有間皇子ーその1-
平素より地元の皆様には劇団RAKUYUへのご支援を賜り、厚く御礼申し上げます。
『道成寺』公演以来、たくさんのイベントに参加協力してまいりました。 そして、地元の物語を
とりあげることには大きな意義があることを改めて思う次第です。 当然、私たちRAKUYUに
とっても地元で活動するうえでひとつの励みとなっています。 周りを見回してみますと、「アメ
リカ村移民物語」「徳本上人の逸話」「井原西鶴」「あやめ物語」「有間皇子」等々といったよ
うに多くの素材があります。 時間のかかる作業ですので地元の話をどれだけ作品として
具体化できるかわかりませんが、ひきつづき挑戦していければと思っています。
(まだ、私たちの知らないお話があるかもしれません。機会がありましたらご紹介下さい。)
今回作品化構想にあがっているのが、「有間皇子」です。
どうして今「有間皇子」なのか?
①以前、御坊市民文化会館の「完成記念こけらおとし」で熊代佐市氏原作の「有間皇子」を
劇化して発表しました。月日も流れ、色あせている「有間」にもう1度スポットをあて、作品と
して完成度の高いものにして地元の財産として残せればという想い。
②有名な話なので、東京ではオペラ、宝塚歌劇団では「飛鳥もの」として催され、海南市、
白浜町、南部町でも行事ごとになっています。
運悪く、御坊市では近年は行事にもなっていない。
③藤白峠、牟婁の湯、岩代という地名がでてくるところの紀州になじみある話。
物語の中で「塩屋コノシロ」という日高の豪族が登場すること。
(日本書紀に記述ある人物。)
④たくさんの資料があるところの、よくご存知の「有間皇子」ですが、劇団RAKUYUの
「新しい有間皇子」を誕生させたい。幸い、「道成寺」を書かれた劇作家 栗原 省氏の
執筆で脚本依頼が実現しました。 どのように変わるのか。「新しい有間」への期待が
膨らみます。 では、悲劇の皇子である「有間皇子の変」とはどんな事件だったのか?
次回は歴史的背景をご紹介いたします。