○203の1『自然と人間の歴史・日本篇』「マウンダー極小期」の日本

2020-10-17 22:19:41 | Weblog
203の1『自然と人間の歴史・日本篇』「マウンダー極小期」の日本

 そもそも現在の間氷期にいたる氷期と間氷期のサイクルは、ごく大まかに地球の公転軌道と自転軸の傾きの変化(これには、一説には、木星などの重力の影響も考えられるという)、火山活動などにより太陽からの日射の分布が変化して引き起こされているというべきであろう。
 そのことを自然要因とするならば、例えば次の氷期の到来がいつのことになるかという話は、かかる要因が基(もとい)となり、現代では人間活動の影響も加わり、おおよそ何万年周期という地質年代レベルのスパンで微妙に変化することによってもたらされる、と考えるのが自然な成り行きなのだろう。
 それでは、この間の人類の歴史においては、どうだったのだろうか。例えば、1600年代中頃から1700年代前半にかけて太陽活動が低調な時期があって、この影響を受けた当時の北半球では「マウンダー極小期」と呼んでいて、氷期とまでは行かないという意味であろうか、「小氷期」の一部と説明されている。
 おりしも日本では、1600年頃に約1400万人~1600万人だったと推定される人口は、1721年には人口3128万人(実数調査による)まで膨らんだ。この100年間に日本列島の人口がほぼ倍増したことになっている。これを支えたのが、おもに全国的な田畑の開墾・干拓や、東北地方などで行われた灌漑などによる米をはじめ穀物の生産増だった。

 ここで振り返っての、マウンダー極小期においての平均気温は、その前後と比較して、一説には、「摂氏約0.1度から0.2度、最大で0.3度低かった」と考えられているという。

 また、別の専門家により、こうも言われる。
 「300年前に寒い時期があって、グラフにはそれが示されています。注目したいのは300年前です。太陽活動が非常に弱い「マウンダー極小期」と呼ばれていた時代です。太陽の黒点が現れないことが70年くらい続いたといわれています。それで地球も非常に寒かったのではないかということで、やはり太陽は大事だという一つの根拠になっています。
 その頃どれくらい寒かったかというと、産業革命前の平均気温より摂氏0.5度、どんなに大きく見積もっても摂氏1度くらい低い気温です。太陽だけが原因ではなく、火山の原因も入っていますので、太陽活動が弱まったとしてもその影響は摂氏1度未満だろうというのがこのデータからいえることです。」(地球環境研究センター、江守正多「本当に二酸化炭素濃度の増加が地球温暖化の原因なのか」、同氏の論考が掲載されている、国立環境研究所発行の「地球環境研究センターニュース」2018年6月号、インターネット配信より引用)

 ついては、この時期の日本農業は、これによりどれくらいの影響をうけたのだろうか。



(続く)

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