@サラ☆
三津田さんの物語、3回目!
★お殿さまとお姫さま
武家の時代が終わって45年もたつのだから、
お殿さまとかお姫さまとかいう表現はそろそろ消えていたかもしれない。
しかし、大正時代の前田家の生活様式を、21世紀のいま振り返って想像すると、
父親はお殿さまだし、フサコさんはお姫さまと呼びたくなってしまう。
フサコさんの幼少のころから娘時代にかけて、そんな家風が前田家の基本だった。
「祖父は1万石の士族だったの。明治維新のとき、1万石あれば男爵になれたんですよ。
だけど祖父は男の子がいなくて、子どもは女ばかり4人。
女の子では相続権が3千石引かれるから、けっきょく男爵にはなれなかったのよ」
とフサコさんが面白そうに話していたけれど、
藩の家老職ともなると、やはり家ではお殿さまだったのかな、とか思うのだ。
フサコさんの父親という人は、1万石の元士族の家に、5万石の元大名の家からきた人。
当時、生活習慣は武家時代そのままに保たれ、父親は自分だけの部屋をもち、
家族の中に出て来ることはなかったそうだ。
「食事はいつも別。自分の部屋で母にお給仕をさせて、一人で食べていましたね」
「だから父と一緒の一家団欒なんて、考えたこともありませんでした」
残りの家族はどうしていたかというと、大きなテーブルをいっしょに囲み、
お手伝いさんのお給仕で食事をしていた。
ちなみに図書家は大家族で、フサコさんと妹2人と14歳年の離れた弟(長男がいたが、4歳のときに夭逝している)の4人姉弟。
それから、武家の暮らしが抜けきれず、大正時代でいいかげん普通の生活をするようになっているのに、フサコさんが一人で外出したりすると、「おつきもつけないで、一人で出かけて」 と嘆いた江戸生まれの祖母もいた。
さて、一家の長としての父親の尊厳たるや、確固たるものだった。
たとえば大きくなってお正月にかるた会に呼ばれたときなども、父親の許しは絶対だった。
そういうときは、父親の部屋の障子の前で、
「かるた会に呼ばれましたけれど、行ってよろしゅうございますか?」とお伺いを立てる。
障子越しに、「よい」という許しがでれば、出かけて行った。
「父には資産がありましたからね。だから武家の商法で、
京都で仲間と銀行を立ち上げてつぶすなど、好き勝手なことをやっていました」
母親はそんな父親の世話に明け暮れ、苦労が絶えなかったのだとフサコさん。
「だからね、わたしは独身のほうがラクでいいと思ったものですよ。
母のように旦那様に尽くし、お世話に追われて人生の大半を取られるくらいなら、
ぜんぶ自分のために使ったほうがいい、なんて自分の都合のよいように考えていました」
親元にいるのは居心地がよかった。
フサコさんの身の回りのことは、よく躾けられたお手伝いさんたちが、
なにくれとなくめんどうをみてくれる。
お洒落もし放題。
着物は出入りの呉服屋さんがもってきてくれる反物のなかから、
気に入ったものを仕立ててもらう。
洋服も、百貨店で素敵な服だと思えば、すぐに購入する。
習い事も、あれもこれもと好きなように打ち込める。
こんな楽しいことはないと思っていたのだ。
「娘時代の私は、親元にずっといようと決め込んでいたんですよ。
ずっと独身でいようと思っていたの」
お姫さまなんて自分ではまったく思わなくても、
実際、端から見れば、まるでお姫さまのような生活だった。