◇ 検証
時代背景
南京攻略が始まった時代は、1937年12月10日
これから日本軍は南京を統治し始めた。
これから書く事は世間一般で知られ、南京虐殺だけが中国側の陰謀で(それに加担するユネスコ記憶遺産登録を管轄する連中が、計画的に中国側の言い分だけを認め、登録許可を出した。)登録された経緯がある。
しかし、現代ではこの中国側の言い分が間違いだと証明されている。それでも、登録した背景には東京裁判からのインチキ裁判を、隠す為の意図が背景にある。
そもそも、南京攻略を考えた背景は「通州事件」にある。
この「通州事件」がなければ、日本は中国に進出しようとは考えなかったろう。
以前聞いた事があるのだが、日本が最初に中国に進出したのはどうしてか?とある人に聞いた事がある。
それは、現在で言われる仕事(商業)の為だったと聞いた。
現在では、グローバルな時代になり外国からの企業や人が行きかっている。当時はそのような状態だろう。
これも聞いたのだが、当時中国には各国の人間が進出しそれに対して中国国内が分裂していた事もあり、盗賊やならず者が出没していた。
日本は中国に近かった事があり、各国の依頼で警察的な役目で中国に進出したのだと。盗賊を取り締まる為。
日本の関東軍が満州に進出していた時代は、満州国があり中国ではなく一つの独立した国だった。(満洲国は朝鮮半島と接し現在で言う、瀋陽軍区(北朝鮮に接する地域です。)と言われる所です。・・満洲国は1932年~1945年まで独立国として栄えていた。中国ではなかったのです。
その当時、日露戦争以後満州国の許可もあり、日本軍が進駐していたとの事です。
さて南京の位置は、満州国からずっと位置的には下がるのですが、日本列島に大分近い位置です。
「通州事件・1937年7月29日」に起こりましたが、位置的には現在の北京市通州区です。
北京と南京は距離的に距離があります。
そこの南京攻略が始まったのは、1937年12月10日。
その年の1937年9月29日に 通州事件が起こりました。これから2ヶ月後ぐらいに南京攻略を始めた。
東京裁判の時に、裁判長であったウエッブはこの事(通州事件)を問題にしなかったとの事。・・後で通州事件に関してはブログに書きます。あまりにもひどい中国人の日本人へ対しての虐殺は、悲惨です。
それと、ロビン弁護士が「南京に於いて殺害された数は30万人となって居りますが、わたしの承知して居る範囲に尽きましては南京の人口が20万人であります」と本質の質問をした所、ウエッブ裁判長はあわてて「いまはそれを持ち出すときではありません」とこの発言を封じたとの事。これは、「速記録 58号21・8・29」に記録として残っているとの事。
簡単に書きましたが、人間であれば恨みがあればそれを晴らそうと考える。通州事件の2ヶ月後に南京攻略を行った。
以前も書いたが30万人と言うと現在では・・
アメリカの「ペンシルバニア州・ピッツバーグ」「テキサス州・コーパスクリスティ」「カリフォルニア州・リバーサイド」が30万人位の人口です。
中国では、「湖北省・潜江(チェンジャン)」「広東省・恵州フイジョウ)」が現在30万人位。
二つの国の同じ位の誰でも知っている(中国は中国人か中国に詳しい人しか分からないと思うが)都市を書きました。・・自分はネットで調べました。
この地域の人が殺害されたとして、まず第一に当時の戦場記者が誰もどの国の記者も報道していない。30万人も虐殺されれば大問題だろう。
南京攻略の時、ニューヨークタイムズ紙の記者が、日本兵の虐殺を伝えている。(それは通州事件の恨みもあるだろう。通州事件の2ヶ月後だから。この記者は30万の虐殺について一切報じていない)
第二にこれらの死体の処理は?・・この報道もされていない。
上記に書いた市の人間がいなくなるのです。解りますか?現代人は想像して下さい。大人数だと言う事を。
上記に書いたが、ロビン弁護士が指摘した事をはぐらかそうとしたウエッブは、この事実を知りながら意図的に隠したのです。30万と言う人数は噓だからです。
裁判と言うのは、裁くときに前後関係も考慮して判断する。通州事件の事をなかったかのように否定している。
南京30万人虐殺は噓です。
ウエッブ裁判長は意図的に日本を罠にはめたのです。
東京裁判はインチキだと言われているが、インチキです。