殺し屋と盲目の少年ジョーイの物語は、32のそう長くもないエピソード挿入で語られていく。
この本は、委託連続殺人と、その殺人の意図するところをめぐって
キャシー・マロリーやライカーなど、ニューヨーク市警重罪犯罪課の刑事たちが
事件を追っていくのがメインの筋立て。
けれども、描かれているのは殺し屋コンロイと、尼僧となったアンジーと、その甥で盲目の少年ジョーナの物語。
ただ、尼僧のアンジーは冒頭のプロローグで死んでしまうから、実際には殺し屋と少年のやり取りで進んでいく。
プロローグでは、殺人未遂1件と過失殺人1件と、誘拐1件が、
思いもかけない偶然から一瞬にして起こってしまう。
それは若い尼僧の悲鳴によって周りの人たちに周知される。
ただし、なぜか死体も何も残っていないのだ。
何が行われたのか、誰も知らない。
後になって、この冒頭の謎は解き明かされる。
ふうん、でも、そんなバカな偶然がある…?
しかし、考えてみれば、世の物語、その人個人の物語であっても、
物語は偶然が導き出すもの。
意外性があるから、物語は動き出す。
委託殺人の内容はわかりづらく、納得できない部分もあるけど、
殺し屋と少年の話はなかなかいい。
人間のことを、ただの肉としか見ていないプロの殺し屋は
盲目の少年を殺すことをためらい、
少年の心臓とみせかけて、墓に埋められたばかりの別の少年の心臓を
依頼主の要求通りに市長に届ける。
そして結局、最後の土壇場でも、少年の息の根を止めることはできなかった。
(内容、語ってますね。ちょっとネタバレです。)
なぜ殺し屋は、最後の最後で、少年を殺さなかったのか?
そのことについては、マロリーの友人で心理学者でもあるチャールズ・バトラーが
このように考察している。
★少年は冷酷非情な殺し屋、ひとり淋しく田舎で暮らす男とともに、
チェリオスやバーベキューのハンバーガーを食べた。
彼らはいろいろな話をし、いっしょにテレビを見た。
そして、誘拐のシナリオをさらに大きく逸脱し、男はジョーナに車の運転まで教えた。
たぶん、殺人を犯しにここに来て初めて気づいたのだろうが──
コンロイは少年が恋しかったのだ。
こんな描写のところもある。
尼僧となったアンジーは、薔薇を育てるの天性の才能があった。
★それらの薔薇はどれもみな、ある少女に捨てられた庭の主が
その後、植えた種から生まれたのだ。
この骨の折れる作業、何年にもわたる労働。
それはすべて、一縷(いちる)の望みのもとになされた。
いつか帰ってくるかもしれない少女のために。
その少女というのは、アンジーで
庭の主というのは、殺し屋のコンロイのことなのだけど、
そのあたりの詳しい物語は本書で!
今年の3月に発売になった本。
前作の『ゴーストライター』が出版されてから1年だから、
翻訳者の務台夏子さんも、頑張ってくれたんだな、と思う。
文庫本で555ページの大作。
ただ、この『修道女の薔薇』(BLIND SIGHT/アメリカでは2016年刊行)を最後に
次の作品は出てないらしい。
もう4年も経っている。
著者は今年72歳になるのだと思う。
もしかして、キャシー・マロリーのその後の物語は語られないのかな、
と心配になる。