ジーターが引退する年にはオールスターで1,2番コンビを組んで、トラウトは2塁打と3塁打を打ってMVPに輝いた。
翌年のオールスター。
トラウトは2年連続の先頭打者ホームランを打ち、史上初の2年連続MVPを獲得した。
「誰もがトラウトのズバ抜けた身体能力に注目するが、大変賢い選手でもある。
少し打てなくなると、どこが悪い短い期間で認識でき、指導しなくても修正できる。
だから、スランプが短く、安定感のある打撃ができる」
言葉も二刀流
童心と哲学の野球語録
「何かが閃いたら障子をあけて、窓に映る自分を見ながら、フォームをチェックするんです」
「厳しいところに身を置いて自分を磨きたい」
まだ高卒メジャー挑戦志望だった当時の発言
Number820 2013年1月10日号
「常にきっかけを求めて練習している」
「先入観は可能を不可能にする」
花巻東時代に挙げた好きな言葉
Number820 2013年1月10日号
「満足はしていませんけど、納得はしています」
「今は周りに何を言われても、何も感じないですね」
Number870 2015年1月22日号
高校時代と比べて30kg増量。
首脳陣は打者として必要な筋肉が投手の動きを邪魔しないかとケアするも、本人は
「邪魔になる筋肉なら使わなければいい」と余裕。
「あっても困らないでしょ」
「もともと自分の中ではピッチャーとバッターを競わせていませんし、切磋琢磨もしていません」Number899 2016年3月31日号
「別に僕、ヘンなところに行かないので」
有名になって街行く人に気付かれることについて「イヤですか?」との質問に対して
Number特別増刊 2016年12月31日号
「緊張しないとおもしろくない」
「課題を消化するのが野球のおもしろさ」
「期待は応えるものじゃなくて超えるものだ」
「60、70%しか出ないのに抑えられている」
プロ3年目、6月を終えた時点で9勝1敗、防御率1.47、奪三振99と絶好調の要因を冷静に分析。
Number881 2015年7月2日号
「僕は他人がポイって捨てた運を拾っているんです」
運=ゴミ。稲葉篤紀がベンチ前のゴミを拾う姿を見て、「カッコよくて感動しました」
以来、真似するようになった。
Number891 2015年12月3日号
「伸びしろしかないと思っています」
自分のポテンシャルについて
Number937 2017年10月12日号
「ワールドシリーズで勝てれば、そこがてっぺんなんじゃないですか」
以前は「限界はわからないですし、てっぺんも見えていない」と語っていたが、米挑戦が叶い、頂に一端が見えはじめた。
Number948 2018年3月15日号
「医学の進歩しも頼ります」
野球何歳になってもやりたいですからとした上で
Number937 2017年10月12日号
「まあまあ上手いです」
エンゼルスの仲間たちと興じるバスケの自分の腕前について
Number948 2015年3月15日号
「僕の感じるものがすごくスッキリしていたんです。爽やかだった」
移籍先決断の決め手は、エンゼルスに感じたフィーリングだった。
Number948 2018年3月15日号
「何かとんでもないようなものをみてみたい」
念願のメジャー移籍を実現し、さらに燃え上がる野球への情熱
Number948 2018年3月15日号
「走塁には一番、野球感が出る」
見事なベースランニングを披露した試合後に
Number906 2016年7月14日号
「結果を出すためにやり尽くしたと言える一日一日を、誰よりも大事に過ごしてきた自信を持っています」
「周りが思うよりも醒めている自分がそこにいる」
「自分のデータになかったから仕方ない、次は大丈夫」
ある打席で三振してベンチに戻った際
Number906 2016年7月14日号
ルースと大谷の大きな違いは奪三振数だ。
大谷がイニング数を上回る三振を奪っているのに対し、ルースは166回1/3でわずか40奪三振。
実は打たせて取るタイプだった。
当時のベーブ・ルースは、レッドソックスの大エースだった。
1917年にはリーグ最多の35完投。24勝13敗、防御率2.01。
バットでも123打数40安打2本塁打、打率.325を記録した。
MLBの年間本塁打数は1918年には235本だったが、1920年には630本、ルースが60本塁打を記録した1927年には922本と急伸している。
ルースは二刀流で衝撃を与えた選手というより、むしろホームランの価値観を変えるという、野球史上最大のパラダイムシフトをたった一人で起こした人間なのだ。
アメリカの大学野球では、二刀流で活躍した選手に贈る「ジョン・オルルド賞」を設けている。
オルルドはシアトル・マリナーズでイチローとチームメイトだった強打者の一塁手だが、ワシントン州立大時代は投打で傑出した存在だった。
大谷は、野球の神様というのは誰よりも野球が上手い存在だと言っていた。
つまり彼のライバルは野球の神様であり、てっぺんに立つにはそこを越えなければならない。
見ているところの次元が違うのだ。