【封神演義】は中国「三大怪奇小説」のひとつであり、中国で昔から読みつがれてきた物語である。
日本では、週刊少年ジャンプで連載された藤崎竜の漫画版【封神演義】で認知度を一気に高めた。
そんな【封神演義】も、元は中国古代の歴史的大事件・商周革命を元につくられている。
今回は、藤崎竜版【封神演義】と、実際の歴史を比較しながら物語を追っていくことにする。
作品の舞台
【封神演義】は紀元前1000年頃の中国が舞台となる。
日本でいうと、縄文時代末期から弥生時代初期頃か。
まだ、日本人が土器つくりながらのんびりやっていた頃に
中国ではすでに高度な文明を持つ商(殷)王朝が樹立され、
一部の特権階級には甲骨文字という文字まで普及していた。
主人公
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/40/53/c0ef0b65f9586a9a6782dc1e83194876.jpg)
「太公望呂尚(たいこうぼうりょしょう)」
崑崙山脈の道士。
天才的頭脳の持ち主で、敵を計略にハメるのが得意。
作中の実年齢は70歳を超えた老人であるが、仙人・道士は不老不死のため
外見は少年である。
・・・
史実の太公望は
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/46/c0/9d4039290f0042bdb18ccbfc69ebf9ba.jpg)
商周革命における周の軍師であり、のちに興る「斉」という国の始祖。
歴史上の重要人物だが、その姿は伝説にいろどられており実像はさだかではない。
主な伝説は以下
渓流で釣りをしていた太公望だったが、三年間まったく魚を釣ることができなかった。
近隣の住人に「もう釣りはやめなさい」と言われたが、釣りをやめなかった。
そのうちに大きな鯉を釣り上げ、その腹から兵法書を得た。
太公望のことを聞いた周の文王は渓流まででかけてゆき、彼を車に載せて帰った。
太公望は周の軍師として多くの謀計を周にさずけた。
太公望が斉の君主となったとき、昔別れた妻がよりを戻そうとやってきた。
太公望は盆器の水を床にこぼし、これをもとに戻してみろと元妻に言ったが
戻すことができなかった。「覆水盆にかえらず」の諺はここから来ている。
では、以下から【封神演義】の物語と実際の歴史を追ってみる。
殷王朝の暴政
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7c/d6/26efdb899b11729840087e974624b5ec.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/21/8e/0eb63dcefcb86a494bb205f37690bb72.jpg)
羌族の少年・呂望は、殷王朝の人狩りに遭遇し、一族を失う。
そこへ現われた崑崙山脈の仙人「元始天尊(げんしてんそん)」により、
殷の皇后「妲己(だっき)」が仙女として「紂王(ちゅうおう)」を惑わし暴政を行わせ、
人間界を混乱させているのだと告げる。
呂望は仙人界で修行し、妲己を倒す力をつけることを決意する。
・・・
史実の殷王朝は
紀元前17世紀頃に樹立された王朝。商王朝ともいう。
甲骨文字や、貨幣経済などすぐれた文明を持った高度な国家だったようだ。
あきないをする人のことを「商人」と言うのは、貨幣経済の発達していた"商"王朝の
人間が貨幣をつかって取引を行っていたことからきているらしい。
【封神演義】で妲己に惑わされる紂王は、すぐれた美貌と頭脳の持ち主だったようである。
当然、妲己も仙女ではない。
が、殷王朝は異民族を同じ人間とは見なしておらず、人狩りを行っていたのは事実だろう。
羌族出身といわれる太公望の恨みを買っていてもおかしくはない。
文王との出会い
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/26/20/2f7e64a9f04839ce1ab6648a5cec595d.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/54/59/fc657e18b1b117528e3a78e274c1a683.jpg)
西伯「姫昌(きしょう)」と出会い、太公望は「周」という勢力を味方につける。
周vs殷という人間同士の戦いの構図をつくり、
太公望(崑崙山脈)vs妲己(金鰲島)という仙道同士の戦いの構図をつくりあげた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2f/0c/ae7da94fe0aea499975ad88d7c2a10f6.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6b/63/c3aff2ef56468428833a44b1faf64723.jpg)
やがて姫昌は亡くなり、太子である「発(はつ)」が後を継ぐ。
姫昌は「文王」と諡され、発は「武王」を名乗る。
仙人云々を除けば、これはほぼ史実通り。
上の画像で太公望の横にいるのが武王。
武王の横にいるのが「周公旦(しゅうこうたん)」。のちに孔子が聖人として崇めた人物。
牧野の戦い
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2a/c7/bcc8ff20ede2d1fdb3f5a80bb45623ae.jpg)
周軍はついに殷の首都「朝歌」の眼前まで進軍した。
周軍40万 vs 殷軍70万の大軍同士は、牧野の地にて対峙。やがて決戦の火蓋が落とされる。
殷軍の背後で兵をあやつる妲己と、太公望をはじめとする崑崙の道士たちの戦いも始まる。
戦闘中妲己は姿を消し、魅了の術が切れた紂王は朝歌にて最期を迎える。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/08/8c/aabb1f6a647d118b1e0f3faceb96fe00.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/37/d4/d03cd1c2767c90428293ca0ab0a5b27d.jpg)
・・・
史実の牧野の戦いについて
周軍40万と殷軍70万の大軍同士の戦い。
殷軍は数こそ多いが、戦場にて不吉を祓う巫女も数に入っていたり、奴隷兵などもいたため
必ずしも周側が分が悪いとは限らなかった。
戦闘は激しく、両軍の兵士が流した血で広大な牧野は血の海となり、盾が血の海に漂ったという。
周軍が殷軍を押しはじめると、殷軍の中に矛先を変えて同士討ちを始めるものが出た。
やがて殷軍は壊滅し、周軍は朝歌まで攻め入った。
紂王は焼身自殺していた。武王は焼死した紂王の首をまさかりで斬った。
ここに、殷王朝は滅亡した。
斉の国
藤崎版【封神演義】では、殷滅亡後、地球外生命体である女禍との戦いに話が移るが、
史実と関係ないのでここでは割愛する。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/04/67/858c1bcbecd31efb6d0d10a0a9ec3451.jpg)
エンディング、太公望は斉の国に封じられる。
・・・
斉の国とは
現在の中国・山東省を中心とした国。
斉の土地は土壌に塩分を多く含んでおり、農業には向かなかったが
太公望はこの地に商工業を興した。
海に面していることで塩を握り、不毛の地であった斉を急速に富ませた。
当時、国の主要産業を農業以外のものにするのは画期的なことだった。
斉の国からはその後、春秋戦国時代に入ると英雄・知識人が続出する。
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日本では、週刊少年ジャンプで連載された藤崎竜の漫画版【封神演義】で認知度を一気に高めた。
そんな【封神演義】も、元は中国古代の歴史的大事件・商周革命を元につくられている。
今回は、藤崎竜版【封神演義】と、実際の歴史を比較しながら物語を追っていくことにする。
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【封神演義】は紀元前1000年頃の中国が舞台となる。
日本でいうと、縄文時代末期から弥生時代初期頃か。
まだ、日本人が土器つくりながらのんびりやっていた頃に
中国ではすでに高度な文明を持つ商(殷)王朝が樹立され、
一部の特権階級には甲骨文字という文字まで普及していた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/oni.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/40/53/c0ef0b65f9586a9a6782dc1e83194876.jpg)
「太公望呂尚(たいこうぼうりょしょう)」
崑崙山脈の道士。
天才的頭脳の持ち主で、敵を計略にハメるのが得意。
作中の実年齢は70歳を超えた老人であるが、仙人・道士は不老不死のため
外見は少年である。
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![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/book2.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/46/c0/9d4039290f0042bdb18ccbfc69ebf9ba.jpg)
商周革命における周の軍師であり、のちに興る「斉」という国の始祖。
歴史上の重要人物だが、その姿は伝説にいろどられており実像はさだかではない。
主な伝説は以下
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/book2.gif)
近隣の住人に「もう釣りはやめなさい」と言われたが、釣りをやめなかった。
そのうちに大きな鯉を釣り上げ、その腹から兵法書を得た。
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太公望は周の軍師として多くの謀計を周にさずけた。
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太公望は盆器の水を床にこぼし、これをもとに戻してみろと元妻に言ったが
戻すことができなかった。「覆水盆にかえらず」の諺はここから来ている。
では、以下から【封神演義】の物語と実際の歴史を追ってみる。
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![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7c/d6/26efdb899b11729840087e974624b5ec.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/21/8e/0eb63dcefcb86a494bb205f37690bb72.jpg)
羌族の少年・呂望は、殷王朝の人狩りに遭遇し、一族を失う。
そこへ現われた崑崙山脈の仙人「元始天尊(げんしてんそん)」により、
殷の皇后「妲己(だっき)」が仙女として「紂王(ちゅうおう)」を惑わし暴政を行わせ、
人間界を混乱させているのだと告げる。
呂望は仙人界で修行し、妲己を倒す力をつけることを決意する。
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![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/book2.gif)
紀元前17世紀頃に樹立された王朝。商王朝ともいう。
甲骨文字や、貨幣経済などすぐれた文明を持った高度な国家だったようだ。
あきないをする人のことを「商人」と言うのは、貨幣経済の発達していた"商"王朝の
人間が貨幣をつかって取引を行っていたことからきているらしい。
【封神演義】で妲己に惑わされる紂王は、すぐれた美貌と頭脳の持ち主だったようである。
当然、妲己も仙女ではない。
が、殷王朝は異民族を同じ人間とは見なしておらず、人狩りを行っていたのは事実だろう。
羌族出身といわれる太公望の恨みを買っていてもおかしくはない。
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![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/26/20/2f7e64a9f04839ce1ab6648a5cec595d.jpg)
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西伯「姫昌(きしょう)」と出会い、太公望は「周」という勢力を味方につける。
周vs殷という人間同士の戦いの構図をつくり、
太公望(崑崙山脈)vs妲己(金鰲島)という仙道同士の戦いの構図をつくりあげた。
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やがて姫昌は亡くなり、太子である「発(はつ)」が後を継ぐ。
姫昌は「文王」と諡され、発は「武王」を名乗る。
仙人云々を除けば、これはほぼ史実通り。
上の画像で太公望の横にいるのが武王。
武王の横にいるのが「周公旦(しゅうこうたん)」。のちに孔子が聖人として崇めた人物。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/oni.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2a/c7/bcc8ff20ede2d1fdb3f5a80bb45623ae.jpg)
周軍はついに殷の首都「朝歌」の眼前まで進軍した。
周軍40万 vs 殷軍70万の大軍同士は、牧野の地にて対峙。やがて決戦の火蓋が落とされる。
殷軍の背後で兵をあやつる妲己と、太公望をはじめとする崑崙の道士たちの戦いも始まる。
戦闘中妲己は姿を消し、魅了の術が切れた紂王は朝歌にて最期を迎える。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/08/8c/aabb1f6a647d118b1e0f3faceb96fe00.jpg)
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周軍40万と殷軍70万の大軍同士の戦い。
殷軍は数こそ多いが、戦場にて不吉を祓う巫女も数に入っていたり、奴隷兵などもいたため
必ずしも周側が分が悪いとは限らなかった。
戦闘は激しく、両軍の兵士が流した血で広大な牧野は血の海となり、盾が血の海に漂ったという。
周軍が殷軍を押しはじめると、殷軍の中に矛先を変えて同士討ちを始めるものが出た。
やがて殷軍は壊滅し、周軍は朝歌まで攻め入った。
紂王は焼身自殺していた。武王は焼死した紂王の首をまさかりで斬った。
ここに、殷王朝は滅亡した。
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藤崎版【封神演義】では、殷滅亡後、地球外生命体である女禍との戦いに話が移るが、
史実と関係ないのでここでは割愛する。
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エンディング、太公望は斉の国に封じられる。
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現在の中国・山東省を中心とした国。
斉の土地は土壌に塩分を多く含んでおり、農業には向かなかったが
太公望はこの地に商工業を興した。
海に面していることで塩を握り、不毛の地であった斉を急速に富ませた。
当時、国の主要産業を農業以外のものにするのは画期的なことだった。
斉の国からはその後、春秋戦国時代に入ると英雄・知識人が続出する。
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