『いいかよく聞け、五郎左よ!』 -もう一つの信長公記-

『信長公記』と『源平盛衰記』の関連は?信長の忠臣“丹羽五郎左衛門長秀”と京童代表“細川藤孝”の働きは?

巻四の五 信長、太田又介の弓の技を褒めること

2020-06-01 00:00:00 | 連続読物『いいかよく聞け、五郎左よ!』
<初出:2015年の再掲です>

巻四の五 信長、太田又介の弓の技を褒めること

 飛騨・木曽川の川面をなでる風も朝夕はひんやり

感じられてきた。真夏の盛りに川に逆茂木を沈める

などして堂洞取手攻囲に着手してからもう一カ月

以上経過した。永禄八年(一五六五)九月下旬の

ことである。

 攻められている美濃勢も必死は必死なのだろうが、

本陣での織田上総介と丹羽五郎左衛門の会話の

内容を知ったら、目を剥いて怒るか、はたまた腰砕け

して戦う気をなくしてしまうか・・・


「のう、五郎左よ」

「なんじゃ、三郎?」

「真鶴を脱出して安房に渡海した『佐殿』はどう

なるんじゃろう?」

信長は源平盛衰記の文章を目で追いながら、五郎

左衛門長秀に何気なく声をかける。

「お~、佐殿真鶴脱出まで読み進んだか。その先を

知りたいのか?」

『佐殿(すけどの)』というのは源頼朝のことである。

位官として従五位下右兵衛佐を経て、源氏の棟梁

として征夷大将軍まで進んだことを尊敬して、通常

『佐殿』と言えば源頼朝を指す。

「ああ、いかんいかん、言うのはやめてくれるか。

五郎左はもう通し読みしたのであったな。これから

先を読む楽しみが少なくなるので聞かないでおこう!」

「まあよいよい。それはそうと三郎に弓の技を教えた

太田又介殿が二の丸・天主に弓を引く準備が出来た

そうじゃ」

「お~、それは見物」

 永禄八年(一五六五)九月二十八日、堂洞取手の

二の丸を焼き崩し、信長の軍は天主に攻め入る

ところである。信長の弓の師である太田又介牛一は、

距離五段(約54m)のところから三人張りの剛弓で

本陣から言われた柱にことごとく命中させている。

信長は「小気味良い技を見せてくれたもの」と三度も

誉めて遣わし、御感により知行も重ねて下したという。

軍は誰が見てもうまく進んでいるように見えたが、

長秀は突然強烈な身震いに襲われる。

「何か良くないことが・・・」


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