年末をアイルランドで過ごした友人は、
ロンドンのヒースロー空港が霧ですっぽりと覆われたために、
ロンドン→羽田直行便に間に合わず、
ドイツを経由して日本に帰ることになった。
ところが、その飛行機が途中でエンジントラブル。
シベリアの空港に緊急着陸したあげくに長時間待たされた。
そしてやっとのことで正月の二日に、日本に戻ってきたということだ。
日本でのん気に過ごしていた私が、アイルランド土産にもらったのは、オスカー・ワイルドのマグネット。
このマグネットもまた、送り主とともに苦難の帰路を旅してきたかと思うと、妙に面白い。
ハハハッ(笑い事ではありませんが、無事帰ってこれて目出度い)
マグネットは、オスカー・ワイルドのバストアップの顔写真と、「誘惑には抗いがたい」という意味の英文が書かれている。
イケアで買った白い鉄製の丸テーブルに、
ブルーの花柄のテーブルかけをかけて使っているのだけど
布がしょっちゅうズレて困っていた。
ちょうどいいので、オスカー・ワイルドのマグネットを
テーブルの中央に貼ってステイのかわりに。
そうしたら、いい感じで納まった。
というわけで、今のところ頻繁にオスカー・ワイルドの顔と対面している
なにしろオスカー・ワイルドがアイルランドの出身だとは知らなかった。
『ドリアン・グレイの肖像』『サロメ』、童話の『幸福の王子』などで有名だけど、
オスカー・ワイルドと聞いてピンとくるのは、
わが愛する休暇物語の作者、アーサー・ランサムが被告となった裁判だ。
アーサー・ランサムは最初の結婚生活を送っているとき、
オスカー・ワイルドの評伝を書くよう依頼された。
出来上がった評伝は、『オスカー・ワイルド、批評的研究』というタイトルで出版された。
ところがすぐさま、アルフレッド・ダグラス卿から、名誉毀損罪で訴えられたのだ。
アルフレッド・ダグラス卿はオスカー・ワイルドがホモセクシュアルの罪で刑に服したときの恋人とされる。
1912年、ちょうど一世紀前の話だ。
アーサー・ランサムは自伝にこのように書いている。
「私は、ワイルドの『デ・プロファンディス』(獄中のワイルドがダグラスに当てた手紙 注・サラ☆)の手紙全部を読んだ人間ならだれでも持つにちがいない見解をアルフレッド卿に対してもっていた。しかし、不必要な苦痛を与えるのをさけたいとねがっていたので、(それができる部分では)極力彼の名をあげて書くことはさけた」
アーサー・ランサムにしてみれば、不当ともいえる罪で訴えられたわけだ。
そして、訴えられるだけでもたまらないことなのに、裁判は13カ月も続いた。
結果的に勝訴となったものの、裁判は彼を相当痛めつけたらしい。
アーサー・ランサムは裁判に結着がつくとすぐに、
逃げるようにロシアに向けて旅立つ。
その大きな理由の一つに、この裁判で疲弊したことをあげている。
そんなわけで、オスカー・ワイルドというと、アーサー・ランサムのことを思い出す。
そして、アーサー・ランサムの物語は、私の中では幸福な記憶。
マグネット一つで、いろんなことが連鎖的に思い出される。
「物」というのは記憶を喚起するスイッチの役割を果たすんですねー。