三津田富左子さんは大正元年(1912)生まれ。
本郷の東大赤門のところに昔建っていた、加賀前田家のお屋敷で生まれた。
戦国武将前田利家の末弟の子孫で、叔父は伯爵。乳母や女中さんに囲まれたお嬢様育ち。
娘時代は思う存分お洒落を楽しみ、習い事に明け暮れた楽しい日々。
当時デパートは、ハイカラな人たちがゆく、ハイカラな場所だったが、三津田さんの妹さんが語っていた、こんなエピソードがある。
あるとき妹さんがデパートで買いものをしていると、店員さんが「あら、向こうから素敵な方が歩いていらっしゃるわ」と、もう1人の店員さんに言葉をかけた。
妹さんも興味をひかれ、いったいどんな人かしらと、店員さんの視線を追ってみると、「なんだ、お姉さまじゃないの」……。
当時のデパートの店員さんは、ファッションセンスや客の品定めに長けた一流の職業婦人。
その人たちが素敵と感じた三津田さん。
27歳で東大出の官僚と結婚し、夫の赴任先の朝鮮へ。
戦争さえなければ、日本に戻れば知事夫人の座は約束されていたそうだ。
しかし、終戦をピョンヤンでむかえ、トラックの荷台に夫と子どもと乗り込み、命からがら38度線を越えて脱出し、日本に戻ってきた先に待っていたのは、国家公務員の質素な生活(と三津田さんは言っていた)。
もっとも、落ち着いて幸せな日々だったそうだ。
「私は贅沢をしたいと思っていたわけじゃありませんしね。父から質実剛健の気風を受け継いでいるから、別に平気でしたよ」
ところが三津田さんが50歳のとき、思いもかけず、夫がガンで急逝。
青天の霹靂である。
国家公務員の官舎を出て、夫の退職金で練馬に小さな家を買い、半官半民の会社でのOL生活をスタート。50歳にして、初めて働くことを経験した。
港区三宅坂にあった会社まで通うのに、通勤着は着物。
「着物はたくさん持っていたけど、洋服は作らなくちゃいけなかったのよ。節約のために着物で通すことにしたんですよ」と三津田さん。
まもなく、一人娘の直子さんも結婚して家を出、1人暮らしの生活が始まった。
お淋しかったんじゃありませんか?
「人間は誰だって孤独ですよ。ひとりで生まれてきて、一人で死んでゆくんだもの。
とにかく、まず、淋しくないと決めるのよ。
生活に緊張感をもって、自分を節し、凛として生きて行くのがいいでしょうね。
それから、楽しいことを見つけて片っ端からやってみるの。
楽しみはいろんなところに見つかるわよ。
湿ったハンカチみたいにジトっとしていないで、明日はどんな楽しいことがあるかしら、と心を弾ませるんです。
そして、行動することね……」
そんなことが書いてある本が出た。
『50歳からの楽しい楽しい「ひとり時間」』
じつは、10年前に単行本で出た本が、文庫化され、今月また新しい装丁で単行本になった。
潔く人生を受け入れ、心躍る楽しみを見つけて、颯爽と生きていくヒントがいっぱいの本だ。
100歳でなくなった三津田さんの温かいメッセージである。
三津田冨左子さんの新しい文庫本が2017年10月23日に発売になります。
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三津田 富左子 | |
三笠書房 |
2021.9.22追記
三津田さんの物語をキックオフしました。
よろしかったら、のぞいてみていただけると嬉しいです!!