『若草物語』は4人姉妹の物語だ。
姉妹を描いているけれど、主人公となるのはジョー。
ペンで作品を紡ぎだすことで収入を得る職業婦人の道を賢明に模索するジョーの姿に、
共感せずにいられない。
メグは育ちのいいお嬢さんだし、ベスは自分のことよりも人のことを思いやる心優しい女の子。
エイミーはお洒落で、絵の才能を磨きたいと思っている自己主張のはっきりした女の子。
それぞれ長所も欠点もあり、個性があって、4人そろえば楽しいことがあふれ出る。
新しい『若草物語』の映画が公開されたこともあって、
(『ストーリー・オブ・マイライフ わたしの若草物語』 25年ぶりに新しく映画化された)
『若草物語』を読み返してみた。
手に取ったのはたら谷口由美子さん翻訳で講談社から出ている『若草物語Ⅰ&Ⅱ』。
『若草物語』と『続若草物語』の合本で、4人姉妹がそれぞれ家庭をもつところまでが描かれている。
(ベスだけ、違う世界にいってしまった。懐かしい、あたたかいベス…。)
それで思い出したのだけど、この物語は『天路歴程』という1678年に世に出た物語が、出発点として提示されている。
『天路歴程』というのはイギリスのジョン・バニヤンが書いた寓意物語。
ウィキペディアによると、「『破滅の町』に住んでいたクリスチャンという男が、『虚栄の市』や破壊者アポルオンとの死闘など様々な困難を通り抜けて『天の都』にたどり着くまでの旅の記録の体裁をとっている」そうだ。
「この旅はキリスト者が人生において経験する葛藤や苦難、そして理想的なキリスト者の姿へと近づいていくその過程を寓意したものであり、登場人物や場所の名前、性質などは、それらのキリスト教的な人生観・世界観に基づくものとなっている」とか。
物語の始まりの、第1章の見出しは「巡礼ごっこ」
お母さまが姉妹たちにこう言うのだ。
「みんなおぼえていますか、あなたがたまだ小さかったころ、よく『天路歴程』をして遊んだのを?
重荷の代わりに私の小布袋をしょわせてもらって、帽子と杖と巻物をもって、地下室からずっと家中を遍歴して歩くのほどお気に入りの遊びはなかったのよ。
その地下室は『滅亡の町』で、そこからだんだんお家の屋根の上までのぼっていって、そこで天国をつくるためにいろいろな美しい物をみつけるんでしたね」
そしてこうも言う。
「これはね、エーミー、いくつになってもやっていいことなんですよ。
私たちはみんなそれぞれのやり方でそういうことをしているのですからね。
みんなの重荷はすぐそばにあるし、道は私たちの前にあるのです。
そしてね、いいことをしたいとかしあわせになりたいとかいう気持ちは私たちの道案内で、それが私たちを導いて様々な苦しみや間違いを通り抜けて平和なところへつれていってくれるのです。
それがほんとうの天国なのよ。
それじゃね、巡礼さんたち、こんどはお遊びじゃなくて、まじめになってもういっぺんやってみましょうか、お父さまのお帰りまでにどのあたりまでいけますかねえ」(以上、引用部分は『若草物語』吉田勝江訳/角川文庫によります。)
つまり、自分の欠点や苦手なこと、やりたくないけれどやるべき仕事などと取り組み、頑張って克服して、素敵で幸せな自分になりましょうということかなー。
お母さまが遊びにかこつけてお話するので、そんな小むずかしいことでもなく、読むほうも素直に納得するシーン。
ここから物語は(あいだにいろいろ挟みながらも)、それぞれの少女が、自分の課題にどう見舞われ、どう取り組み、何を学ぶのかがエピソードとして描かれていく。
その導入になる部分があったんだと、読んでいて思いだした。
キリスト教の概念がベースにある物語。
それはしかたない。
欧米の物語はおおむねそうだから。
ロビンソン・クルーソーだって、孤島の中で神さまと対話するのだ。
なんにしても、そういう細部のことを「そうだ、そうだった」と思い出しながらの読書は
至福のときでした。
やっぱり、この物語が大好きだ。