前回に引き続き、長崎市の石橋探訪の続きです。中島川沿いに進みます。
③東新橋
過去に二回、洪水により、流失して、これが三代目の橋です。
寛政12年(1800)長崎奉行所によって架設されたそうです。
なかなか、スマートな石橋ですね。技術の高さが、伺われます。
階段が付いていますので、人のみ通れますね。立派な親柱です。
この東新橋の上部です、かなり広いですね。
この辺りだったと思いますが、普通の市内の方だったようですが、私に話しかけられて、石橋を見に
来たというと、いろんな話をしてくれました。
初め、橋のボランティアの方と思うぐらい、いろんな知識を持ち合わせておられたようでした。
橋の向こう側は、町民の町で、こちら側は武士の町だったそうで、橋の階段が、町民側は三段で、
武家の町側は、六段あって、高さが違っていたそうです。
また、川の石垣では、町民側は、石が小さく、組まれていましたが、武家側は大きな石で、少し高い
石垣が組まれていたそうです。
他にも、聞いたようですが、忘れました。いろんな見に来た人たちに、話されているのかなあと、
思いました。
④すすき原橋
次は、アーチが違いますね。これは石橋ではないんですかね。この橋も、三代目で、過去に二回
水害により、流出していました。文化元年(1804)長崎奉行所によって架けられたものです。
これが、上部です。
やはり、この場所が、似合いますね。違和感がありません。
河原に降りる階段も付いています。この日は降りて見ませんでした。
親柱です。橋の上から、撮影しながら、談笑していました。
反対側の外観です。かなりスマートですね。
⑤一覧橋
この橋は、中国人の高一覧という方が、明暦3年(1657)に架設されたが、その後洪水で流失して、
この位置では3度目の石造アーチ橋で、享和元年(1801)長崎奉行所によって架設されたもの。
この橋も緩やかなアーチになっていますね。
素晴らしい石橋で、スマートに出来ていますね。いつまでも、残って欲しいものです。
親柱も立派な作りです。貫禄がありますね。
反対側の外観です。
なかなか、風情があって、この川に馴染んでいるようですね。
この橋は桶屋町橋などと呼ばれたが、最初の架設者高一覧にちなんで、明治15年に一覧橋と命名された、そうです。
以上、3件の石橋を紹介しました。データはにえもんさまのHPからでした。
まだ、たくさんの石橋がありますので、また続きを紹介したいと思っています。
ずっと書いてきました、ディスクトップは、いよいよ不具合が、酷くなりまして、使えなくなって
しまいました。ノートでやるか、また新しい最新のPCを手に入れるかと、嬉しい悩みです。
元来が、新しい物好きですから、この年になっても、最新のパソコンには、魅力があります。
実は、昨日お店に見に行きまして、益々ほしくなっています。贅沢なことですよね。
いつもたくさんのご訪問、嬉しいです。いつも、元気をありがとうございます。
だいぶ、頑張りましたけどね、残念でした。
偶然、お会いしましたよ。
いろんな石橋がたくさんありまして、良かったです。
すすき原石橋も、きれいですね。
まだ、たくさん有りますので、アップしたいです。
ありがとうございました。
頑張りましたがやはり駄目なようですね。
残念ですね。
長崎で石橋のことが詳しい方に出会えてよかったですね。
どれも溜息がでるような石橋にmaruさんの気持ちが良く解ります
いろんな歴史をこの石橋は知っているのですよね。
すすき原橋も魅了されますね
貴重な石橋をみせて頂き有難うございました。
(来週NHKドラマで蝶々さん~最後の武士の娘~が19日に放映されますが長崎でロケを行ったようですので是非ご覧になってみてくださいね)