バイク・キャンプ・ツーリング

NERIMA爺、遅咲きバイクで人生救われる

1998年7月1日 北海道ツーリング 4日目

2025年01月26日 | 1998年 北海道ツーリング
7月1日(水)  静内キャンプ場~上富良野





 午前9時前後にはキャンプ場を出発。
 えりも町から池田に回ってキャンプするつもりだったが、明日は天気が崩れるらしいので、富良野のキャンプ場で連泊することにする。
 静内町の弁当屋さんらしきところで弁当を作ってもらい、二十間道路を走り、71号をちょっと走ったところにある、ハイセイコーのいる明和牧場前でバイクを停め朝食。子馬などが好奇心もあらわに近寄ってきては、また向こうに駆けていく。ダートを数キロ走り、237号に合流。

 富良野にきたからには、O垣さんに顔見せくらいはしなくてはと、上富良野の商店街に行ってみると、パレードの真っ最中で交通規制が敷かれている。それでもなんとか、記憶にあるO商店あたりをうろうろしてみるが、どうにも見つからない。10年以上前に訪れているとはいえ、そんなに勘違いするはずがない。シャッターの閉まっているそれらしい家にもいってみるが、商店の看板などどこにもない。
「あの、O商店はどこでしょうか?」
 と、パレードの見物に出ていた老人に訊いてみる。
「Oさん宅なら、ここだよ」
 と、シャッターの閉まっている家を指さす。
「お店はやってらっしゃらないのですか?」
「もう、やってないよ」
「どこか引っ越しでもされたんですか?」
「奥さんはローソンにいるっていうけどな」
 しばし、頭が混乱。
 事情がよく飲み込めないまま、自衛隊基地の横にあるというローソンまでいってみることにする。ようするにO商店はコンビニに模様替えして、店は利便性のある国道沿いに移転して、住居だけは元のままだということだろうと勝手に解釈。

 国道沿いのローソンにいき、とりあえず、レジ・カウンターを見つつ、商品棚の前にいく。女性がいるにはいるが、Oさんの奥さんかどうかはっきりしない。カップメン二ヶとボトル入りのお茶を買って、とりあえずレジにいき、声を掛けてみる。
「オレ、わかる?」
 顔をじっと見つめられて、しばし間。
「Y君?」
 という感じで再会。
「今夜は泊まってきな。ジンギスカンでもやって飲もう。うちのダンナも今日は仕事休みだからちょうどいいからさ」
 ということになり、自宅にいるというOさんに電話。

 近くの日の出公園にテントを張って、そこから出直してくると言ったが、とりあえず、自宅に一回いってくれというので、Oさんとも10数年ぶりに再会。髪をぐいんと背中まで伸ばして縛っていて、今もドライバーをしているという。元酒屋だった店内には見事になにもなく、バイクと自転車置き場と化している。ホンダのオフ車とカワサキのGPZ750が置いてある。GPZは友人から5万円で買ったとのこと。以前、会ったときは自転車に凝っていて、バイクの、バの字もでなかったはずだ。この10年のあいだに、Oさんもバイクに乗るようになったんだと思うと、感慨深いものがある(もちろん、自分も含めてだが)。2人とも、いつのまにかギターからバイクのハンドルを持つようになっていたのか。

 大きなネコを飼っていて、黒いほうが「クロダ」という名前で、白いほうが「ネコダ」という名前だと教えられる。そう言えば、奥さんも、可愛い子猫のような容貌だったのに、久しぶりに会ってみると、なんというか、テレビの上に居座っている大きなネコを想像してしまった。ときおり、大きな目でぎろりんとあたりを見回す。そういえば、奥さんとは東京で何回も会っていたくせに、今もって下の名前は知らない。

 Mさん(コンサートの裏方をずっとやってもらっていた)が谷川岳で婚約者の目の前で滑落死した話などを聞く。何回か北海道にもきていて、Oさん宅をベースにあちこちにいっていたという。そのあと、十勝温泉の銀山荘までバイク2台(Oさんはオフ車)でショートツーリング。入浴の回数券を持っているとかで、風呂代をおごってもらう。すばらしく眺めのいい露天風呂にはいり、つい数年前に中学生の息子さんと二人で東京から引き上げてきたAさんの話など聞きながら、長風呂を楽しむ。以前きたときに、小さな子供が二人いたが、上の女の子は旭川の高専に通っていて、下の男の子はもう中学生だという。いろいろ出費が大変なようだ。

 夜はAさんもやってきて、Oさんの家で飲み会。――Aさんは、今から10数年前に渋谷の「アピア」でM君とジョイント・ライブをやったときに、ゲストとして出演してもらったり、その他にも何回か一緒のステージに立っている。やがてギターやらキーボードを持ちだしてきて、ワイワイとミニ・コンサート。大いに飲む。Aさんから、なにやらダイオキシン問題がどうのこうの、役場まで抗議にいったとかいう話も聞いたりする。みんな、がんばっている様子。
 結局、その日は、Oさん宅にお世話になる。
 


1998年6月30日 北海道ツーリング 3日目

2025年01月25日 | 1998年 北海道ツーリング
6月30日(火)  
 倶知安(旭ヶ丘キャンプ場)~鵡川~静内(森林公園キャンプ場)




 午前8時起床。1時間後には出発。
 羊蹄ふきだし湧水のある公園に寄るが、はっきりした場所がわからず、276号線を支笏湖方面に向かう。しかし、寒い。空模様もいまひとつ、はっきりしない。ということで支笏湖は横目に通り過ぎて道道16号を千歳方面に向かうが、この道はなかなかいい。

 さらに国道337号から道道226号を追分という町にでて、274号をさらに夕張方面へ向かう。夕張市を跨いだところにあるドライブインで、カツカレーの朝&昼食。しみじみうまい。食後、274号と交差する237号を鵡川方面に南下。235号と交差する富岡でからちょっと逆戻りする感じで鵡川に向かっているつもりが、なぜか苫小牧方面に10キロも走ってしまう。なにやってんだと、気を取り直してUターン。鵡川では橋を渡った左側にあるシシャモ専門店で冷凍のシシャモ(8匹、1100円)を購入。やはり、旬の時期は秋とのこと。

 有名な競走馬のいる様々な牧場の看板を横目に見ながら、昨日の元大工をやっていた男性から聞いたお勧めの静内町「森林公園キャンプ場」に午後4時前には到着。5時までにはキャンプ場近くの温泉などに浸かり、無料のマッサージ機で身体をほぐし、受けつけのホールでカンビール4本を買ってキャンプ場に戻る。
 マッサージ機は2台あったが、横に座っている女の人はどう見ても、沖縄かなという顔の造作だ。不思議な気分だったが、その人の子供がやってきて(家族でやってきていた)、そうか、アイヌ系の人たちかと納得。そういえば、この地はシャクシャインが蜂起した場所に近いのだった。

 大阪からやってきているという馬好きのキャンパー(ZZR400)に、東屋でやっている会費50円のチャンチャン焼きに誘われるが、味付けに失敗したらしく、やたら辛い。自分もシシャモを提供。そのキャンパーはもう1人の名古屋からきたチャリダーと共に意気投合して、2人とも、もう1ヶ月以上ここにいるという。今では管理人とも仲良くなり、今日のチャンチャン焼きの鮭も管理人からの差し入れだという。2人とも競馬ファンで、馬の名前を際限なく出されるが、一体、なにをしゃべっているのか、ちんぷんかんぷん。他に、やはり大阪から一人旅の60歳代のおじさん。さらに大阪から車で2ヶ月の予定で北海道を回るという25歳の同級生女の子2人組。1人は大阪中央市場で働いているらしく、無理して休暇を取ったらしい。

 競馬ファンの男たちは、「これ言っちゃいけないって言われてんのやけどね」と言いながら、女の子たちの反応を見たりしている。
「なんやの、なんやの?」
 得意そうにペラペラと、「あしたな、馬のなにするところを管理人の特別の計らいで、見れるんや」と秘密めかしてしゃべる。
「ええ、なんやのなんやの、なんやのぉお」
 どうやら、馬の種付けが見学できるらしい。そんなものに、まったく興味ないといえばウソになるが、疲れを癒したい。トイレに行き、10時くらいにはテントに戻る。彼らは12時過ぎまで騒いでいたようだ。



1998年6月29日 北海道ツーリング 2日目

2025年01月24日 | 1998年 北海道ツーリング
6月29日(月)
(青森~函館~二股ラジウム温泉~積丹半島~余市~倶知安(旭ヶ丘キャンプ場)




 練馬から青森インターまで約700キロ。よく走った。
 午前1時半、青森インター出口でフェリー乗り場までの地図をもらい、ちょっと迷いながらも無事フェリーターミナルに到着。夏休みになると、ライダーがテントを張って、キャンセル待ちや、順番待ちをするという駐車場脇の芝生をしばし鑑賞。そのあとフェリーの時間を調べにいく。

 次の函館行きのフェリーは2時50分発。
 1時間以上もヒマなので、待合室2階の食堂でなにか腹に入れることにする。早くも北海道気分になり、ミソラーメンを注文。お客さんは他に家族連れらしい人たちが1組。食べ終わるころに、常連とおぼしき客が何人かくる。はじめての味噌ラーメン、いける。出発の20分ほど前から案内すると係員に言われていたので、バイクの近くにいると、駐車場まで大きく響くアナウンス。
「バイクでご乗船のY様。乗船準備をお願いします。バイクでご乗船の……」
 ひゃああ。なんでオレの名前が呼ばれんのよと思ったが、乗船カードに名前書いたんだっけ。というわけで、一番最初にフェリーに乗船する。他にバイクなし。こりゃ、北海道初日は単独一人旅っぽい。

 函館までは約4時間の船旅。横になるが、なかなか眠れない。レインスーツを着たほうがいいのかどうか、フェリーの甲板に出てみると、北海道方面はどんより雲が垂れこめている。雨かもしれない。晴天は期待はしないほうがよさそうだ。
 6時半くらいには函館着。
 いよいよ、北海道にバイクで最初の一歩。少々緊張するも、あっけなく上陸。予定では松前方面にいくつもりだったが、どんより黒雲に覆われている。それはそれ。気ままに進みたい方向に走ろう。反対方向の函館市内に走って5号線を北上。森町ではイカめしを食いたいが、時間が早すぎる。帰りに函館に寄りそうなので、そのときだなと、一人浮かれ気分。森町を静かに通過。

 室蘭方面の海上には垂れこめた灰色の雲。だが、斑状にところどころ雲が明るくなっている。ひょっとして晴れるかなと期待していると、しばらくして太陽が顔を出す。このぶんだと大雨の心配はないようだ。
 長万部、5号線沿いのホクレンでガソリンを入れるついでに、名物のカニメシを食べようと、向かい側にあるドライブイン(カニメシ、と、どでかい看板が掛けてある!)で朝食を摂る。開いたばかりなのか、客はほんの一握り。1000円ちょいでカニメシ、ゲット。なかなかいける。まだ、興奮状態なので、少々まずくてもそう思ったことだろう。今はなんにでも感激してしまう心境だ。
 食後、ぜひ立ち寄りたかった二股ラジウム温泉を目指して走る。
 長万部から5号線を左折すると、前後にバイクも車もいなくなる。ちなみに、この独占状態はこのあと、北海道のあちこちで経験することになる。

 二股ラジウム温泉。午前9時半には到着。
 どうやら一軒宿温泉のようだ。坂の上にある駐車場から下を見ると、古い木造の一軒家が大地にべったり張りついている。雰囲気いいなあ。適当にバイクを停めて建物に向かい、でてきた50歳くらいの宿のおばちゃんに金500円を払い、いざ北海道初温泉だなとブーツを脱ぎかけていると――
「バイク?」と、おばちゃん。
「はい」
「どこに駐めたの?」
「ええと、そこに」
「柵の中に駐めた?」
「いいえ。外のほうですけど……」
「それだと、キツネにいたずらされるから、柵の中にいれて」
「はい。……あの、どんないたずらをします?」
「食料を狙って、バイクのバッグをカジんの。それでバイクの配線をやられたりするのよ。去年も2台ほどそういうことがあったの。コードを囓られてエンジンかかんなくなって、わざわざ町から修理にきてもらったりしたんだから……」
 ――そうか。とういうことで、またブーツを履き直してバイクを柵の中に入れ直す。柵は10メートル四方くらいのものだけど、柵の高さは1・5メートルくらいしかない。キツネがその気になったら、簡単に中にはいってこれそうだ。そう思いながらも、バイクを中に入れる。柵の中にはオフ車が1台。

 風呂場に行く途中、長期滞在客の部屋が長屋のように7、8部屋ほど並んでいる。なんだか、昔の下宿屋という雰囲気だ。いや、湯治場か。開け閉てすると、ガタピシと音が立ちそうな出入り口が並んでいる。雰囲気いい。
 傾斜に沿った暗く長い廊下を突き進んでいくと、次第にむんとしてくる。温泉の熱気だろうか? 古いカーペットが敷いてある廊下をさらに下っていくと、突き当たりが脱衣所。服を脱いでいる途中から、早くも汗が吹きだしてくる。

 温泉は溶岩ドームのような中にあり、岩肌がもろに露出して、傾斜に沿って浴槽が小さな段々になっている。湯治客らしい人がちらほらいる。運転の疲れと、ろくに寝ていないこともあり、極楽、極楽と湯に浸かっていると、突然、若い女性が二人はいってくる。もちろん、水着などつけていない。場慣れしている。先客のじいちゃんと話を交わすの聞いていると、どうやら彼女たちは湯治にきているようだ。

 外にも露天風呂があったので、山の景色と渓谷の緑を眺めながら1人湯に浸かっていると、今度は別の若い女性が外にでてくる。彼女もタオル一枚のみ。景色を物珍しそうにきょろきょろしているところをみると、自分と同じ日帰りのようだ。それにしても明るい空の下、自然に振る舞うには、結構、気をつかう。この温泉と、ときおり雲間から見える紺碧の青空。ホントに気持ちいい。

 2時間ほどゆっくりして午前11時くらいには出発。厨房にいた宿のおばさんに訊いたところ、1泊5800円。昔は1部屋を雑魚寝のように多人数でつかっていたらしいが、今は他人と一緒だといやがる若い子たちもいるので、2人くらいで1部屋を貸しているという。長逗留だと料金は少し割り引きになるらしい。駐車場でオフ車できていたライダーとすこし話をする。彼はこれから江差、松前方面に向かいキャンプだという。こちらは今夜、どこにキャンプするか決めていないが、とにかく積丹半島方面を目指して出発。

 温泉で一休みしたからか、体調もすっきり、寝不足や疲れなど吹き飛んでしまい快調に走る。
 岩内から積丹半島に近づくにつれて、今日は積丹岬でキャンプしてもいいかなという心境になる。だが神威岬を過ぎたあたりから、猛烈な風。海の向こうはドス黒い雲に覆われている。どうも、こちらに向かっているような気がしてならない。風も、夏とは思えないほど冷たい。半島の岬を境にこんなに天気が違うものか。今夜だけは、ゆっくり眠りたい。まだ午後1時過ぎ。時間は十分にある。他を探そう。

 あの崩落事故のあった豊浜トンネル横を通り(道路工事のために時間差一方通行でかなりの渋滞、きょろきょろする余裕なし。トンネルが実際どうなっているのかなど、見るヒマもなし)、ニッカウィスキー発祥の地、余市を右折、しばらく走った途端に風がウソのように収まる。太陽まで顔をだしてくる。地形の関係だとは思うが、峠を境に天気が変化するような感覚だ。
 さて、どうしよう。地図を見ていると、ニセコ方面に温泉とか野営地があちこちに点在しているそうだ。とりあえず、ニセコを目指す。

 倶知安から58号をニセコの山を登る。景色がすばらしくいい。北海道上陸後、初めて景色に感動。うおーっという感じだ。ニセコパノラマラインを岩内方面に走っている途中で、対面のライダーとすれ違ったが、彼は絶叫しながら、右手を大きく振り上げくるくる回している。気持は、よーくわかる。岩内までは下りずに途中から引き返したが、もう彼と会うことはなかった。
 あとはニセコ野営場を探しまくって、右往左往する。ニセコの駅近くで場所を訊くと、「あの向こうの山と山の間あたりになるかな」
と教えられる。
 距離は10キロ以上はあるらしい。がっくり。――書き留めておいた野営場の住所はニセコなんとかとなっていたので、てっきり駅の近くと思いこんでいた。もう、冷たい缶ビールとツマミまで買ってバッグに背負っているのに……。ビールを冷やすために買った氷が背中越しに冷たくなってきて、妙に急かされる気分になる。結局、先ほどの道を引き返す。

 途中、道に迷い、りっぱなホテルの玄関前にでてしまい、ちょっと焦る。ニセコ野営場はニセコアンヌプリ(山)の頂上近く、なんのことはない、倶知安から登ってきた道をそのまま引き返したところにあったのだ。だが、テントを張っているキャンパーなどいない。人気もない。「クマ、注意」の看板だけ。ただでさえ寒いのに、夜はどうなるのだろう。ここでテントなど張ったら、かなり悲惨な目に遭いそうだ。
 ここでのテント泊、却下。
 下界にキャンプ場はないかと地図を見ると、倶知安に「旭ヶ丘公園キャンプ場」とある。結局、52号を最初に登りはじめたルートを引き返すような感じで下山。なんだか、どっと疲れる。ビールもぬるくなっていることだろう。それに日が暮れる前にはテントを張りたい。
 ようやくキャンプ場に到着。5、6基のテントに、なんだかほっとする。
「すみません。ここ、管理人さんとかいらっしゃらないんですか?」
 と、キャンプ場に備え付けのテーブルで本を読んでいた男性に訊いてみる。いないという返事。
「だまって、テント張っていいんですか?」
 OKということで、キャンプサイトの一番奥にテントを張る。
 横に川が流れているせいか、やたらに蚊が多い。テントを張る前に蚊取りセンコウに火をつけるが、あまり効き目はないようだ。集団でまとわりついてくるので、虫除けスプレーも腕、顔に吹きかける。新調したダンロップSK30テント。はじめて野外で張るわりには楽に設営(1回、家の中で試し張りしている)。それにしても、日が落ちるのが遅い。時計を見ると、もう午後8時近い。東京ならば6時半くらいの感覚か。やはり、ここは北海道なんだと再確認。

 さっきの本を読んでいた男性は5月に大工の仕事を辞め、以来、全国をバイクで旅をしているという。このキャンプ場に連泊中のようだ。バッテリー不調で、岩内のバイク屋で見てもらったところ、ジェネレーターかなにかがおかしくなっていて、その部品を待っているらしい。軽四輪で旅している男性がいて、野菜不足解消のため、荷台で野菜を育てながら旅をしている話を面白おかしく聞く。
 この時間になって、太陽がゆっくりとニセコアンヌプリを染めながら沈んでいく、その景色を肴に、一人でビールを飲む。思っていたほどには氷は溶けていない。心配していたのがバカみたいに思えてくる。500ミリリットル・ビール4本、シャケ缶で夕飯。暗くなってもキャンプ場備え付けのテーブルで1人飲んでいると、川崎からやってきた夫婦ライダーと大阪のカブ90ライダーと合流、一緒に飲み始める。その時間になると、星が満天に輝き始める。久しぶりの星空に感激。

 結局、この24時間で1000キロ近く走っているが、尻が痛くなっていないのが妙に嬉しい。以前、東京から四国まで24時間、1000キロ近く走ったときは、尻の皮がずるむけしているかと思ったくらいダメージがあったのに。今回はなんともない。……ひょっとしてあの経験で、尻の皮が厚くなったか、などと1人ほくそ笑む。
 午後10時くらいに地元の連中がどやどやとやってきて、炭をキャンプ場備え付けのカマにどかどかと放りこみ、ガスバーナーで豪快に火を点けて、カキ、ホタテなどを焼きはじめる。海で捕ってきたばかりだという。密漁じゃないかといぶかしむが、キャンプ場にいた全員におすそわけ。新鮮で、なかなかいける。
 そのあとゼファーでやってきたライダーのテント張りを手伝う。みんな、まだ飲んでいるが、疲れているせいか午後11時には寝る。夜明けの明るさに、はっと目が覚めて時計を見ると、まだ午前3時すぎ。やっぱり北海道だなと妙に感激しつつ、再び就寝。


1998年6月28日 北海道ツーリング 初日

2025年01月23日 | 1998年 北海道ツーリング
6月28日(日) 出発。(東京~青森)

 前日、プラグはネジ山の遊びの部分に細い針金をかませて、シリンダーの中に発火部が必要以上に突出しないようにする。おかげで、プチプチ音はしないようになる。ものの本によると、このプチプチ音はエンジンからの圧力漏れらしいので、これで正解だったのだろうと、勝手に納得。ネジ山には、耐熱用のモリブデン・グリースを薄くぬったので、これも少しは効いたのだろう。まあ、勝手にそう思っているだけだ。

 午後5時ジャストの出発。ひたすら東北道を北上する。午後6時過ぎ、途中のパーキングエリアでオニギリ(カミさんがにぎったやつ)をぱくつきながら、携帯電話で我が家に報告。仙台インターも無事に過ぎ、快調に飛ばしていたが、12時過ぎ、八幡平付近から霧雨。SAでレインスーツを着ていると、左リアバッグを停めている前方のバックルが外れて、バッグがブラブラになっているではないか。どあ。冷や汗ものだ。荷物が軽かったせいで、落ちずに助かったようだ。

 その前の話。仙台を過ぎたころ、途中、足の遅い車を抜くつもりで追い越し車線に車線変便をして、その車を追い抜こうとしたら急にスピードを上げやがる。いやがらせそのものだ。こっちもムキになって、140くらいまでスピードを上げるが、向こうもまたスピードを上げる。いるんだな。こういうやつが。まさか、面パトじゃないかと少々心配になるが、前方のゆったり流れている車の流れにつかまったようなので、こちらもスピードを落とす。まったく先は長いというのに、俺はなにをやっているんだ。おかげで、ガソリンがあっという間になくなる。
 ちょっと冷静になり、流れに乗る。

 冷や冷やしながらその後、東北の山の中を走る。ガソリンのメーターはとっくにリザーブ。まだ満タンから300キロも走ってないっちゅうに。やはり高速走行は燃費に悪い。この時間だと、他に走っている車もいない。長い下り坂になると、クラッチを切って慣性走行。少しはガソリンも保つだろうと希望をもつ。だが、なかなかSAの案内標識は見えない。一番燃費のいい60から80キロくらいで走行するが、早くSAにつきたい気持ちに即され、ついついスピードを上げてしまう。80キロくらいの速度だと、それまでガンガン飛ばしていたものだから、遅く感じてしようがない

 ようやく、青森の手前でガソリンスタンド併設のPA発見。喜んでスタンドに飛びこむが従業員がでてこない。数回、短くホーンを鳴らす。時刻は午前1時前。やはり、東北は夜が早いのだろう。建物の中をよく見ると、従業員が机に突っ伏して寝ている。もう1度、ホーンを鳴らすと、ようやく気がつく。寝ているところを悪いなあと思いながら、ガソリン満タンにしてもらう。



1998年6月某日 北海道ツーリング 

2025年01月22日 | 1998年 北海道ツーリング
1998年6月終わり~8月にかけて。

 この年、念願というほどではなかったが、北海道を走り回っている。仕事は辞めて、まあ、どうにでもなれという感じだった。そのころは児童書を共著で、3冊か4冊ほど出していただけで、とても食える状態ではなかった。その3年前に母が亡くなり、なんか、どうでもいいかと思っていたのかな。なんとか、なるっしょと。道内を40日ほど走り回った。距離にすると約1万キロ。今、振り返ってみると、このときが最高にわくわくしていたかもしれない。テント内でラーメンの煮立った湯をこぼして火傷したり、開陽台のキャンプ場では坂道を転倒してネンザもして足首が腫れ上がったし、富良野の砂利道では初転倒も経験した。40日ぶりに我が家に帰ってきたときには、蛍光灯の灯りが眩しくて眩しくて、なんだか人ん家にきたみたいだった。

 このときもカメラは持参していたが、それほど撮影はしていない。まあ、記憶がぼけないうちに、当時のルートを思い出しながら書き留めておこう。しかし、東京から往復高速を使ったとはいえ、400CCでよく走ったなあ。