相も変わらずマキシム・ゴーリキー。
思想信条も文化も、たぶん見えている世界観もまったく別のルートをたどる人が
同じような考えにたどり着いている知ると、面白い。
そこに児童文学、子供の本の普遍性を感じるのだ。
ゴーリキーは『児童文学論』(出版元・新評論)の
「おとぎ話について」という論考にこんなことを書いている。
(1929年にロシアで出版された『千夜一夜物語』の第一巻序文として発表されたもの)
★おとぎ話において、もっとも為になるのは、「フィクション」である。
つまり、事実よりもずっと向こうまで見通すことができる、われわれのすばらしい思考能力である。
「魔法のじゅうたん」のことは、飛行機が発明される何十世紀もまえに、おとぎ話作者のファンタジーが知っていた。
すばらしい速度で空間を移動するものについても、ファンタジーは蒸気機関車・ガスエンジン・電気エンジンなどが現れるずっと前に予言していた。
ファンタジー・「フィクション」こそが、やはり人間のおどろくべき資質のひとつである。
直観力、つまり「推測力」を作り出したのだし、育成したのである。
★文芸においても、ファンタジー、フィクション、直観が、決定的な役割をはたす。
観察や研究や知識だけではだめで、さらに「フィクション」や創造が不可欠なのである。
創作とは、多数のこまごました事実をあるひとつにまとまった完全な形式へと統合することである。
世界文学のすべての傑作はこのようにして作られたのである。
ゴーリキーは「フィクション」を、
「事実よりもずっと向こうまで見通すことができる、われわれのすばらしい思考能力」
と言っている。
なるほど……。
「事実」はとても重い、堅固なもののように感じられるけれど、
氷山の一角、見えている部分に過ぎない。
海面下にあるもの、
その見えているものの周りに付随してある
見えないものを
類推する力。
それがフィクションであり、
物語化されたものがファンタジーである。
というようなことが言えそうだ。
繰り返すようだけど
ゴーリキーが児童文学の世界に顔を出すとは
意外だし、面白い。