いやー、実に久しぶりの神社記録になります
確認したら6月下旬が最終日記になっていたので、1ヵ月半位ぶりの更新ですねー
いや、ブログに上げないだけでこの間もちょくちょく行ってはいたんですが、
如何せん要のコンデジの調子が悪くなってしまい、にっちもさっちもいかないまま時間が過ぎ、
そしてそのまま仕事が繁忙期に入りそれどころじゃなくなった、と(笑)
さて、久しぶりとなる今回の目的地ですが
前日夜まで行き先を決めきれず、最終的に福岡の朝倉市と天草市で迷い、コイントスの結果で占った結果天草に決まりました
そして天草のどこ行こうって話ですが、前回牛深に行った時に途中で見つけた天主堂の行き先看板に本渡で見たキリシタン資料館、
更には先月長崎の諫早・島原に行った時に同じようにキリシタンの資料館を見に行ったので、
じゃあそれなら天草西海岸のその天主堂に行こうと思い立ち、ざっと目標の場所を調べてその日は就寝
当日は5時過ぎに起床し、6時前には無事に出発
この時期天草地方はまさに観光のトップシーズンであり、道も1本しかないために混雑が激しい場所ですが、
さすがに時間が時間なだけに道中大した混雑もなく最初の目的地『﨑津』に到着しました
(つっても、一度も休憩せずに約2時間半かかるんだから、やっぱり遠いぃ…)
入り江の橋を渡ると﨑津集落の入り口ですが、さっそくこの街のシンボルが見えてきます
近くに行きます
﨑津天主堂です
この﨑津天主堂は1934年にフランス人宣教師ハルブ神父の時代に再建された天主堂で、
外観はゴシック様式の重厚な雰囲気でありながら、内部は畳敷きという非常に興味深い作りになっています
(尚、内部は撮影禁止になっております)
そしてこの天主堂が立つ場所は、キリシタン弾圧時代に絵踏みが行われた庄屋宅の跡地だったそうです
続いてはこの集落の鎮守様である『﨑津諏訪神社』に行きます
本殿の脇に鳥居があり、上に登る石段があったので登ってみました
展望台から見下ろす﨑津の集落
ちなみに石段の総数が気になったので数えてみたら約430段ありました
ちょっと運動もして汗かいてお腹も空いてきたので駐車場の近くにあって気になっていた『杉ようかん』のお店に行きます
杉ようかんの由来は1790年に琉球王朝の使節団が徳川家斉将軍就任の祝賀に参加する際、
台風で遭難しここ﨑津に漂着した際、集落の住民に助けていただいたお礼に故郷の料理(杉ようかん)のレシピを伝授した事から、
ここ﨑津の杉ようかんの由来は来ています
そして『ようかん』とは謳っているものの、皆さんがイメージするであろう『羊羹』とは全然別物で、
あんこをすあまで包んで平べったく伸ばした、そんなお菓子です
そして風味付けと保存料の役目として『杉』の葉が入っています
なお、本家沖縄では杉の葉ではなく、また別の葉が使われているそうです
小腹が軽く満たされたので﨑津を後にします
キリスト教と神道が共存し息づく街『﨑津』
皆さんも一度訪れてみてはいかがでしょう(ここまで来るのが大変ですが)
続いては大江鎮座の『大江八幡宮』
そしてもう一つの天主堂『大江天主堂』
ちなみに先ほどの﨑津はゴシック様式なのに対し、こちらはロマネスク様式になります
敷地内にはこの教会の設立に全資産を投資し、また天草地方の布教に生涯を捧げたガルニエ神父のお墓もあります
また、ここでは教会の建つ丘の麓に『ロザリオの館』なる隠れキリシタンにまつわる資料館もあります
個人的に面白かった資料は、
キリスト教では祈りの言葉を『オラショ』というらしく、当然隠れキリシタン達にも代々オラショが口承として受け継がれていたのですが
(なぜ筆記ではないのかというと、もしその記録が幕府に見つかった場合当然逮捕拷問になるので、少しでもリスクを無くす為)
もともとラテン語だったものを日本人が伝承していくうちに日本語のようになっていき、
最終的にはもはや何を言っているのか、何の意味を指すのか不明っていう資料でした(笑)
続いては高浜鎮座『高濱八幡宮』
石段を登っていると何か赤い葉が動いたなーって思ったら蟹だった一幕も
拝殿
そして天草ではお馴染みの鈴木神社も末社として鎮座します
そしてこの車は何かわかります?
私は初めて見たんですが、移動スーパー?みたいなそんな車でした
確かにこの辺りはコンビニが1件あるものの、それ以外はなんも見なかったなぁ何て思いました
次は下田温泉にある『下田温泉神社』
下田温泉は別名白鷺温泉と言われており、白鷺の置物もありました
どんどん北上し都呂々鎮座の『都呂々神社』
トトロじゃないです、とろろですよー
そして今回のツーリングの目的地としては最終になる苓北町富岡に到着です
ここ富岡は島原・天草の乱の激戦地の一つである富岡城址があります
歴代城主の幟
本丸からの眺め
最上部には休憩小屋とビジターセンターがあります
先を急ぐので手短に城址を見学し、帰路につきますが途中の神社に寄り道
『富岡神社』
ここには乱後の天草復興のために東奔西走した鈴木重成公供養碑があります
最後は志岐鎮座の『志岐八幡宮』です
以上、久々の探訪記でした
正直、この時期私の仕事は繁忙期でずーっと6連勤で朝から晩まで働いており、土曜はあまりの身体の重さに帰宅してちょっとしてすぐ寝たんですが(つっても22時半就寝)、
そんな状態で長時間ツーリング行くなんてばっかじゃねーの!って言われそうですが、
これが現在メンタルも身体も比較的すっきりした状態なんですよね
そう考えると、休みの日に仕事を忘れて趣味に没頭するって事は本当に大事なんだなと実感します
仕事はまだまだ忙しいですが、休日は頭をしっかり切り替えてオンオフをしっかりして過ごしたいなと思います
確認したら6月下旬が最終日記になっていたので、1ヵ月半位ぶりの更新ですねー
いや、ブログに上げないだけでこの間もちょくちょく行ってはいたんですが、
如何せん要のコンデジの調子が悪くなってしまい、にっちもさっちもいかないまま時間が過ぎ、
そしてそのまま仕事が繁忙期に入りそれどころじゃなくなった、と(笑)
さて、久しぶりとなる今回の目的地ですが
前日夜まで行き先を決めきれず、最終的に福岡の朝倉市と天草市で迷い、コイントスの結果で占った結果天草に決まりました
そして天草のどこ行こうって話ですが、前回牛深に行った時に途中で見つけた天主堂の行き先看板に本渡で見たキリシタン資料館、
更には先月長崎の諫早・島原に行った時に同じようにキリシタンの資料館を見に行ったので、
じゃあそれなら天草西海岸のその天主堂に行こうと思い立ち、ざっと目標の場所を調べてその日は就寝
当日は5時過ぎに起床し、6時前には無事に出発
この時期天草地方はまさに観光のトップシーズンであり、道も1本しかないために混雑が激しい場所ですが、
さすがに時間が時間なだけに道中大した混雑もなく最初の目的地『﨑津』に到着しました
(つっても、一度も休憩せずに約2時間半かかるんだから、やっぱり遠いぃ…)
入り江の橋を渡ると﨑津集落の入り口ですが、さっそくこの街のシンボルが見えてきます
近くに行きます
﨑津天主堂です
この﨑津天主堂は1934年にフランス人宣教師ハルブ神父の時代に再建された天主堂で、
外観はゴシック様式の重厚な雰囲気でありながら、内部は畳敷きという非常に興味深い作りになっています
(尚、内部は撮影禁止になっております)
そしてこの天主堂が立つ場所は、キリシタン弾圧時代に絵踏みが行われた庄屋宅の跡地だったそうです
続いてはこの集落の鎮守様である『﨑津諏訪神社』に行きます
本殿の脇に鳥居があり、上に登る石段があったので登ってみました
展望台から見下ろす﨑津の集落
ちなみに石段の総数が気になったので数えてみたら約430段ありました
ちょっと運動もして汗かいてお腹も空いてきたので駐車場の近くにあって気になっていた『杉ようかん』のお店に行きます
杉ようかんの由来は1790年に琉球王朝の使節団が徳川家斉将軍就任の祝賀に参加する際、
台風で遭難しここ﨑津に漂着した際、集落の住民に助けていただいたお礼に故郷の料理(杉ようかん)のレシピを伝授した事から、
ここ﨑津の杉ようかんの由来は来ています
そして『ようかん』とは謳っているものの、皆さんがイメージするであろう『羊羹』とは全然別物で、
あんこをすあまで包んで平べったく伸ばした、そんなお菓子です
そして風味付けと保存料の役目として『杉』の葉が入っています
なお、本家沖縄では杉の葉ではなく、また別の葉が使われているそうです
小腹が軽く満たされたので﨑津を後にします
キリスト教と神道が共存し息づく街『﨑津』
皆さんも一度訪れてみてはいかがでしょう(ここまで来るのが大変ですが)
続いては大江鎮座の『大江八幡宮』
そしてもう一つの天主堂『大江天主堂』
ちなみに先ほどの﨑津はゴシック様式なのに対し、こちらはロマネスク様式になります
敷地内にはこの教会の設立に全資産を投資し、また天草地方の布教に生涯を捧げたガルニエ神父のお墓もあります
また、ここでは教会の建つ丘の麓に『ロザリオの館』なる隠れキリシタンにまつわる資料館もあります
個人的に面白かった資料は、
キリスト教では祈りの言葉を『オラショ』というらしく、当然隠れキリシタン達にも代々オラショが口承として受け継がれていたのですが
(なぜ筆記ではないのかというと、もしその記録が幕府に見つかった場合当然逮捕拷問になるので、少しでもリスクを無くす為)
もともとラテン語だったものを日本人が伝承していくうちに日本語のようになっていき、
最終的にはもはや何を言っているのか、何の意味を指すのか不明っていう資料でした(笑)
続いては高浜鎮座『高濱八幡宮』
石段を登っていると何か赤い葉が動いたなーって思ったら蟹だった一幕も
拝殿
そして天草ではお馴染みの鈴木神社も末社として鎮座します
そしてこの車は何かわかります?
私は初めて見たんですが、移動スーパー?みたいなそんな車でした
確かにこの辺りはコンビニが1件あるものの、それ以外はなんも見なかったなぁ何て思いました
次は下田温泉にある『下田温泉神社』
下田温泉は別名白鷺温泉と言われており、白鷺の置物もありました
どんどん北上し都呂々鎮座の『都呂々神社』
トトロじゃないです、とろろですよー
そして今回のツーリングの目的地としては最終になる苓北町富岡に到着です
ここ富岡は島原・天草の乱の激戦地の一つである富岡城址があります
歴代城主の幟
本丸からの眺め
最上部には休憩小屋とビジターセンターがあります
先を急ぐので手短に城址を見学し、帰路につきますが途中の神社に寄り道
『富岡神社』
ここには乱後の天草復興のために東奔西走した鈴木重成公供養碑があります
最後は志岐鎮座の『志岐八幡宮』です
以上、久々の探訪記でした
正直、この時期私の仕事は繁忙期でずーっと6連勤で朝から晩まで働いており、土曜はあまりの身体の重さに帰宅してちょっとしてすぐ寝たんですが(つっても22時半就寝)、
そんな状態で長時間ツーリング行くなんてばっかじゃねーの!って言われそうですが、
これが現在メンタルも身体も比較的すっきりした状態なんですよね
そう考えると、休みの日に仕事を忘れて趣味に没頭するって事は本当に大事なんだなと実感します
仕事はまだまだ忙しいですが、休日は頭をしっかり切り替えてオンオフをしっかりして過ごしたいなと思います
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