Ombra Mai Fu ~ 優しい樹の下で

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 増田 いずみ ~ OFFICIAL BLOG

田舎、家族,,,,

2008年05月19日 | masudaizumi.com
宮崎は、飫肥から戻ってきました。

空港から電車を乗り継いで、懐かしい景色に向かうときって、なんとも言えない、わくわく、むずむず、、変な気持ちになるものですね。

あああ、、、この懐かしい緑一色の景色。
夜になると、電燈もすくなく、ほぼ真っ暗。
美味しいかつおや鳥の刺身を食べて、「松露」という麦焼酎を飲んで、幸せ気分にどお~っぷり。

次の日は、朝早くお墓にでかけ、手を合わせるととても感傷的になってしまって、涙もこぼれてしまったり。

どの景色をみても、たくさんの思い出。自分の記憶を掘って掘って掘り返してきました。

恋愛結婚だったおじいちゃん、おばあちゃん。
祖父母から生まれた、わたしの母と叔父たち、そしてそのそれぞれの家族と、その子供たちが家族をつくり、またその子供たちから、新しい家族が生まれ、、、、一本の樹が枝分かれして成長していくなかの、「わたし」という一枚の葉っぱも、小さな新芽のリトルを育てています。

宮崎では両親との記憶は全くなく、祖父母との生活の思い出はかり、思い出のなかでは、祖父母が、いろいろな姿を見せるのに、現実では、もう二人とも空の上。

今回宮崎を訪れてみると、なんだか全部がミニチュアに感じてしまいました。つまり、自分が大きくなってしまっても、記憶の目線は、幼稚園のころの背の低さだったのですね。

その当時にかえって、庭のお茶の葉を摘んでみたり、木に上ったり、庭に咲く小さな花を集めたり、川のなかに足をつけたり、、、メダカがね、川の遠くの方でキラキラ光って、とても綺麗で、、、

子供目線で、リトルと遊んできました。

不思議なもので、私が喘息を治すのに宮崎にうつされたのは、2歳半。
ほとんどリトルと同じ年の頃なのが、なんだか、うまく言えないけど、時間のむごい流れで、改めて目の前でリトルを通して自分の寂しさを知ることができるのだろうか、という、なんとも切ない感じがしました。。。


幼稚園生の頃の私が、すごく好きだったのは、堤防に生えた雑草を、摘むのではなく、焼く、焼き畑のような儀式。
火の魔力に魅せられて、とても幻想的にみえたの。


この田舎の景色や思い出を、真空パックにして、小さく圧縮して、小さな透明な箱の中にいれて、持って帰りたかった。

いつも、いつも、その透明な箱を、眺めていたい切ない思いを胸に、帰りの飛行機に乗りました。


私には、こんな素敵な田舎があって、本当に幸せだと思います。