サラ☆の物語な毎日とハル文庫

「ゴーリキーの児童文学・児童読み物論」のノート

 『ゴーリキー 児童文学論』という本がある。
新評論という出版社から1973年に出版されている。
 
 
ゴーリキーといえば戯曲『どん底』に代表されるように
社会主義リアリズム文学を牽引した作家じゃなかったっけ? 
 
そのゴーリキーが児童文学に深く関わっていたらしい。
 
 
 
この本は、〝ゴーリキーの膨大な作品・メモ・論文・書簡のなかから、
児童文学に関連する発言をひろいあげ、選別し、
系統的に編集し、一冊のゴーリキー児童文学論としてまとめられた〟もの。 
 
 編者であるメドヴェージェヴァ女氏(1914年モスクワ生まれ)は、
モスクワ図書館大学大学院において
『ゴーリキーの児童文学理論および評論』という修士論文を書き、
その後ずっと大学教育や図書館で、児童文学図書に関わってきた人だ。 
 
 
 すごくない?
 
 
 
ロシア革命に揺れ動いた時代背景のなかで
果敢に活動したあのゴーリキーが、
児童文学に深く拘泥しつづけた。 
興味をいたく刺激される。 
 
  
 
その本の冒頭に、メドヴェージェヴァ女氏の
「ゴーリキーの児童文学・児童読み物論」
という論稿が掲げられている。
ゴーリキーの考えがどのようなものだったか、
そのなかの印象的な部分を、
個人用ノートとし記録しておきたいと思うのだ。
(以下抜粋・引用です) 
 
 
 
 ★ゴーリキーは子供のなかに、
国の未来、明るく美しい新生活の創造者を見た。
調和のとれた発達をした個性の教育、
「人間的な人間」の教育、
それがアレクセーイ・マクシーモフ(ゴーリキー)の教育理想である。
 
 
 
 ★ゴーリキーは、教育のもっとも重要な武器は文学である、と考えた。
人間の世界観・性格・感情の形成におよぼす文学の影響を、
ゴーリキーは、まずはじめに、自分で体験した。
それを証明するものとしては、彼の論文、自伝的作品『人々のなかで』、
『どのように私は学んだか』、『おとぎ話について』、
『バルザックについて』などがあげられる。
ゴーリキーが少年時代・青年時代に読んだ本は、
彼の精神的飢餓をいやし、強い心をうえつけ、
彼のまえに世界をくりひろげていった。
「自然科学と並んで、──と後にゴーリキーは述べている。
──それ以上でなくとも、それとかわらないほど、
人間の理性・意志に影響をおよぼす強力な手段となるのは、文学である。」
 
 
 
★作品のなかに子供の形象をつくるとき
彼が強調しているのは、
現実のひじょうな困難と残酷さにもかかわらず、
子供の魂のなかにかくれている明るく人間的な要素、
彼の表現によれば子供の「社会的理想主義」である。
 
 
 
 ★幼少年の心理的特徴、読者としての関心をよく知っていたために、
ゴーリキーは、児童向け読み物の選択の原則をはっきりさせることができた。
そして、ソビエト児童文学の理論を造り上げることができたのである。
さらに、どんなファンタジーであれ、
それは有害なもので、社会主義競争への積極的参加から
子供たちを遠ざけるものだと考えられていた頃でも、
おとぎ話を擁護することができたのである。
また目の前の現実の問題から逃避したと非難しつづけた
エセ左翼的批評の攻撃から、マルシャーク、(以下略)といった
多くの作家をまもることができたのである。 
 
★ゴーリキーが編集長をしていた
ソビエト最初の児童雑誌『北極光』の編集陣は、
民間伝承をも数多く発行した。
そこには、英知と創意と機智と勇気とが、
愚考と貪欲をうちまかしている。
  
 
 ★民話と並んで、ゴーリキーは、
民間伝承に根ざした創作をおこなっている作家たちの文学的童話をも
子供たちにすすめている。
それらに、プーシキン、アクサーコフ、エルショーフ、アンデルセン、
ハウフなどのおとぎ話がある。
 
 
 ★「現実に基礎をおいていないようなファンタジーなど、存在しない。
現実と願望。
たとえば野獣は人間よりも強い、
だが人間は野獣よりも強くなければならない。
いかに大きな野獣でも、空飛ぶ小鳥を捕まえることはできない。
そこで、空を飛びたいという願望が生まれ、
地上をはやく走りたいという願望が生まれて、
〝早駆け靴〟、〝空飛ぶじゅうたん〟などが出てきたのである。
原始人のファンタジーは、自分が願望しているものの表現であり、
自分にとっての可能性の表象にほかならない。
……仮説の原型としてのおとぎ話。」
 
 
 ★ゴーリキーは、原則的に児童向けに古典文学作品を改作することに反対であって、
ただ、子供にはあまりにも退屈なデテールの削除とか、
テキストの若干の縮約をみとめるのみであった。
K・I・チュコーフスキーの証言によれば、
彼は再三こう言っていたという。
「わが国の少年少女は、ディケンズやユゴーのどの本も、
元のままの形で受けとる十分な権利をもっている。
私は一般に、高学年の子供用に改作することは反対だ。
低学年向けは話が別だ。
……たとえば、ウォルター・スコットを再話することは、
子供の頭を表面的な、
やさしい読み物になれさせることにほかならない。
これには私は賛成できない。」
 
 ★ゴーリキーは、子供たちの生まれながらの陽気さ、
たのしい滑稽な遊びへの関心を、理解していた。
「10才未満の子供が、たのしみを要求したとしても、
そういった要求は、生理学的に当然のことなのだ。」と
論文『耳に綿で栓をした人』で書いている。
ゴーリキーは、ユーモア・娯楽・笑いにたいする子供のこの権利を、
児童学者や通俗社会学派との戦いのなかでも守りとおした。
彼らは子供を楽しませようとするのは子供を重視しない現れだ、
といった間違った言葉をろうして、
子供たちから陽気さをうばいとっていたのである。
 
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