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こんばんは。中小企業診断士の青木公司です。
本日4つ目のブログです。
今年、たくさんの年賀状をいただきました。しかし、青木からは年賀状をお出しすることが出来ず、代わりに数日前から寒中見舞いをお送りしています。
年賀状をいただいた方、不義理をしてすみません。もうすぐ届きます。
理由は、昨年2009年7月、父を亡くしたから。
その喪中のために年賀状をお出しできませんでした。だから寒中見舞いになりました。
19歳から航空自衛隊で仕事をして定年の54歳まで仕事をし、その後、某大手クレジット会社に再就職した父。
働き者で、運動神経抜群で、頭もよく、絵も上手で、囲碁がプロ級に強く、そして非常に達筆な人でした。
父の年賀状は、何の絵も描いていないのですが、筆で書いてあるその年賀状は、荘厳で、趣もあり、そして力強く、愛がこもっていました。
普段は口下手で、かつ口も悪かったりする父ですが、その年賀状を見ると、愛があふれていました。
青木は子供のころから、「はやく家を出て独立したい」という意識が強く、大学時代もバイトと遊びに明け暮れ、深夜に帰るか、友人宅に泊り込んで帰らないことが多く、会社も寮があるところを限定で受けて、すぐに家を出て寮に入り、親から離れました。
親不孝な子供です。年に一度実家に帰ればいいほうでした。
それから、父から年賀状をもらうようになりました。
23歳に初めてもらった手紙が年賀状。その後、毎年もらいました。
ある時、もらった年賀状にはこう書いてありました。
「公司へ。お前の幸せを、心から想ってやまない」
父がそんなことを想っていたのか・・・・。びっくりしました。今では宝物です。
父は71歳の若さで院内感染の敗血症で2ヶ月苦しんで亡くなりました。
瑞宝双光章という勲章を国からいただく名誉をもらい、本当に楽しみにしていた皇居訪問も入院でかないませんでした。
苦しんで苦しんでなくなりました。
苦しんで意識がない時でも、長男である青木が行くと、意識を取り戻し、青木の手を握り、「もういい」「もういい」といっていました。
意識がきちんとある時には、「お前も健康だけには気をつけろ」といっていました。
なくなった後、何度か青木の夢に出てきてくれました。
一緒に旅行に行った夢でしたが、「体調いいんだ。気分いいよ」といっていました。今は天国で体調がよく、気分がいいんだよね。
独立して、経営コンサルタント、中小企業診断士として、目一杯がんばっているつもりの僕ですが、父のように勲章ももらうことはおろか、あの美しく荘厳な年賀状を書くこともかないません。
せめて、勲章をもらった青木昭三の息子として、恥ずかしくないように、遠い将来、天国で父に会ったとき、「お前なりにがんばったな」といってもらえるように全力を尽くそうと思います。
今もらった年賀状を整理しつつ、もう届くことがない父の年賀状を心で受け取りながら、僕はそんなことを考えています。
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年賀状をいただいた方、不義理をしてすみません。もうすぐ届きます。
理由は、昨年2009年7月、父を亡くしたから。
その喪中のために年賀状をお出しできませんでした。だから寒中見舞いになりました。
19歳から航空自衛隊で仕事をして定年の54歳まで仕事をし、その後、某大手クレジット会社に再就職した父。
働き者で、運動神経抜群で、頭もよく、絵も上手で、囲碁がプロ級に強く、そして非常に達筆な人でした。
父の年賀状は、何の絵も描いていないのですが、筆で書いてあるその年賀状は、荘厳で、趣もあり、そして力強く、愛がこもっていました。
普段は口下手で、かつ口も悪かったりする父ですが、その年賀状を見ると、愛があふれていました。
青木は子供のころから、「はやく家を出て独立したい」という意識が強く、大学時代もバイトと遊びに明け暮れ、深夜に帰るか、友人宅に泊り込んで帰らないことが多く、会社も寮があるところを限定で受けて、すぐに家を出て寮に入り、親から離れました。
親不孝な子供です。年に一度実家に帰ればいいほうでした。
それから、父から年賀状をもらうようになりました。
23歳に初めてもらった手紙が年賀状。その後、毎年もらいました。
ある時、もらった年賀状にはこう書いてありました。
「公司へ。お前の幸せを、心から想ってやまない」
父がそんなことを想っていたのか・・・・。びっくりしました。今では宝物です。
父は71歳の若さで院内感染の敗血症で2ヶ月苦しんで亡くなりました。
瑞宝双光章という勲章を国からいただく名誉をもらい、本当に楽しみにしていた皇居訪問も入院でかないませんでした。
苦しんで苦しんでなくなりました。
苦しんで意識がない時でも、長男である青木が行くと、意識を取り戻し、青木の手を握り、「もういい」「もういい」といっていました。
意識がきちんとある時には、「お前も健康だけには気をつけろ」といっていました。
なくなった後、何度か青木の夢に出てきてくれました。
一緒に旅行に行った夢でしたが、「体調いいんだ。気分いいよ」といっていました。今は天国で体調がよく、気分がいいんだよね。
独立して、経営コンサルタント、中小企業診断士として、目一杯がんばっているつもりの僕ですが、父のように勲章ももらうことはおろか、あの美しく荘厳な年賀状を書くこともかないません。
せめて、勲章をもらった青木昭三の息子として、恥ずかしくないように、遠い将来、天国で父に会ったとき、「お前なりにがんばったな」といってもらえるように全力を尽くそうと思います。
今もらった年賀状を整理しつつ、もう届くことがない父の年賀状を心で受け取りながら、僕はそんなことを考えています。
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