<初出:2015年の再掲です>
巻四の五 信長、太田又介の弓の技を褒めること
飛騨・木曽川の川面をなでる風も朝夕はひんやり
感じられてきた。真夏の盛りに川に逆茂木を沈める
などして堂洞取手攻囲に着手してからもう一カ月
以上経過した。永禄八年(一五六五)九月下旬の
ことである。
攻められている美濃勢も必死は必死なのだろうが、
本陣での織田上総介と丹羽五郎左衛門の会話の
内容を知ったら、目を剥いて怒るか、はたまた腰砕け
して戦う気をなくしてしまうか・・・
「のう、五郎左よ」
「なんじゃ、三郎?」
「真鶴を脱出して安房に渡海した『佐殿』はどう
なるんじゃろう?」
信長は源平盛衰記の文章を目で追いながら、五郎
左衛門長秀に何気なく声をかける。
「お~、佐殿真鶴脱出まで読み進んだか。その先を
知りたいのか?」
『佐殿(すけどの)』というのは源頼朝のことである。
位官として従五位下右兵衛佐を経て、源氏の棟梁
として征夷大将軍まで進んだことを尊敬して、通常
『佐殿』と言えば源頼朝を指す。
「ああ、いかんいかん、言うのはやめてくれるか。
五郎左はもう通し読みしたのであったな。これから
先を読む楽しみが少なくなるので聞かないでおこう!」
「まあよいよい。それはそうと三郎に弓の技を教えた
太田又介殿が二の丸・天主に弓を引く準備が出来た
そうじゃ」
「お~、それは見物」
永禄八年(一五六五)九月二十八日、堂洞取手の
二の丸を焼き崩し、信長の軍は天主に攻め入る
ところである。信長の弓の師である太田又介牛一は、
距離五段(約54m)のところから三人張りの剛弓で
本陣から言われた柱にことごとく命中させている。
信長は「小気味良い技を見せてくれたもの」と三度も
誉めて遣わし、御感により知行も重ねて下したという。
軍は誰が見てもうまく進んでいるように見えたが、
長秀は突然強烈な身震いに襲われる。
「何か良くないことが・・・」
巻四の五 信長、太田又介の弓の技を褒めること
飛騨・木曽川の川面をなでる風も朝夕はひんやり
感じられてきた。真夏の盛りに川に逆茂木を沈める
などして堂洞取手攻囲に着手してからもう一カ月
以上経過した。永禄八年(一五六五)九月下旬の
ことである。
攻められている美濃勢も必死は必死なのだろうが、
本陣での織田上総介と丹羽五郎左衛門の会話の
内容を知ったら、目を剥いて怒るか、はたまた腰砕け
して戦う気をなくしてしまうか・・・
「のう、五郎左よ」
「なんじゃ、三郎?」
「真鶴を脱出して安房に渡海した『佐殿』はどう
なるんじゃろう?」
信長は源平盛衰記の文章を目で追いながら、五郎
左衛門長秀に何気なく声をかける。
「お~、佐殿真鶴脱出まで読み進んだか。その先を
知りたいのか?」
『佐殿(すけどの)』というのは源頼朝のことである。
位官として従五位下右兵衛佐を経て、源氏の棟梁
として征夷大将軍まで進んだことを尊敬して、通常
『佐殿』と言えば源頼朝を指す。
「ああ、いかんいかん、言うのはやめてくれるか。
五郎左はもう通し読みしたのであったな。これから
先を読む楽しみが少なくなるので聞かないでおこう!」
「まあよいよい。それはそうと三郎に弓の技を教えた
太田又介殿が二の丸・天主に弓を引く準備が出来た
そうじゃ」
「お~、それは見物」
永禄八年(一五六五)九月二十八日、堂洞取手の
二の丸を焼き崩し、信長の軍は天主に攻め入る
ところである。信長の弓の師である太田又介牛一は、
距離五段(約54m)のところから三人張りの剛弓で
本陣から言われた柱にことごとく命中させている。
信長は「小気味良い技を見せてくれたもの」と三度も
誉めて遣わし、御感により知行も重ねて下したという。
軍は誰が見てもうまく進んでいるように見えたが、
長秀は突然強烈な身震いに襲われる。
「何か良くないことが・・・」