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こんばんは!中小企業診断士のあお先生こと青木公司です。
本日4つ目のブログです。
本日は、「私はこうして修羅場を乗り越えた!我がご新人の頃の思い出!大手受験機関L〇〇の事例制作リーダー会議編」のお話をします。
僕は2004年12月二次試験合格、2005年3月登録の中小診断士ですが、受験校の講師はその仕事そのものの価値としても、また、いずれ人気の研修講師となっていくためにも絶対にクリアしたいもので、早期にエース講師の仲間入りをしたいと思っていました。
各受験校を分析して、大手受験機関で、メソッドが一定あり、そして、そういう中でもチャンスのありそうなところを分析し、ある大手受験機関で講師を目指すことにしました。
途中経過は今日は省きますが、あっという間に多くのチャンスをものにし、なんと合格から1年後には二次本科コースのリーダー講師、そして二次事例の政策リーダー講師(各事例の事例制作を各講師陣を統括して行う)になることができました。
大手受験機関のメイン講師の座を一年で手に入れたのですが、当時、一次、二次を合わせると登録講師は100名に迫るくらいいますし、一次も二次もそれまで貢献してきた、講師たちもぞろぞろいます。
そして何より、当時、その大手受験機関には2名のエース講師がいました。
フルネームは一応さけますが、当時、二次ではNO1の規模をほこった人力社(仮名)から来た方(通称、教授としておきましょう)とその受験機関たたき上げの講師(通称:Horn)がいました。
そして、2006年3月、事例制作リーダー会議が行われました。
これは、大手受験機関エル(仮称)の二次事例制作の方向性を決める重要会議でした。
当時の大手受験機関エルでは、当時、事例問題の制作にはめちゃくちゃ力を入れていたので、事例1,2,3,4それぞれに事例制作のリーダー講師(二次本科コースのリーダークラス)が、各事例に関して統括し、二次講師たちが作ってくる事例について、各事例、統括してマネージメントし、設問、与件、模範解答、添削などをマネジメントする方針をとっていました。
これは非常に素晴らしいと思います(今もやってんのかな)。
しかし、これはベテラン講師陣、さらに言えば、御大のベテランエース2名の作った事例、また発言もマネジメントしなければいけないことを意味します。
そして、2名は当然、受験機関では権力を持っており、強い影響力を持っており、またすごい強い個性の持ち主です。
そういう意味では、合格して1年でリーダー講師になったのはいいが、そんな人達をマネジメントしなければいけないことを意味します。
そんなこんなで、二次事例政策リーダーと御大2名が集まり、エルの診断士課の執行役員のM(※性格はS(笑))と一緒に会議おこなわれます。
各事例別の制作講師リーダーは御大を差し置いて、僕を含め、御大よりキャリアの浅い4人のリーダー講師が行います。
それだけでも御大2名は気分がよくないでしょう。
しかも、当時、 御大二人は当然、御互いライバル関係にもあり、しかも、エルたたき上げのエース、Horn氏に対して、外部の大手受験機関人力社からエルが引き抜いた教授。
2名、御互い、あまり仲がよろしくないといううわさがあり、また僕自身は二人が同じ会議にそろうところも見たことがありませんでした。
僕は合格後1年でリーダー講師になったので、当然、感じよくいないと思われまいと、会議開始15分前には会議場の末席に座っておこうと思っていました。そして御大やリーダー講師の方々、そしてエルの執行役員に恭順の意を示すのです。
しかし、ここからがついていませんでした。
1.早期に会議場に行こうとしたが、「青木先生ちょっといいですか?」と診断士課のスタッフにつかまり 、しかもちょっとで終わるはずもなく、会議開始直前まで引き留められる。
2. 時間ぎりぎりにダッシュで会議室にいくとまず、座る位置取りが末席が取れない
※○=僕と同格のリーダー講師たち
△=御大:教授(元人力社エース)
×=御大:Horn(エルたたき上げエース
◎=僕
(1). 僕、入室時(御大Horn未到着)
入口 すなわち入口側の席が下座
○○○
--------
エル執行役員 テーブル
--------
△ 上座方面
解説:下座側の3席は空いておらず、しかも上座側の3席の真ん中に御大教授△が着席。
全員に新米のくせに遅いという視線を浴びる。
(2). 高速で頭を回転させ、座る位置を選択
○○○
--------
エル執行役員テーブル
--------
◎△ 上座方面
解説:せめて上座の3席の最も下座に座り、御大Horn氏の席を最も上座へ開けておきました(えらい!僕)
(3). 御大Hornやや遅れて到着・・・・あいている席確認・・・・そして
○○○
------
エル執行役員 テーブル
-------
× ◎△
↑
解説:どう見ても座るスペースないのに、無理やりテーブルがほぼないような席に座った(驚)。
そこまで仲が????????????????
僕が結果、仲の悪い良エースの間に完全に挟まれる(泣)
それからの会議、まずは静かに立ち上がりました。
ものすごく冷ややかに・・・・・・・・・・・。
両エース、当然、大人なので、直接的な批判は御互いにおこなうのを避けます。
しかし、会議参加している全員にわかる程度の婉曲的表現で、僕の頭越しにお互いに、御互いの事例や二次の考え方について、意見を述べます。
まさに、イージス艦搭載のクルージングミサイル並みの精度で相手の弱点を突き、発言を飛ばします。
このあたり、非常に勉強になりました(使わないけど)。
僕はこのままではまずい。多くの経験を積んだファシリテーターとして、何とか場を和ませようと、誰の癇にもさわらんだろうというような発言をします(まさに、さくらももこのお父さん並のどうでもいい発言で)。わきに変な汗をかきながら。
しかし・・・。
そんな場を和ませようとする僕に対して、ついに僕の二次への考え方を批判する強力な発言が来ました。
御大、Horn氏からすれば、1年でリーダー講師になった僕等、気を使う必要もなく、まさに破壊的な発言でした。
まさに、表現するならデイジーカッター並の爆撃が(※ デイジーカッターはアフガン戦争で使われた米軍の最新兵器。核爆発並の6000度の熱を発するため、爆心から半径300mの範囲の固体は完全に気化する)。
「模試では、二次問題のSWOT分析系問題などでは、受講生が絶対に気が付けないような切口でトラップ(罠)をはり、受験生みんなが気づかない、まさに誰も解答できないような模範解答をしこませるべき。
本試験もそうなっており、SWOT系の問題の解答はそういう非常に難解な回答となっている。
それを制作指針にしないバカはいないと思うが、しっかり、そういう形をとるべきである。」
・・・・・・・・・・・・・なぬ?この僕を間接的にでも馬鹿?馬鹿?????(今並の社会的権力を当時持っていた立場なら社会的に抹殺します(笑))
実は、僕は、これとは真逆で、SWOT系の問題は、作問者、採点者、合格者のどの視点から言っても、設問、与件を読んで素直に解答でき、多くの人が解答できる切口でキーワードを多く入れて上手に解答すべきで、データからいってもそういう人が合格しているので、絶対相いれない考え方でした。
また2005年のエルの二次本試験の生産事例の公式模範解答作成は僕が行ったのですが、その際、SWOT分析問題について、御大Horn先生と真っ向から激突、3時間の議論で激しき攻撃を受けた実績あり。
その時、その本試験のSWOT分析問題は、データ分析しても、合格者の答案方向性が7割から9割一致する問題なのに、そこにトラップがあって、合格者の多くがみんな間違っているだって言われた感じで、しかもHorn氏のいう解答は、再現答案130人みて、その解答一人しかいない切り口で・・・・・。
他のリーダー講師、御大教授、エルの執行役員も何も言わず・・・・・・・・・・・・。様子見。
いくらど新人で温厚な対応をと思っていた僕も、リーダー講師としてここは絶対引けない!
いや、どうあっても、こっちも引かんぞ。田原坂。
(※田原坂は西南戦争にて、旧士族代表として、むりやり担ぎ上げられた西郷どんが、最後の戦いをし、その後自決した場所)。
激しくやり取りをしたうえで、最後は「こちらが事例制作リーダー講師で権限があるので、こちらが決めさせてもらいます。」
ここはひかず、言い切りました(人生1年は縮みました)。
しかし、ここでは決定せず、さ来週、その御大エース2名+リーダー講師の中の僕の3人で、僕がこの会議をベースに取りまとめた二次事例制作指針、ルールを納得させないいけない会議を行うことにしました。
本当にあまりのことに、 最後は腕力で言うことを聞かせようかと思いましたが、中学生ではないので作戦を考えました。
作戦は「アントニオ猪木スタイル攻撃」。
御大2名との最終決戦。
ともかく2時間、徹底的に御大2名の話を傾聴し傾聴し、傾聴し、持ち上げ、傾聴しました。
相槌、相槌、承認。相槌、相槌、称賛、相槌。
「すごいですねーーーー」「なるほどーーー」。
もてるカウンセリング法を
2時間たった時に、攻めにいきました。
「そうなんですね。さすがです。ところで、先生たちの話を総合すると、今回の僕の書いてきた二次事例政策方針、概ねあってますよねーーーーー」
御大「・・・・ま・・・まあ。いいんじゃないですか(ここで初めて資料を真剣に見だす)」
僕「ありがとうございます!それではこの方針で決定ということにさせていただきます。あっ。終電があるので。失礼します。」
そう。アントニオ猪木作戦とは、相手の攻撃を全て受け、最後、延髄斬り、卍固めで決めるという(笑)。
この当時、本当に受かったばかりの僕が、当時の僕からしたら圧倒的キャリアでエースの方々と、真剣勝負で色々やりあった多くの経験は、当時大変だと思いましたが、今は本当に良かったと思っています。
そういう真剣なやりとり、背伸びした場が僕を成長させたと思っています。
今や、年間267日(※2015年記録更新)も全国の名だたるスーパー企業で研修講師などで呼ばれ、NO1人気プロコン塾の塾長をし、受験機関にとどまらず、自分の名前で東京大阪で驚異的な二次合格率の二次合格スーパー本気道場で指導。
中小企業はおろか、大手企業でも経営コンサルティングを行い、4400名も中小企業診断士が在籍するこの東京都中小企業診断士協会で、唯一の役員、そして新しい収益事業や士業連携を統括する事業開発部部長に次期についになる僕ですが・・・・
しかし、あの中小企業診断士になって1年、2年目の大変な経験はすべて身になっていると思っています。
仕事が終えた夜21時とかからほとんどタダ同然の時給で召集され、激しいやりとりをしたのですが。
それだけ真剣で、すごい場だったと思っています。
そういうことにとても感謝しています。
ちなみにエルの受験指導を辞めて久しいですが、官公庁や企業の企業研修の講師としてはいまだに、頼ってきてくれます。
付きあいは永久なのですよね。
こんばんは!中小企業診断士のあお先生こと青木公司です。
本日4つ目のブログです。
本日は、「私はこうして修羅場を乗り越えた!我がご新人の頃の思い出!大手受験機関L〇〇の事例制作リーダー会議編」のお話をします。
僕は2004年12月二次試験合格、2005年3月登録の中小診断士ですが、受験校の講師はその仕事そのものの価値としても、また、いずれ人気の研修講師となっていくためにも絶対にクリアしたいもので、早期にエース講師の仲間入りをしたいと思っていました。
各受験校を分析して、大手受験機関で、メソッドが一定あり、そして、そういう中でもチャンスのありそうなところを分析し、ある大手受験機関で講師を目指すことにしました。
途中経過は今日は省きますが、あっという間に多くのチャンスをものにし、なんと合格から1年後には二次本科コースのリーダー講師、そして二次事例の政策リーダー講師(各事例の事例制作を各講師陣を統括して行う)になることができました。
大手受験機関のメイン講師の座を一年で手に入れたのですが、当時、一次、二次を合わせると登録講師は100名に迫るくらいいますし、一次も二次もそれまで貢献してきた、講師たちもぞろぞろいます。
そして何より、当時、その大手受験機関には2名のエース講師がいました。
フルネームは一応さけますが、当時、二次ではNO1の規模をほこった人力社(仮名)から来た方(通称、教授としておきましょう)とその受験機関たたき上げの講師(通称:Horn)がいました。
そして、2006年3月、事例制作リーダー会議が行われました。
これは、大手受験機関エル(仮称)の二次事例制作の方向性を決める重要会議でした。
当時の大手受験機関エルでは、当時、事例問題の制作にはめちゃくちゃ力を入れていたので、事例1,2,3,4それぞれに事例制作のリーダー講師(二次本科コースのリーダークラス)が、各事例に関して統括し、二次講師たちが作ってくる事例について、各事例、統括してマネージメントし、設問、与件、模範解答、添削などをマネジメントする方針をとっていました。
これは非常に素晴らしいと思います(今もやってんのかな)。
しかし、これはベテラン講師陣、さらに言えば、御大のベテランエース2名の作った事例、また発言もマネジメントしなければいけないことを意味します。
そして、2名は当然、受験機関では権力を持っており、強い影響力を持っており、またすごい強い個性の持ち主です。
そういう意味では、合格して1年でリーダー講師になったのはいいが、そんな人達をマネジメントしなければいけないことを意味します。
そんなこんなで、二次事例政策リーダーと御大2名が集まり、エルの診断士課の執行役員のM(※性格はS(笑))と一緒に会議おこなわれます。
各事例別の制作講師リーダーは御大を差し置いて、僕を含め、御大よりキャリアの浅い4人のリーダー講師が行います。
それだけでも御大2名は気分がよくないでしょう。
しかも、当時、 御大二人は当然、御互いライバル関係にもあり、しかも、エルたたき上げのエース、Horn氏に対して、外部の大手受験機関人力社からエルが引き抜いた教授。
2名、御互い、あまり仲がよろしくないといううわさがあり、また僕自身は二人が同じ会議にそろうところも見たことがありませんでした。
僕は合格後1年でリーダー講師になったので、当然、感じよくいないと思われまいと、会議開始15分前には会議場の末席に座っておこうと思っていました。そして御大やリーダー講師の方々、そしてエルの執行役員に恭順の意を示すのです。
しかし、ここからがついていませんでした。
1.早期に会議場に行こうとしたが、「青木先生ちょっといいですか?」と診断士課のスタッフにつかまり 、しかもちょっとで終わるはずもなく、会議開始直前まで引き留められる。
2. 時間ぎりぎりにダッシュで会議室にいくとまず、座る位置取りが末席が取れない
※○=僕と同格のリーダー講師たち
△=御大:教授(元人力社エース)
×=御大:Horn(エルたたき上げエース
◎=僕
(1). 僕、入室時(御大Horn未到着)
入口 すなわち入口側の席が下座
○○○
--------
エル執行役員 テーブル
--------
△ 上座方面
解説:下座側の3席は空いておらず、しかも上座側の3席の真ん中に御大教授△が着席。
全員に新米のくせに遅いという視線を浴びる。
(2). 高速で頭を回転させ、座る位置を選択
○○○
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エル執行役員テーブル
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◎△ 上座方面
解説:せめて上座の3席の最も下座に座り、御大Horn氏の席を最も上座へ開けておきました(えらい!僕)
(3). 御大Hornやや遅れて到着・・・・あいている席確認・・・・そして
○○○
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エル執行役員 テーブル
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× ◎△
↑
解説:どう見ても座るスペースないのに、無理やりテーブルがほぼないような席に座った(驚)。
そこまで仲が????????????????
僕が結果、仲の悪い良エースの間に完全に挟まれる(泣)
それからの会議、まずは静かに立ち上がりました。
ものすごく冷ややかに・・・・・・・・・・・。
両エース、当然、大人なので、直接的な批判は御互いにおこなうのを避けます。
しかし、会議参加している全員にわかる程度の婉曲的表現で、僕の頭越しにお互いに、御互いの事例や二次の考え方について、意見を述べます。
まさに、イージス艦搭載のクルージングミサイル並みの精度で相手の弱点を突き、発言を飛ばします。
このあたり、非常に勉強になりました(使わないけど)。
僕はこのままではまずい。多くの経験を積んだファシリテーターとして、何とか場を和ませようと、誰の癇にもさわらんだろうというような発言をします(まさに、さくらももこのお父さん並のどうでもいい発言で)。わきに変な汗をかきながら。
しかし・・・。
そんな場を和ませようとする僕に対して、ついに僕の二次への考え方を批判する強力な発言が来ました。
御大、Horn氏からすれば、1年でリーダー講師になった僕等、気を使う必要もなく、まさに破壊的な発言でした。
まさに、表現するならデイジーカッター並の爆撃が(※ デイジーカッターはアフガン戦争で使われた米軍の最新兵器。核爆発並の6000度の熱を発するため、爆心から半径300mの範囲の固体は完全に気化する)。
「模試では、二次問題のSWOT分析系問題などでは、受講生が絶対に気が付けないような切口でトラップ(罠)をはり、受験生みんなが気づかない、まさに誰も解答できないような模範解答をしこませるべき。
本試験もそうなっており、SWOT系の問題の解答はそういう非常に難解な回答となっている。
それを制作指針にしないバカはいないと思うが、しっかり、そういう形をとるべきである。」
・・・・・・・・・・・・・なぬ?この僕を間接的にでも馬鹿?馬鹿?????(今並の社会的権力を当時持っていた立場なら社会的に抹殺します(笑))
実は、僕は、これとは真逆で、SWOT系の問題は、作問者、採点者、合格者のどの視点から言っても、設問、与件を読んで素直に解答でき、多くの人が解答できる切口でキーワードを多く入れて上手に解答すべきで、データからいってもそういう人が合格しているので、絶対相いれない考え方でした。
また2005年のエルの二次本試験の生産事例の公式模範解答作成は僕が行ったのですが、その際、SWOT分析問題について、御大Horn先生と真っ向から激突、3時間の議論で激しき攻撃を受けた実績あり。
その時、その本試験のSWOT分析問題は、データ分析しても、合格者の答案方向性が7割から9割一致する問題なのに、そこにトラップがあって、合格者の多くがみんな間違っているだって言われた感じで、しかもHorn氏のいう解答は、再現答案130人みて、その解答一人しかいない切り口で・・・・・。
他のリーダー講師、御大教授、エルの執行役員も何も言わず・・・・・・・・・・・・。様子見。
いくらど新人で温厚な対応をと思っていた僕も、リーダー講師としてここは絶対引けない!
いや、どうあっても、こっちも引かんぞ。田原坂。
(※田原坂は西南戦争にて、旧士族代表として、むりやり担ぎ上げられた西郷どんが、最後の戦いをし、その後自決した場所)。
激しくやり取りをしたうえで、最後は「こちらが事例制作リーダー講師で権限があるので、こちらが決めさせてもらいます。」
ここはひかず、言い切りました(人生1年は縮みました)。
しかし、ここでは決定せず、さ来週、その御大エース2名+リーダー講師の中の僕の3人で、僕がこの会議をベースに取りまとめた二次事例制作指針、ルールを納得させないいけない会議を行うことにしました。
本当にあまりのことに、 最後は腕力で言うことを聞かせようかと思いましたが、中学生ではないので作戦を考えました。
作戦は「アントニオ猪木スタイル攻撃」。
御大2名との最終決戦。
ともかく2時間、徹底的に御大2名の話を傾聴し傾聴し、傾聴し、持ち上げ、傾聴しました。
相槌、相槌、承認。相槌、相槌、称賛、相槌。
「すごいですねーーーー」「なるほどーーー」。
もてるカウンセリング法を
2時間たった時に、攻めにいきました。
「そうなんですね。さすがです。ところで、先生たちの話を総合すると、今回の僕の書いてきた二次事例政策方針、概ねあってますよねーーーーー」
御大「・・・・ま・・・まあ。いいんじゃないですか(ここで初めて資料を真剣に見だす)」
僕「ありがとうございます!それではこの方針で決定ということにさせていただきます。あっ。終電があるので。失礼します。」
そう。アントニオ猪木作戦とは、相手の攻撃を全て受け、最後、延髄斬り、卍固めで決めるという(笑)。
この当時、本当に受かったばかりの僕が、当時の僕からしたら圧倒的キャリアでエースの方々と、真剣勝負で色々やりあった多くの経験は、当時大変だと思いましたが、今は本当に良かったと思っています。
そういう真剣なやりとり、背伸びした場が僕を成長させたと思っています。
今や、年間267日(※2015年記録更新)も全国の名だたるスーパー企業で研修講師などで呼ばれ、NO1人気プロコン塾の塾長をし、受験機関にとどまらず、自分の名前で東京大阪で驚異的な二次合格率の二次合格スーパー本気道場で指導。
中小企業はおろか、大手企業でも経営コンサルティングを行い、4400名も中小企業診断士が在籍するこの東京都中小企業診断士協会で、唯一の役員、そして新しい収益事業や士業連携を統括する事業開発部部長に次期についになる僕ですが・・・・
しかし、あの中小企業診断士になって1年、2年目の大変な経験はすべて身になっていると思っています。
仕事が終えた夜21時とかからほとんどタダ同然の時給で召集され、激しいやりとりをしたのですが。
それだけ真剣で、すごい場だったと思っています。
そういうことにとても感謝しています。
ちなみにエルの受験指導を辞めて久しいですが、官公庁や企業の企業研修の講師としてはいまだに、頼ってきてくれます。
付きあいは永久なのですよね。