サラ☆の物語な毎日とハル文庫

藤原新也の「沖ノ島」の写真展を見て無人島の神職の祝詞に思いを馳せたこと

去年神社に関する本の仕事をしたこともあって、

神社がすごく気になる。

 

だからというわけでもないけれど、

3週間ほど前に日本橋高島屋で開催されていた、

藤原新也の沖ノ島の写真展に行ってきた。

沖ノ島といえば世界遺産に登録されたばかりで、

そのニュースが大々的に報道されたから、知ってる人も多いと思う。

九州の福岡県にある、宗像大社のお宮がある島だ。

 

宗像大社は日本書紀にも出て来る、天照大神(アマテラスオオミカミ)の三人の姫神

“宗像三女神”を祀った神社。

本当に由緒ある神社なのだ。

宗像三女神はそれぞれ、

九州本土の辺津宮、

海上の大島にある中津宮、

そして玄界灘の孤島、沖ノ島の沖津宮という三つのお宮に祀られている。

 

面白いのは辺津宮と中津宮と沖津宮を直線で結んでそのまま伸ばすと

韓国の釜山辺りにぶつかること。

古代から朝鮮半島への大事な交通路である“海北道中”の線上に二つの島がある。

 

そして、何よりも沖ノ島を特別にしているのは

神職以外の一般人の立ち入りを禁止している禁忌の島であること。

女人禁制であり、女性はまったく立ち入ることができない。

世界遺産に登録されたからには、そのタブーが解かれたかというと、とんでもない。

一般人の立ち入りは男性であっても一切禁止という、

さらに厳しいもものになったという話だ。

 

目を見張るような巨石が散在する沖ノ島は、島自体がご神体なのだ。

島そのものに神さまが宿っているのだから、

恐れ多くも普通の人間が気軽に足を踏み入れては駄目なのだ。

 

特別に許されたものだけが上陸できる。

というわけで、写真家・藤原新也が島に入って、

古代がそのまま封印されている神秘の島・沖ノ島の様子を

写真に切りとって見せてくれた。

 

写真にはものすごい臨場感があり、

自分がまさにその光景を目にしているかのような迫力があった。

自分が実際に沖ノ島に分け入って、沖津宮に参拝してきた。

そんな充足感のある写真展だった。

 

そして思うのだ。

沖津宮には、宗像大社の神職が10日交代で泊り込み、毎日のお勤めをするそうだ。

周囲に島影すらない無人島でたった一人。

どんな思いなんだろうって。

 

無人の島の真ん中にあるお宮で、ひとり祝詞をあげる。

ろうろうと響きわたるその祝詞の声は、

木々や岩、草、鳥たち、虫や動物、そして風や陽射ししか聞くものはいない

もちろん島に鎮座している神様がいる。

沖津宮に祀られている田心姫神(タゴリヒメノカミ)

自然や神々のために祈る祝詞を、ただ一人、険しい道を15分ほども島の中に分け入って、唱える神職の心はどんなものなんだろう?

 

藤原新也の問いに答えて当番に当っていた神職は

「心が洗われるような気がします」と答えていた。

きっと地球の心といった神々と向き合う、崇高な時間にちがいないと思ったり。

 

船着場の桟橋のところに社務所があり、当番の神職はそこに寝泊りする。

近くに真水の湧き水があり、太陽光発電装置や船舶無線などが設置されている。

NTTドコモのアンテナが島の灯台に設置されて、

20キロ四方の洋上で、携帯電話だけは通じるそうだ。

 

朝、海に入って禊をすませると、沖津宮へ向かう。

第一の鳥居をくぐると、海岸線の断崖をのぼる400段の石段が見える。

海風にあおられながら石段を登った先に巨大な自然石がある。

ここで足をすべらせたら命の危険がある。

だから気をつけて進む先に、原生林へとつづく第二の鳥居がある。

 

第二の鳥居を過ぎてうっそうと生い茂る木々の間の道を登り続けると、

上りきったところに第三の鳥居があらわれる

第三の鳥居を過ぎると、緩やかな下り坂。

古代から変わることのない自然と、時間がそこにある。

すりばち状の盆地のようになっていて、その底のところに、

巨石を背景に、巨石に組み込まれるように沖津宮が建っている。

沖津宮は17世紀に建てられたという。

それまでは社殿を設けず、自然そのものに祈りを捧げていた。

 

第三の鳥居を過ぎたこの沖津宮の周辺には巨石が集中していいる。

古代の祭祀遺跡が23ヵ所もあるそうだ。

その祭祀は大和朝廷が執り行う国家祭祀。

遣唐使が廃止されるまで続いた。

 

神職は、神様に神饌を供える「日供祭」のほかにも、

きっと社殿の掃除を欠かさないにちがいない。

神様は清浄を好まれるので、心ある神社は隅々まで掃き清められ、

掃除が行き届いているものだからだ。

 

沖ノ島の周辺で漁をする漁師たちは、桟橋に船を寄せて捕れた魚を神職に献上し、

神饌としてお供えしてもらったりする。

 

そういう日課はあるものの、自然のたてる音以外は静けさに包まれた島の10日間は、

どのようなものなのだろう。

無人島なので、人口の光社務所のほかは一切ない。

 

何度も言うけれど、神職とはいえ、心の修養とはいえ、

10日間の無人島暮らしは、どんな感じがするんだろうな。

沖ノ島で一番興味をそそられるのは、そこのところだ。

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