サラ☆の物語な毎日とハル文庫

三津田さんの物語⑤~カモシカ、フサコさん

@サラ☆

第5回、三津田さんの物語です。

 

カモシカ、フサコさん

 

フサコさんの父親は、加賀前田本家の農場の管理を任されて北海道に行ったり、

当主の月々の墓参の代理をするために金沢に行ったりしていました。

そんなこともあり、女学校の5年間は金沢で過ごしました。

(「三代つづいたチャキチャキの江戸っ子だったんですけれどね」と、

フサコさんは言っています。)

 

通ったのは第二高等女学校。

当時金沢には第一高等女学校と第二高等女学校があり、

華やかさにおいて優っていた第二高女を選んだそうです。

 

おとなしく、人前ではあまりしゃべらない女の子だったフサコさんですが、

女学校時代、目立つどころか女学校の星として輝いた経歴がありました。

 

何しろ足が速かったのです。

 

ジャマイカの短距離走者ウサイン・ボルトが人類史上最速のスプリンターと

憧れの的になったように、

俊足というのは、人々を心の底から興奮させる要素。

ちなみに、小学校でなんといってもモテるのは足の速い男の子です。 

 

さて、金沢では当時、1年に1回、石川県下の女学校の代表が集まる

秋季大会という運動会が、県営の大運動場で開催されていました。

その大会に、フサコさんは5年間、選手として出場しました。

黒いブルマーに白い運動シャツ。

152センチと小柄ながら、颯爽とした姿。

体格のいい女子と並ぶと、あまり速そうには見えません。

ところが、走り始めると、速い、速い! まるでカモシカのようです。

 

個人種目の50メートル、100メートル、200メートルではつねに決勝で1位。

4人で走る200メートルリレー、400メートルリレーでは、

ずっとアンカーを任されました。

そして、2番手、3番手でバトンを受け取っても、

前を走る走者をぐんぐん追い抜いて1着でゴールイン。

同じ女学校から応援に来ている学友の前で、

大声援のなか、ゴールのテープを切るのですから、

こんなハレがましいことはありません。

フサコさんは、5年連続でトラックの全種目に優勝という華々しい結果を残しています。

 

そんな風でしたから、女子生徒の間でフサコさんがモテないはずはないのです。

5年の最上級生のときには、2年生と3年生の女子に、

「好きです」という告白の手紙をもらいました

根が真面目なフサコさんは、きちんと返事を出しましたが、

通りいっぺんの差しさわりのないことを書いて

ゴメンナサイということにしたそうですけれどね。

 

老女となったフサコさんが、当時を振り返ってうれしそうに、

そんな思い出話をしてくれました。

そして、その“健脚”(けんきゃく)があるから、

「車もない独り暮らしだから、どこに行くにも足を使うけれど

歩くのは一向に苦ではなかったのよ。

どんなに遠くても、平気でしたね。『歩け、歩け』ですよ。

わたしがいまでも原始人のように健康なのは、

よく歩いたからだと思いますよ。健脚のおかげね」

 

たしかにフサコさんは、老女とは思えないくらいスタスタと歩きました。

ついていくのに、急ぎ足にならないといけないくらいでしたっけね。

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