サラ☆の物語な毎日とハル文庫

シャーロック・ホームズはコカイン中毒!?


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  シャーロック・ホームズはコカイン中毒!?

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僕は仕事机に肘をついて、ボーっとしていた。
目の前には、読み終わったばかりのコナン・ドイルの『四つの署名』が背表紙を上にして置かれている。

つくづく、うかつだったと思う。
子どもの頃に、子供向けに枝葉を落とされた抄訳のホームズものを読んでいた。
だからといって、大人の本を読みこなせるようになると、もっと現代に近いもの、
クリスティやクィーンを読み、そこから冒険小説に流れて、チャンドラーやギャビン・ライアル、
そしてディック・フランシス、マイクル・コナリーへと読みふけった。
ホームズものはよく知っている親戚の小父さんと同じで、いまさらその人となりを知る必要もない。
…と思い込んでいた。

「ホームズって、まじめで厳しくて、人間的にはあまり面白みのない男のような。
そりゃあ、犯罪に関しては天才的な論理と嗅覚の持主だと思うけど」
と言ったとたん、ハル文庫で新しく運営に携わることになった高木さんに
「ワッハッハ」と大笑いされたのだ。

「男の子なのに、そういう人も珍しいわね」
「へっ?」と言った僕は間抜け面をしていたと思う。
35歳にもなって、男の子呼ばわり!? 
まあ、相手は50歳になる図書館業界ではその名の知れた女性なんだから、聞き流すとするか…。

「まあまあ、とにかく子供用の本ではなく、完訳されたホームズを読んでみて、
感想を聞かせてくださいな」
と高木さんは、ホームズものを3冊、無理やり僕の手元に押し込んだ。

その3冊を読んだあげくに、僕は「うかつだった」と自分を責めているのだ。

子どもの頃に受け取ったホームズの印象とはまるで違うホームズが、浮かび上がってくる。

背が高く痩せていて、鷲鼻で顎ががっしりしているのはイメージの通り。
本人から話を聞くまえに、その人の素性を言い当てる推理の面白さも、思っていた通り。
バイオリンはプロ級の腕前で、作曲すら自在にこなす。
ここの部分はすっかり忘れていた。

しかし、子ども頃の印象ではすっかり大人で、えらいおじさんだと思っていたけれど、
案外若いじゃないか。
ワトソンの略歴や作者コナン・ドイルがホームズものを手がけた年齢から類推するに、多分30歳前。

今の僕よりも若い!

本編への登場の仕方も、聖バーソロミュー病院で実験しているところで、
新しい試薬を発見して興奮している。
若くて、ハツラツとしている。
これは、僕がもっていた、型にはまったホームズの印象とはずいぶんちがったのだ。

そして、なによりもびっくりしたのが、コカインを常用していること。
事件を抱えていなくて退屈なときは、コカインの7パーセント溶液を自分で腕に注射する。
日に3度もだ。

かなり危ない男のような気がする。言うなれば、ヤク中もどきである。
普段は節制ある清潔な生活ぶりというから、ストイックな精神力からして、
ヤク中一歩手前で踏みとどまる理性を持ち合わせているのだろう。

同様に恋愛にも興味はない。そういうことで精神を煩わされたくはない。
つまり、どこまでもストイック。

科学や犯罪学など、さまざまな分野で天才的な能力を見せるが、
コペルニクスの地動説や太陽系の構成については無知というアンバランスさ。

ホームズはイカれた部分を垣間見させてくれる、じつに人間臭い人物なのだ。
この人物像なら、男は誰でも(というかほとんどの場合)好きになるに違いない。
だから数限りなく映画化されたりドラマ化され、亜流の物語が他の作家によって作られるのだ。

その場合もヤク中もどきの人間臭さを排除してしまっては、
ホームズの魅力は半分は消し飛んでしまう。
子ども向けの本に、もちろんコカインの常用など書くわけもない。
したがって、ホームズの本当の魅力や面白さが子どもに伝わるわけはないのだ。

僕がうかつだったのは、謎解きの面白さだけがきわだった子供向けの本で、
ホームズを読んだつもりになって、長い間ホームズものから遠ざかっていたこと。
ゆるぎない存在であるホームズを友として認識しなかったことだ。

結果、僕は高木さんと、今頃になってホームズについて、
もの知らずの初級読者のように話すはめになったというわけだ。

【見つけたこと】物語のなかの人物は、場合によっては、実在の人物以上にリアルな存在感があるし、
有名である。
そして読書は極めて個人的な体験ゆえに、だれでも物語の中の人物と個人的に親しい友達になれるのだ。

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レディバードが言ったこと
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「コナン・ドイルは、自分の作中人物が、ここまで世界的に有名になるなんて思ってなかったのよ」
とレディバードは考え深げに言った。

「そりゃそうかもね。書いたのは目の前のテーブル。極々個人的なスペースで、
作業と言っても手先を使うだけ。
頭脳は外界を駆け巡るとはいえ、自分はほとんど動かないんだから、
そんな自分の仕事がそれほどまでに世界に広がっていくなんて、作家もびっくりするのかも」と僕。

「大きくひと言で作家とくくっちゃいけないわ。
ホームズのような存在は特別なんだから。
作家は無数にいるけど、ホームズのように世界的に認知された登場人物は少数だし、
そのなかでもホームズは際立ってるわ」

「コナン・ドイル自身がすごい作家ということじゃない」

「まあ、そうなんだけど、コナン・ドイルは
ホームズばかりがこれほどもてはやされていることに不本意なんだわ」

「どうして?」

「彼はね、壮大な歴史物を2冊書いているし、その方面で評価されたいと願っていたの。
ところが世間があまりにホームズをもてはやすものだから、すっかり嫌気がさして、
ホームズをさっさとスイスのライヘンバッハの滝の滝つぼに、
モリアーティといっしょに落としちやったってわけ」

「それ有名な話らしいね」

「有名って、それも小説になっているもの。それで読者は大騒ぎ。
『ホームズを殺さないでほしい。ぜひ生きていてほしい』という嘆願書が、
出版社にもホームズのところにも、山のように舞い込んだのよ」

「へー、それで結局死んだのではなく『姿をくらましていました』ってことで再登場したってわけだ」

「そうなの。読者にとってホームズは汲めども尽きない魅力あふれる人物なのね。
こんな友達がほしいとみんな思うんじゃない? 
あなただって、そう思ってるでしょ?」

「まあね。信頼できる確固たる存在だからね。
論理を重ねるところも直感に優れているところも、いざとなったら格闘も辞さないところもいい。
ホームズが助けようと思ってくれさえすれば、こっちはものすごく安心していられる。
そういう友達って、ありがたいよ。
おまけにバイオリンの素晴らしい音色が聴けて、タバコの吸いすぎやコカインの常用に対し、
『体によくない』と意見してやることもできるんだ。
その完璧でないところが、すごく人間味があって、いま僕はものすごくホームズが好きだよ」

「そういうことよ。
ホームズはコナン・ドイルの分身なんだから、コナン・ドイルもそういう人物なのね。
コナン・ドイルも最近は、いいかげんホームズ作者に甘んじる気でいるらしいけど、
どこが不満なんだか」

「自分が本当に書きたいと思い込んでいる作品と、神様が書くようにと設定された作品は、
必ずしも一致しないってことじゃないかな。
『自分は』というところに、あまり重きを置かないほうがいいのかもね」

「そうよ。だからあなたも物語の案内人という立場を甘んじて受け入れたらいいのよ。
雑誌の記事なんかにうつつを抜かしてないで」
そう言うと、レディバードはからかうようにフフッと小さく笑った。

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