サラ☆の物語な毎日とハル文庫

自分探し

あるテレビ局の朝の番組によると、大人になっても相変わらず「自分探し」をしている人がけっこう多いそうです。

この場合の「自分」というのが曲者です。
自分探しをするときの「自分」って、何なんでしょうね。
やっぱり、「生きがい」でしょうか?
生きている意味を納得できて、「よっしゃ、自分はこのために生まれてきたんだ」と確信できること。

そのために、ああでもない。こうでもないと試行錯誤する。

そうやって、前向きに取り組む意識があるのは素晴らしいことだと思います。
だけど、意識が勝ちすぎて、それでは、なかなか自分というものは見つからないのでは? と、思ってしまうのです。

自分探しの「自分」って、眠りみたいなものだと思うな。
「眠り」というのは、意識があると、手に入らないでしょ?
眠りたい、絶対眠る、眠れたらいいのに、さあ眠ろうと、動詞の五段活用みたくぐるぐる考えても、かえって目が冴えるばかりで、眠りは一向に訪れません。

眠りにつこうと思ったら、「眠らなければ」という強迫観念を忘れること。暗闇の中で目を開けて、「眠る」以外の何かについて考える。少なくとも、考えようとする。その瞬間、スーッと眠りに引き込まれます。(→サラ☆流睡眠術にゃり)

「自分と向き合う」ということをしても、自分はみつからない。
「眠り」と向き合ったって、眠れないのと同じです。
意識が邪魔をするんです。

自分をみつけるいちばんいい方法は「自分を忘れること」。
自分を忘れるためには、何かに夢中になること。
夢中というのは、「いやだな」とか「疲れるな」とか「勘弁してくれよ」という意識はそこに混じってないということです。
自分を忘れて何かに夢中になること。
時間の中に潜りこむこと。
そういう時間をたくさんもてたら、もう「自分はいずこに」などと意識をめぐらすことは、しなくて済むと思います。
ていうか、忘れてしまうと思います。
自分は、いまここにたしかにあった、と実感できる。
眠りから覚めたとき、眠りを実感できるように、「自分」を実感できるのです。

さて問題は、その夢中になるものは、たとえばパチンコとかアルコールとか、そういう類のものでもいいのか? という話です。

やっぱり「生きがい」というくらいですからにゃ。
「充実感」「達成感」があって、肯定できて、何よりも純粋な「喜び」がある。
そういうものであってほしいですよね。
そういうことに夢中になれたら、「自分」なんて言葉は忘れてしまうと思います。
もしも、パチンコがそうであるなら、パチンコでもいい。
判断・査定するのは他人ではなく自分ですから。

じゃあ、サラ☆は自分を見つけたの?

じつは、そういうことは、あんまり考えたことがなくて…。
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