サラ☆の物語な毎日とハル文庫

横尾忠則は「自分の中の子供と一緒に生きている人は長生き」と言っている

↑ 2021年7月17日(土)- 10月17日(日)に東京都現代美術館行われたGENKYO 横尾忠則 原郷から幻境へ、そして現況は?』展より画像拝借。画家の肖像

 

AERA dot.(アエラドット)でみつけた週刊朝日の記事に

『横尾忠則「自分の中の子供と一緒に生きている人は長生き」』という記事がありました。

週刊朝日の連載「シン・老人のナイショ話」の2022年4月15日号の記事。

子どもでいることについて画家の横尾忠則氏が書いています。

 

そのなかに、横尾氏が子どもの頃に読んでいた本についての記述が…。

なかなか面白いです!

 

僕は大人になりたくない症候群だったので

大人の読む本はいっさい読んでこなかったのです。

いつまでも子供でいたいために、ターザン映画を観て、バローズの「ターザン」を読み、

わが日本の密林冒険小説家の南洋一郎を愛読しました。

また一方で江戸川乱歩の「怪人二十面相」は血湧き肉躍るアンチヒーローでした。

バローズや南洋一郎の密林の奥の洞窟は

終戦後の東京の焼跡の地下の二十面相のアジトと繋がっていました。

とにかく子供は冒険が大好きです。芸術も冒険的行為です。

 

(そう言えば、宮崎駿さんも「僕は大人の小説には向いていない人間だ」

とおっしゃっていましたねー。)

子どもとは? について横尾忠則氏はこんなことも。

 

じゃ、子供とは何ですか? 子供は心の中で作られる物語です。

フィクションです。

大人になるということは、心の中のフィクションがなくなることです。

そして自分の中を現実一色にしてしまうことです。

永遠の子供でいたいなら自分の中に物語を持つことです。

大人になるとその物語はどんどん失われてしまいます。

 

心の中にフィクション(物語)があることが大事なんだと

指摘しています。

子供の心と言うのは、社会に対する知識や認識がまだ備わっていない分

感覚としてとらえられるフィクションに満ち溢れています。

 

(ここからはあくまでも私・サラの考え)

菓子パン一つとっても、成分がどうとか、値段がどうとか、作り方がどうとか

どうやって手に入るかではなく、子どもにとっては

「美味しそうなパン」「美味しいパンの記憶」

「お母さんが、はいどうぞと言って渡してくれる、魔法のように目の前にあらわれる食べ物」。

大人が抱く現実感が一切取り払われたもの。

つまり、菓子パンですら、子どもにとっては物語にくるまれています。

(そうであってほしい。)

 

現実はせちがらく、けっこう味気なく、辛いものだったりしますが

物語は(シビアなことも書かれているけれども)興味津々で、

楽しくて、冒険もあり、この世界は生きるに値する世界だと信じさせてくれます。

子どもが持っている純粋な感覚というものを大事にしたいなら、

フィクションを大事にしないといけないと思うし、

それは大人にとっても、かけがえのないもの。

 

横尾忠則氏も、こんなことを言っています。

(えーっ。それならば自分の中の子どもの心を、もっと大切にしたいですよね。)

 

フィクションが失くなると芸術魂も同時に消滅してしまいます。

芸術が理解できない人は心の中のフィクションを追い出して、

心の中を現実一色にしてしまっている人です。

僕は今でも子供の本を読みます。

子供でいることは健康でいることではないでしょうか。

自らの中の子供と一緒に生きている人は長生きするはずです。

延命のためにジョギングをしたり、アスレチックをしたり、ジムに通い、

サプリメントを飲むのもいいでしょうが、

そんな面倒臭いことなどしなくても、

自分の中の子供と戯れていればそれで充分長生きです。

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