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こんばんは。中小企業診断士のあお先生こと青木公司です。
本日4つ目のブログは「あの暑い夏!平成16年のある受講生の想い出2」のお話をします。
平成16年。一次試験15.7%の史上最低の合格率の年。あのアテネ五輪の暑い年。
青木は一次試験を各学校の模範解答による自己採点で62.0%-59.2%の正答率で通過。
親友Fは56.5%から57.2%の正答率、足きり科目(法務36%)ありで通過。
一次終了後すぐに、不安がらず、あきらめず、二次対策を週末のたび一日12時間勉強していたことがすべていきるシチュエーションになったのです!
僕らの血はたぎりました!
おりしもアテネ五輪は、「栄光への架け橋だー」体操男子奇跡の金。
誰もが目を疑った、野口の二十数キロの地獄の上り坂でのラストスパートで、驀進する機関
車ラドウィックの心をおり、ヌデレバの追走を抑えて取った女子マラソンの金!
そして北島の「気持ちいい!超気持ちいい!」金2つ。
日本の金のラッシュが続いていました。
平成16年。青木と友人Fはこの年、二次を最大の目標に設定。徹底的に徹底的に二次を鍛えていました。青木は二次解法フローの原型を完成させ、受けていた大手予備校の答練で全国上位の成績を何度も出し、高め高めていました。
一次を通過したその後、あとは二次に集中するだけでした。
青木にはもう一人、友人Bがいました。
友人Bはスーパー大学出身でスーパー企業の記録的スピードで昇格するエリート。
平成15年に大手資格学校で出会い、共に競いあった仲です。
彼は平成16年は我々とは違う戦術を取っていました。一次を通過しないと始まらないと思考した彼は、元々高い一次力がありましたが、もう一度、大手予備校のストレートコースを受験。8月までは二次主体の学習をしていました。
一次をなめていなかったのです。それはある意味正しいことでした。
一次試験終了後、自己採点。なんと、その最高難度だった平成16年の一次試験で正答率70%(※全国屈指だったはずです)。
一次試験発表も余裕でした。
しかし、彼は不安がっていました。「今年は二次学習量が少ないから」。
2次試験当日。
青木と、57%前後の一次正答率で二次に挑んだ友人Fの目は輝いていました。
「やれることはすべてやった。」
アポロ13号のアベル船長のような気分で、二次試験に挑みました。
自分では事例1-4までその時点の最高の答案を書ききったと思います。
終了後。3名で会いました。
財務のすべての指標、そして、計算全てにいたるまで、僕と友人Fは一致していました。
もう一人の友人は落ち込みました(かわいそうだったです)。
僕と友人Fは二次本試験発表前から2人でのみに行く約束をしていました。
理由は、二人とも絶対の合格の自信があったからです。
結果、合格!
その日、横浜の有名ソバやで、浴びるほど日本酒、焼酎を飲み、その後、バーで高級シャンパンを2本も空け、ドンちゃん騒ぎ!人生で一番うまい酒を飲みました!
結果は、一次試験に学習ポイントをおかず、二次に中心をおいた戦略の僕と、友人Fは合格!
二次においた友人Bはあの最高難度の一次試験で記録的な点数を上げながら、二次で敗退しました。元々二次も資格学校で成績優秀者連発だったにもかかわらずです。
勝負はあくまでも二次試験。
その意識の差が出たのかもしれません。
※ 友人Bはその翌年、圧倒的なレベルの二次答案を書ききり、合格しました。
勝負は二次試験!
二次試験です!
だから、あきらめず、最後まで、今やれることは二次学習なのです!
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平成16年。一次試験15.7%の史上最低の合格率の年。あのアテネ五輪の暑い年。
青木は一次試験を各学校の模範解答による自己採点で62.0%-59.2%の正答率で通過。
親友Fは56.5%から57.2%の正答率、足きり科目(法務36%)ありで通過。
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おりしもアテネ五輪は、「栄光への架け橋だー」体操男子奇跡の金。
誰もが目を疑った、野口の二十数キロの地獄の上り坂でのラストスパートで、驀進する機関
車ラドウィックの心をおり、ヌデレバの追走を抑えて取った女子マラソンの金!
そして北島の「気持ちいい!超気持ちいい!」金2つ。
日本の金のラッシュが続いていました。
平成16年。青木と友人Fはこの年、二次を最大の目標に設定。徹底的に徹底的に二次を鍛えていました。青木は二次解法フローの原型を完成させ、受けていた大手予備校の答練で全国上位の成績を何度も出し、高め高めていました。
一次を通過したその後、あとは二次に集中するだけでした。
青木にはもう一人、友人Bがいました。
友人Bはスーパー大学出身でスーパー企業の記録的スピードで昇格するエリート。
平成15年に大手資格学校で出会い、共に競いあった仲です。
彼は平成16年は我々とは違う戦術を取っていました。一次を通過しないと始まらないと思考した彼は、元々高い一次力がありましたが、もう一度、大手予備校のストレートコースを受験。8月までは二次主体の学習をしていました。
一次をなめていなかったのです。それはある意味正しいことでした。
一次試験終了後、自己採点。なんと、その最高難度だった平成16年の一次試験で正答率70%(※全国屈指だったはずです)。
一次試験発表も余裕でした。
しかし、彼は不安がっていました。「今年は二次学習量が少ないから」。
2次試験当日。
青木と、57%前後の一次正答率で二次に挑んだ友人Fの目は輝いていました。
「やれることはすべてやった。」
アポロ13号のアベル船長のような気分で、二次試験に挑みました。
自分では事例1-4までその時点の最高の答案を書ききったと思います。
終了後。3名で会いました。
財務のすべての指標、そして、計算全てにいたるまで、僕と友人Fは一致していました。
もう一人の友人は落ち込みました(かわいそうだったです)。
僕と友人Fは二次本試験発表前から2人でのみに行く約束をしていました。
理由は、二人とも絶対の合格の自信があったからです。
結果、合格!
その日、横浜の有名ソバやで、浴びるほど日本酒、焼酎を飲み、その後、バーで高級シャンパンを2本も空け、ドンちゃん騒ぎ!人生で一番うまい酒を飲みました!
結果は、一次試験に学習ポイントをおかず、二次に中心をおいた戦略の僕と、友人Fは合格!
二次においた友人Bはあの最高難度の一次試験で記録的な点数を上げながら、二次で敗退しました。元々二次も資格学校で成績優秀者連発だったにもかかわらずです。
勝負はあくまでも二次試験。
その意識の差が出たのかもしれません。
※ 友人Bはその翌年、圧倒的なレベルの二次答案を書ききり、合格しました。
勝負は二次試験!
二次試験です!
だから、あきらめず、最後まで、今やれることは二次学習なのです!
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