昨日
病院も終わり薬の仕分けも終わって
やれやれと家に帰った私を
追っかけるようにして母が来た
少し食べて数の減ったさくらんぼ
を
持ってきた
「今日はありがとね~
いつも仕事休ませちゃってごめんね~
」
と母が言うので
「いいよ」と言って玄関まで見送りに出ると
くるっと振り返り
「でも私もおばあちゃんの介護したもんねぇ?」と言い出した
おばあちゃんというのは母の実母で
同じ市内だけどうちから片道1時間かかる場所🚎にいた
祖父は30年前に亡くなり
一人になった祖母のところに借金取りから
逃げるために失踪していた叔父が
転がり込んだことで2人で暮らしていた
相変わらず好き勝手していた叔父が
糖尿病になり視力を失い
介護が必要となったが年老いた祖母では
手に追えないこともあって透析にも通っていた叔父にヘルパーさんがついた
なぜかその時の連絡先が
叔父の姉である母になっていたことで
その頃から頻繁に祖母と叔父のところへ
母が通うようになった
程なくして祖母の言動に怪しい部分が
見え隠れし始め
「おばあちゃん、おかしいよ
早めに病院つれていった方がいいんじゃない?」と私が言っていても
「まああの人はもともとボーッとしてるから
」
と言って聞き流されていた
その後祖母が自分で受けた検査で
脳の萎縮が見られると言われたり
叔父のヘルパーさんに
「おかあさん(祖母)認知症だと思いますよ」
と言われたりして
やっと病院に祖母を連れていった
その時認知症の診断はおりたと思うが
なぜか介護保険の申請はしていなくて
祖母に関しては何もしないまま
叔父のヘルパーさんに手伝ってもらいながらそのままの生活を送っていた
ある時祖母は失禁して意識を失い
近所の人に助けてもらって救急車🚑で運ばれたり
たまたま病院に行ったらそのまま入院になっちゃったり
次々トラブルが起きた
私も小さかった長男長女をつれて車でよく駆けつけた
そうして母も祖母の家にしょっちゅう通わなきゃなくて
確かに大変だったと思う
ある日叔父が突然亡くなって
祖母が一人になった
祖母の家に入っていたヘルパーさんは
叔父の死でお願いできなくなった
叔父のヘルパーさんに家事を全部お願いしていたので祖母は家事が出来なくなっていたのにもう祖母を一人で置いておけなかった
母には死んだ叔父の他にもう2人弟がいたが誰も祖母を自分の自宅に連れて帰ると言う人はいなかった
でも一人では置いておけないので
叔父の葬儀がすんだ後残った3姉弟で日替わりで祖母の家に泊まりに行く事になった
しかしたった一日ずつ泊まっただけで
それぞれから不満が出てきた
死んだ叔父のケアマネージャーさんに
祖母の入れる施設を探してもらうことになっていたがまだまだ時間がかかりそうだった
当時私も介護保険とか介護サービスとかよくわからなくて
「どうしよう」と言いながら弟たちの文句ばっかりいっている母にイライラしてきて
「なんで誰も引き取るって言わないの?誰も引き取れないんならケアマネージャーさんに丸投げしてないでどこか探してみればいいじゃない❗」
と私が言うとどうしたらいいのかわからないと言う
祖母の事も心配だったしじゃあ近くでと思い何件かグループホームに電話を掛けてみた
一件すぐ入れますと言われて
手順などよくわからないまま
母はすぐさま祖母をそのグループホームに連れていった
手続きがいろいろあったのにいきなり連れていきホームの人は驚きながらも受け入れてくれてその時私はホッとした
でも祖母はすごく家に帰りたがった
私はこまめに祖母のところに行って
「ごめんね、帰れないよ
一人だと危ないからね」
と声をかけた
母はホームに入ったら全部世話してくれるんだと思っていたみたいで
身の回りのものだけ買いそろえて
たまに様子を見に行く程度だった
でもグループホームは病気になると家族が病院につれて行く事になっているので
けっこうよくホームから呼び出しがあった
祖母は落ち着く間もなくよく熱を出すようになり
ホームから電話があると
母は私に連絡してくる
私が車🚙で迎えに行き病院につれていくと
車から祖母を下ろすとき
ただでさえ動きが遅くなっていて熱もある祖母に
「はやく降りてよ❗
」
と手を引っ張っている
あわてて助けにいこうとすると
父が祖母を引っ張り出した
介護としては最悪だ
でももう自力で車から降りられない祖母は
相当な重さだ
母では動かせないだろう
その時点で母に介護は無理だったのかもしれない
祖母は尿路感染症で入院して退院後ホームに戻ったがその後も原因不明の熱で何度も病院へ行く事になった
検査をしに病院へ行ったときも
採尿しなければいけない祖母と一緒に母が多機能トイレに入っていったが心配でのぞいてみると
「もう❗尿をとらなきゃいけないのに足をちゃんと開かないからコップが入らないじゃない‼️
」
と母が怒っている
見るとコップを持って前の部分に押し当ててるだけ
そんなんで採尿できるわけない
ちょうど娘の検尿のコツをつかんだばかりだった私は母からコップを受け取り
「ごめんね、もうちょっと足開くよ」
と声をかけて祖母の足を手で少しずらし
ぐっと下まで差し込んだ
少しだが採尿できて無事検査できた
結局祖母は入退院を繰り返している間に
グループホームに帰れなくなり「入院している病院に相談したら?」と私から持ちかけ紹介してもらった母の自宅近くの病院に転院させてもらって祖母は最期を迎えた
母は祖母に怒ってばかりいた
他の弟たちに腹をたてて勝手に祖母の事を背負い込んだ
いまだに私はあのときの母の判断はよくなかったと思う
今なら祖母が家にいながら介護する方法があったんじゃないかと思うが
当時は私も母も無知だった
いつも母は背負いたい気持ちと逃げ出したい
気持ちが見え隠れしていた
そんな母のやった介護を知っているからこそ母が介護サービスを拒否する事にムカついて仕方ない
祖母は介護を拒否することはなかった
家に帰りたい
と言う望みを口にしたが暴れたり母を責めたりすることもなかった
それだけ進んでいたのかもしれないけど
私が知る限り周りを困らせることはそんなになかった
なのに母は介護サービスを拒否して
誰の言うことも聞かずに
母の方が迷惑かけてると思うのに
祖母の事介護して大変だったと言っちゃうんだよね
つい
「だから私も大変な思いしてあなたの世話をしろってこと?」
と嫌みを言いたくなっちゃった