遺品整理をしていたら私の小学生時代の通知表が出てきた。
毎年同じようなことが書かれている。「控え目」「積極性が欲しい」「自信を持って」というようなことが。
そうか、私の性格は小学生に上がるまでに出来上がっていたのだな。
今も変わらない性格。私のもともとの性格だとは思うものの、親の育て方のせいもあるのではないか。自分の子を育てる番になって、今は子供たちに大事な時期と思いつつも日々の大変さに追われ疲れてしまっている自分がいる。
私が目立たない子だったとしても、自信を付けてくれるような教育は出来なかったのか、と親に対して思わないでもない。しかし親にしてみれば「褒めるところなんてなかった」ということらしい。反面教師にして子育てしたいけれどそう上手くいくものでもないのだろうな。
私はいつも批判されていたという気がしていたけれど、母が亡くなった時に感じたのは「私は愛されていたのだ」ということだった。母は事故後一度も目を醒ますことなく、言葉を交わすことも出来なかったのに、そう感じたのだった。
私に対する親からの批判は、私が勝手にそう受け止めたこともあったのだろう。
私は相変わらず目立たず、自信もない、仕事も不出来だが、母を轢き殺した犯人や報道に出てくるような犯罪者のような罪人ではなく、仕事を持ち、家族を持ち、そこそこ人並みの人生を送れているのもまた両親のおかげなのでしょう。