♦️904『自然と人間の歴史・世界篇』バリ協定(2015、地球温暖化)とその後

2020-10-14 22:31:36 | Weblog
904『自然と人間の歴史・世界篇』バリ協定(2015、地球温暖化)とその後

 2015年の国連の気候変動枠組条約締結国会議(COP21)においては、参加各国によりパリ条約が採択された。その中では、まず全体目標が掲げられた。これは、「産業革命前からの世界の平均気温の上昇を二度より十分低く抑(おさ)える」という、野心的なものだ。 

 こうなった背景には、1950年代後半から始まった大気中の二酸化炭素の観測がある。それには、氷床のボーリング試料に記録された、過去の温室効果ガス濃度の測定も含まれよう。観測によると、1850年頃の産業革命の前は、数百年にわたり280PPM(PPMは百万分の一)であったと推定されている。ところが、2015年には400PPMに達した、差し引き43%も増加したという(鬼頭昭雄「異常気象と地球温暖化の解明に挑む」:日本銀行「にちぎん」2018春、第53号)。

 ならば、産業革命よりもう少し時代を遡るとどうなるだろうか。例えば、中川毅(たけし)氏による説明には、こうある。

 「だが実際のデータを見ると、メタンは5000年前、二酸化炭素は8000年前頃から、ミランコビッチ理論で予測される傾向を大きく外れて増加していた(図6・3)。ラジマン教授はこの原因を、アジアにおける水田農耕の普及、およびヨーロッパ人による大規模な森林破壊にあると主張して学会に衝撃を与えた。」(中川毅「人類と気候の10万年史」講談社ブルーバックス、2017)

 そもそも、温度を引き上げているのはガス、その中でも二酸化炭素ばかりではあるまい。太陽活動が盛んか否かを始として、様々な要因があろう。

 とはいえ、人間活動が盛んになってからの気温上昇に、温室効果ガスが某か寄与しているであろうことは、それなりにわかる。例えば、1988年に設立されたIPCC(国連の「気候変動に関する政府間パネル」は、温暖化は人間活動が原因なのかと問い続けてきた。それぞれの時点での評価としては、1990年の「気温上昇を生じさせるだろう」から1995年の「影響が全地球の気候に表れている」へ、2001年には「可能性が高い」(66%以上)へ。それからも、2007年の「可能性が非常に高い」(90%以上)を経て、2013~2014年には「可能性が極めて高い」(95%以上)へと変わってきている。
 太陽が放射する可視光線を吸収しにくい反面、地表から放射される赤外線は吸収する性質をもつ。そうなると、差し引きの勘定がどうなっているかだが、地球が吸収している光のエネルギーの方が、宇宙への放出よりも僅かに小さいのだという。要するに、これが積もり積もって気温の上昇を招いているとの話が組み立てられている。

 ともあれ、このパリ会議での合意により、温室効果ガス削減の地球全体での目標にかなうように、各国はそれなりの努力をしなければならないことになった。各国の現状と力量がともに問われよう。すなわち、各国は、全体の目標を念頭におきながら、自分のところでの排出量を段階的に削減するプランを立てねばならない。その上での、今度はたゆまぬ努力が欠かせない。
 アメリカだが、トランプ政権になってからパリ協定から外れる姿勢を露わにしている。顧みると、1992年に「気候変動枠組条約」を採択、1997年には「京都議定書」が採択されたものの、2001年そのアメリカが「京都議定書」から離脱したことがある。
 2009年にデンマークのコペンハーゲンで開かれたCOP15においては、米国などの先進国と発展途上国の対立があり、妥結に至らなかった。一方、経済発展の著しい中国は、現時点でみるかぎりよくわからないところが見受けられるものの、パリ協定の遵守を表明するに至っている。かたや日本においては、「2030年までに、温室効果ガス排出量を2013年と比べ26%削減する」というものだ。


 ここで参考にしたいのは、もしかしたら人類がこれまでに成してきた、そして今行っている活動により、次の氷河期が来るのを遅らせている(遅らせる)のではないか、というドイツの研究結果が、2016年の雑誌「ネイチャー」(2016.1.13)に発表されている。その「おおよそ」には、こんな文章が寄せてある。

 「The past rapid growth of Northern Hemisphere continental ice sheets, which terminated warm and stable climate periods, is generally attributed to reduced summer insolation in boreal latitudes.

Yet such summer insolation is near to its minimum at present and there are no signs of a new ice age.

This challenges our understanding of the mechanisms driving glacial cycles and our ability to predict the next glacial inception.

Here we propose a critical functional relationship between boreal summer insolation and global carbon dioxide (CO2) concentration, which explains the beginning of the past eight glacial cycles and might anticipate future periods of glacial inception.

Using an ensemble of simulations generated by an Earth system model of intermediate complexity constrained by palaeoclimatic data, we suggest that glacial inception was narrowly missed before the beginning of the Industrial Revolution(産業革命前).

The missed inception can be accounted for by the combined effect of relatively high late-Holocene CO2 concentrations and the low orbital eccentricity of the Earth.

(✳️1)
Additionally, our analysis suggests that even in the absence of human perturbations no substantial build-up of ice sheets would occur within the next several thousand years and that the current interglacial would probably last for another 50,000 years. (この文節の大意としては、「おそらく今後5万年の流れでいうと、氷河期が訪れることはない」という。

(✳️2)
However, moderate anthropogenic cumulative CO2 emissions of 1,000 to 1,500 gigatonnes of carbon will postpone the next glacial inception by at least 100,000 years.(今後の二酸化炭素排出量(1000~1500ギガトン、ギガとは基礎となる単位の10の9乗、つまり10億の量であることを示す)次第では、「次の氷河期が始まるのは最長で約10万年先」とも結論づけているところだ。

Our simulations demonstrate that under natural conditions alone the Earth system would be expected to remain in the present delicately balanced interglacial climate state, steering clear of both large-scale glaciation of the Northern Hemisphere and its complete deglaciation, for an unusually long .」(要は、以上のごとき「デリケートなバランスの上に立った間氷期の気候」をもって、「私たちのシミュレーションの表明」とする訳だ。
 なお、ここに言われるのは、あくまでも研究サイドの話ながらも、「現在の地球は次の氷河期に突入している、もしくはその日の到来は近い」という説(「気候変動否定説」とも称される)への批判表明ともなっていることに、留意されたい。

(続く)

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

新〇263の3『自然と人間の歴史・日本篇』征韓論  

2020-10-14 08:46:40 | Weblog
263の3『自然と人間の歴史・日本篇』征韓論 
 
 西郷隆盛は、明治維新の最大の立役者であろうが、その彼も維新後に大勢が固まりつつある中で孤立を深めていったようだ。岩倉具視や大久保利通らが欧州へ行っていろいろ見分を広めている間、留守組の彼は板垣退助らと「征韓論」を喧伝していた。
 それというのも、維新後は武士という階級が経済的になり立たなくなっていく。禄をはんでくらしていたものが、今度は自前で生活の糧を得てゆかねばならない。上級ではない武士であったかれらは、維新の実現に大いに貢献した。彼らの国を思う志なくして、新しい時代の扉は開かれることはなかったであろう。
 それなのに、維新後は、旧藩主らが形を変えての特権を維持したのに対し、一般の武士たちは新しい国家からしかるべく、あたらしい役割を与えられない。急な変化にあっても、家族ともども霞を食って生きながらえていく訳にはゆかないのだ。
 西郷らは、このことを深く憂えたのであろう。そして、そこからの妙案が外国、しかも西洋ではなくて、日本以上に近代化の遅れている近隣国、とりわけ旧態依然の王朝を維持している朝鮮半島なのであった。
 なお、これをもって西郷らの意識の遅れ、植民地主義にかぶれた思想の立ち遅れを指摘する向きもあろうが、当時の人物だとみられていた多くが、ある種のアジア蔑視の政治思想に囚われていたのを忘れてはなるまい。
 さて、西欧から戻ってきた代表団の面々は、そんなことに係わるよりは、今は内を充実させるべきとの「正論」をいう。西欧列強に飲み込まれないだけの国内の体制を築くのを最優先にすべきと。結局、西郷らは、この政争に敗れる。
 1873年(明治6年)、西郷、江藤新平らは辞表を提出しての野に下る。西郷の場合で言うと、「陸軍大将近衛都督兼参議の辞職願」(10月23日付け)ということであった。維新までの難事を切り抜けてきた西郷としては、惜しむらくは、もう少し周囲の様子を見てからでも遅くはなかったであろうに、また国の行く末を憂えての事とはいえ、朝鮮半島への野心を燃やすのは間違いというべきであり、全体としてやや軽はずみな一挙であったのではないだろうか。

 そうは言っても、朝鮮王朝があくまでも日本との国交を拒んだ場合において、西郷が本気で朝鮮への出兵を本気で考えていたのかは、わからない。ちなみに、「明治六年八月十七日付ー板垣退助宛西郷隆盛書翰」には、こうある。

 「只今の行掛にても公法上より押詰め候へば、討つべきの道理はこれ有るべき事に候へ共、是は全く言訳のこれ有る迄にて天下の人は更に存知これ無く候へば、今日に至り候ては全く戦の意を持たず候て、隣交を薄する義を責め且つ是迄の不遜を相正し、往先、隣交を厚する厚意を示され候賦を以て使節を差し向けられ候へば、必ず彼が軽蔑の振舞相顕れ候のみならず、使節を暴殺に及び候義は決して相違これ無き事に候間、其の節は天下の人、皆挙て討つべきの罪を知り申すべく候間、是非、この処迄に持参らず候では相済まざる場合に候段、内乱を冀ふ心を外に移して国を興すの遠略は勿論、旧政府の機会を失し無事を計て終に天下を失ふ所以の確証を取りて論じ候」(「大西郷全集」)
 そういうことであれば、当時の明治新政府の間での主導権争いも含めて、さらなる手掛かりを得るまでは、なお真相を探る努力を惜しんではなるまい。

 また、江藤新平の場合は、この論の急先鋒であったのかどうなのかは、わからない。これは穿った見方なのかもしれないが、江藤という人は、思索の人、また情義にあつい人物なのだった。そもそも彼は、明治政府にその気骨溢れるを見出だされ近代国家たるべく司法改革、民法編纂などに尽力してきたのであり、出身地の佐賀の「不平士族」の行く末を案じ、ひいてはそのことが国内の治安を乱すことにつながるのではないかと、人一倍以上も思案していたとも考えるのだが、いかがであろうか。

(続く)
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆